Spring Framework/Spring Bootでは(Java EEとかでもそうだけど)、かつて"controller", "service", "repository"といったレイヤーによってパッケージを分ける構成が主流でした。この"package by layer"の手法はドメインの要求よりもフレームワークといった技術的な制約の中で生まれたものです。というのも、レイヤードアーキテクチャへの過度な適応であったり、パッケージ=レイヤーのほうがクラススキャン・AOPにとって都合が良かったりしたという経緯がありました。 ですが、ドメイン駆動設計(ないしドメインを重要視する志向)の影響もあり、機能やドメインでパッケージをまとめる構成(package by feature)が普及していきます。実際にSpring Bootのリファレンスでは、前述の技術的な制約がなくなってきたこともあり、pa
YAPC::Fukuoka 2025 Day1 TrackB 9:45~

はじめにWindows ではディレクトリ区切りに Unix 系 OS の / ではなくバックスラッシュ ⧵ を使い、しかも 日本語フォントでは 円マーク ¥ で表示されます。なぜこうなったかは次の独立した 2 つの理由からです。 はるか昔に JIS の文字コードの標準規格はあまり使わない ⧵ を必須の ¥ に置き換えた はるか昔にコマンドのオプション(スイッチ)としてすでに / を使っていたMicrosoft は他の OS のやり方を真似するのが嫌だからとか権利侵害になりそうだから ⧵ に変更したなどという根も葉もない噂がありますが、そうではありません。むしろMicrosoft は他の OS のやり方を取り込んだんです。なお、後で解説しますが、Windows は昔からディレクトリ区切りに/ と ⧵ の両方を使えるので Unix 系 OS と互換性がないわけではありません(どっちかと言

「6秒のドラムソロが音楽史を変えた」。最もサンプリングされた音源の一つである、グレゴリー・コールマンによる「AmenBreak」と呼ばれる6秒のドラムソロを特集したミニ・ドキュメンタリー映像「the six seconds that changedmusic forever」(約3分)が話題に。 サンプリングの元ネタを探せるサイト「WhoSampled」によると、現在6792回サンプリングされているという「AmenBreak」は、1969年に米ソウルミュージックグループのザ・ウィンストンズ(The Winstons)が発表した楽曲「Amen Brother」で、グレゴリー・コールマンが演奏したドラムソロです。 今回、音楽系ユーチューバーのSynthetは、「6秒のブレイクがいくつものサブカルチャーを創った」とも評されているこのドラムソロが、音楽史に永遠の足跡を残した経緯を解説していま

東京ディズニーシーと植民地主義 2001年9月4日、新たなディズニーパークが開園した。その名も東京ディズニーシー。冒険とイマジネーションをテーマにした、世界でも唯一のディズニーパーク。中心に建つモニュメントとそれを囲うように存在するエリア(テーマポート)など、構造はディズニーランドに基礎を置きつつも、アトラクションやレストラン、ストーリーなど大きな独自性が見られるのが特徴だ。 アラビアンコーストの建築について記述した前回のブログに続き、東京ディズニーシー(以下、TDSと記述)の持つ植民地主義(コロニアリズム)的な側面について記述していこうと考えている。 このアイデアは私が大学院生だった2021年頃からずっと頭にあったが、書く気が起きず放置していた。今回文章化に踏み切ったのは、あるTwitter上での投稿がきっかけだ。 でずにーC、入ったら地中海で少し奥に隣あってニューヨーク、別方向の奥に嘘

こんにちは、鹿野です。 「国」に対する「國」、「沢」に対する「澤」などは旧字体と呼ばれています。「旧字体」という言葉自体を知らなくても、「昔は今とは違う漢字の書き方もあった」くらいはなんとなく知っているよ、という方は多いと思います。 ▲この記事ではKが旧字体、Sが新字体であるとき「K/S」と表すものとします しかし残念なことに、漢字が好きでも「旧字体」のことを雰囲気でしか理解しておらず、「古い漢字」程度にしか捉えていない人がほとんどです。そのため、以下のような勘違いをする人が非常に多くいます。 ▲よく見かけるが実は全部間違い これらの発言はなぜ間違いなのでしょうか? 目次 ◎意外と知らない「旧字体」の定義 ◎「旧字体」の定義における注意点 ◎誤解①:新字体は戦後日本でまとめて作られた ◎誤解②:戦前日本では専ら旧字体が使われていた ◎誤解③:新字体は旧字体を変化させてできた ◎旧字体と誤解
C10K 問題 (the C10K problem) は1999年に Dan Kegel が発表した文章、ならびにそこで提示された「問題」です。文章はその後も2000年代前半に何度か更新されているのですが、さすがに令和に読み返すと、当初の問題意識がわかりにくいところがあります。 2000年からの10年は、 ソフトウェア面では、select(2), poll(2) にかわる新しいシステムコールの実装と、それを使ったアプリケーションの普及 ハードウェア面では、x86 アーキテクチャの64ビット移行、仮想化命令の追加と、マルチコア化 さらにそこにクラウドも登場する、面白い時代でした。ここでは、それらの出来事を中心に、さらに、当時の雰囲気をつたえるような日本国内のブログやインタビュー記事をまとめることで、C10K 問題が、さまざまな側面から解決されていく流れを説明したいと思います。 書き足したいと
ちなみに Space Travel にスコア機能やゲームのなにかを記録する機能はありません。描画は点と線だけで画像ファイルの読み込みなどは行いません。オリジナルの Space Travel は紙テープから起動してオンメモリで動くはずです。何が言いたいかというと Space Travel を動かすためにファイルシステムを作る理由はないということです。紙テープからの起動なんて時間がかかるのでは? と思ったあなたは鋭い。1980 年頃の音楽用のカセットテープをコンピュータの記憶媒体として使っていた時代では、実際にゲームを始める前のロード時間に何分も待っていました。 初期の Unix 開発の技術は Space Travel から学んだ さて、この記事は Space Travel を通して Unix 開発の初期の歴史や、なぜケン・トンプソンは Unix を開発するに至ったのかを知ろうというのが趣旨の

The company’stop coders seem like two halves of a single mind.Illustration by David Plunkert One day in March of 2000, six ofGoogle’s best engineers gathered in a makeshift war room. The company was in the midst of an unprecedentedemergency. In October,its core systems, which crawled the Web tobuild an “index” ofit, had stopped working. Although users could still type in queries atgoogle.co

A few days ago, a video produced by @t3dotgg was posted to his very popular YouTube channel where he reviews an article written by the Graphite team titled “HowGitHub replaced SourceForge as the dominant code hosting platform”. Theo’s title was a little more succinct, “WhyGitHub Won”. Being a cofounder ofGitHub, I found Greg’s article and Theo’s subsequent commentary fun, but figured thatit mi

AWSが生まれたのは、Amazonが経費削減のためにSunのサーバからHP/Linuxサーバへ切り替えたことがきっかけ。当時の社員が振り返る 1990年代後半に、米Yahoo!などに代表されるインターネット系企業の株が高騰したインターネットバブルが発生しました。 そのバブルが2000年前後にはじけると、ユーザー数の拡大を背景に資金調達をしてきた企業の多くが投資家からの資金を得られなくなり、行き詰まり始めます。Amazon.comもそうした状況のなかで先行きを不安視された企業の1つでした。2001年4月の週刊東洋経済の記事には、最高値の10分の1程度にまで下がった株価のグラフとともに、「莫大な酸素(キャッシュ)を燃やし続けている」「2000年12月末時点で2000億円を超える債務超過だ」と記されています。 当時Amazon.comのデジタルメディア部門ディレクターであったDanRose氏

個人的には、ゲームエンジンを書く仕事がなくなった これはデカいと思うんだよなゲームエンジンって職人芸的なところがあったUnityとか、Unrealとか、物理エンジンもBox2DとかBulletとか、当然昔はなかったので、みんな自前で書いてたはず 例えば、スーパーマリオの物理挙動とか衝突判定は当たり前だけど自前で書いてたはず でも、今はブロック崩しさえUnityとかUnrealに含まれてる物理エンジンで剛体力学使って書けちゃう なんかそういうの無駄な計算力だよなと思うけど、まあ書けちゃう、動いちゃう たしか、チュートリアルかなんかにもあったはず 昔はゲーム作るときって、リードプログラマーが1人いて、他も数人で、少人数で職人芸的に作ってたわけだよ 全て自前でやらなければいけないから、簡易的なものを作るにしても、一応大学でやった物理を再度勉強したりするわけだ 剛体力学とか、流体力学とか、材料

n=1だし、革命前に国をでたイラン人から聞いた話だから偏ってるかもしれないが、イランの国民性がちょっと特殊。 イラン人は強烈なプライドがある。 自分たちがずっと世界史の中心にいたと思ってる。 西洋の文化はギリシャ由来で、それもペルシャの真似だと思ってる。 イランというのは、アーリア人の国って意味で、ペルシャはイランの一地方の名前。 イラン人の歴史観は、いつの時代もまずイラン人が文化的な国を作り、栄華を極めたあとに必ず内紛でグダグダになり、その度に馬やラクダにのった蛮族(トルコ人やアラブ人)に滅ぼされるけど、イラン人は優秀だから官僚として取り立てられ、力を蓄え新しいイラン人の帝国を再興させる。それの繰り返しという歴史感。 彼らの中では、アラビア人の国もトルコ人の国もモンゴル人の国も、結局はイラン人官僚が支えてたし、それらの国が栄えたのもその前にイラン人が作った国とその文化があったからという理

世界初のスマートフォンの栄光と壊滅的な終焉を描いた真実の物語。”BLACKBERRY”が 競争の激しいシリコンバレーを猛スピードで駆け抜けます。(以下英語簡易和訳) The “true story” of the meteoric rise & catastrophic demise of the world’s first smartphone,BLACKBERRY is a whirlwind ride through a ruthlessly competitive Silicon Valley atbreakneck speeds. (IFC Film) 感想:必見、2000年代のスピード感を楽しむ! 先日の「Air/エア」を見に行ったときの予告編でこの映画を知り、絶対映画館で観ると決めていたので公開とほぼ同時に観にいきました。出たー!感の実話映画。この世代を生きていた世代とし

検索エンジン業界での経験が長い人にとって、Inktomi という検索エンジンの持つ響きは、ある種の懐かしさとエレジーを呼び起こさせます。 Inktomi は1996年創業のロボット型検索エンジンを提供していた企業で、1998年創業のGoogle より2年先行しています。2002年にYahoo!に買収されるまでの約6年間、検索エンジンの覇権をGoogle に引き渡すまで、検索エンジンの中心に位置していた企業でした。 買収されてから10年経ち、買収元のYahoo! も苦境に立たされる中、当時の Inktomi のエンジニアの一人で、現在LinkdeIn に勤めるDiego Basch(ディエゴ・バッシュ)さんが、当時を振り返り、なぜInktomi は敗れたのか、いかにしてGoogle はInktomi を破ったのかを内部の視点から語っています。 A Relevant Tale: HowGoo

自分の認識をだらだら書くとこうなる。 結局のところ2003年から2011年頃までいちばん延べ計算量が必要だったのはリアルタイムの3Dグラフィックスのレンダリングだったんだ。そこではNVIDIAって会社がPCゲームのプラットフォームを握ってしまっていてそこで技術開発をめっちゃ進めてしまったんだ。 結果的にPlayStation2までは純日本設計だったグラフィックチップが、PlayStation3ではNVIDIAのGPUになってしまったんだ。そこで負けが確定してしまった感じだ。PlayStation3のCPU、CELLに内蔵されているSPUは、世代をどんどん進めていったら最終的にレンダリングもできるグラフィックチップに進化する可能性があったのかもしれないけど次世代が出せなかったのでそこで終わりになってしまった。 NVIDIAは先端を走っているユーザーが何を求めているかをめちゃくちゃちゃんと調査

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