少し考えてみてほしい。これまで、不平等というテーマを巡ってどれほどの議論が費やされてきただろうか。トップ1%とそれ以外の人々の間の格差の拡大に関してどれほどの記事が書かれてきただろうか。考え得るあらゆる点に関して人々の間に「格差」が生じているということを突き止めた論文がどれほど刊行されてきただろうか。グローバル不平等や所得不平等のトレンドを非難した学術書がどれだけ出版されてきただろうか。ではそれを、インフレというテーマに関して費やされてきた字数と比べてみてほしい。価格高騰の原因を糾弾するカンファレンスはどれだけ開かれてきただろうか。インフレが一般市民の生活に与える影響を論じた学術書はどれほど出されてきただろうか。不換紙幣から兌換紙幣への転換を求める怒りに満ちたパンフレットはどれほど書かれてきただろうか。 両者を比較するだけでも、現代の左派が陥っている苦境がよく見えてくる。ご存知の通り、進歩

昨今、日本では排外主義や自国第一主義を掲げる政党が選挙で議席を伸ばしている。ヨーロッパをはじめとする世界各地での極右政党躍進の流れが、いよいよ到来したとの見方もある。では、極右の「先進地」とも呼べるヨーロッパでは、極右はどのように勢力を拡大してきたのだろうか? フランスの大学院で哲学を学ぶ森野咲が、現地での最新の研究や報道の成果をもとに、極右の成長、定着の背景やメカニズムを明らかにする。 極右という幽霊 「ヨーロッパに幽霊が出る ― 極右という幽霊が」。これはもちろん、マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』の冒頭の一文をもじったものである。19世紀のヨーロッパを覆っていたのが「共産主義の幽霊」だったとすれば、21世紀の今日を覆っているのは「極右の幽霊」ではないか。こんな議論はいま欧州を中心に盛んになされている。極右政党の台頭という現象は、フランスやドイツをはじめとする欧州諸国から、アメリカ、

今日はロールプレイングゲーム『真・女神転生』について書く。 なぜなら、この作品は1990年代を懐かしむのに適しているのはもちろん、2025年の日本社会や世界情勢を連想しながらプレイするにも、約30年の時代の流れに思いを馳せるにも向いていると感じられたからだ。 はじめに:『真・女神転生』とは 『真・女神転生』は国産ロールプレイングゲームとしては名前の通ったほうだと思う。本作品は1992年10月にスーパーファミコン版として発売された。 世界じゅうの悪魔や神々を仲魔にしていくゲームシステムを確立したファミコン版『女神転生』や、核戦争後の世界で銃をぶっぱなす『女神転生2』も名作だったが、三作目として発売された『真・女神転生』は、スーパーファミコンらしいグラフィックと凝ったマルチエンディングシステムを備えた新作として登場した。 悪魔や神々を仲間にするアイデアは、ビックリマンチョコの時代からあったか

週末に、はてな匿名ダイアリーに「要するにエコチェンバーこそが現実になってしまったんやな」というフレーズが書きこまれて、はてなブックマークが集まった。 ちなみに、このフレーズは「日本人ファースト勢に見えている世界」というはてな匿名ダイアリーの文章についたもので、その文章はさらに遡ってtopisyuさんの文章をリファレンスして書かれたものだったりする。 これらのどちらかが正しい/間違っているとは私は考えない。topisyuさんはファクトを検証できるような報道をすべきと言っているし、はてな匿名ダイアリーの長文は報道をとおしてファクトを検証しなくなった人の出現を指摘している。どちらも現代社会の一隅を照らしているのは間違いない。ただ、論旨の重心はそれぞれ異なるので、二項対立的に読むよりも、違った論旨のものとして読むのが好ましいように私は思った。 ところで、冒頭のフレーズについたはてなブックマークを眺

りん @AfHYYp5YxMhwk6j @sun_1200 実際そうだと思われ 全ての人の考えが受け入れられる世界なんて空想 だからこそ、異なる者同士で話し合い、ある程度歩み寄り、妥協することでこの世界は成立している 2025-08-24 03:34:53 kutsunuma3.0 @kutsunuma2 これは「多様性」を抽象的な言葉と扱ってやりとりしてるからややこしくなるのであって、まず『多様性が受け入れられてる状態』を両者共通の理想と仮定した上で、「それを肯定する」「それに反対する」とまとめれば、反対側は理屈の上でループさせることができず失格……とスッキリ纏められるのでは。 x.com/sun_1200/statu… 2025-08-24 08:50:59

参院選挙が終わって、改めて思ったのは、ジェンダー平等や外国人との共生などの「思想」は、思ったほど浸透していないのではないかということだった。 特に、私の父母の世代から私のすぐ下の40代くらいまでの層。 若い世代でも上の世代よりはマシとは思うけど、比較の問題に過ぎない(もちろん昔と比べて前進し、若い世代では急速に変化していると感じるが)。 これらの問題について、公でホンネを口走ると叩かれるので、考えを改めないまま潜在化していくことになる。トランプ支持層なんかもそうなのだとよく言われるが、まあ、その日本版である。 あるいは、ロジックでの批判が全然効かないケースもある。私の知り合いの高齢者なのだが、「子供も持つのが当たり前」「子供を持たないと不幸」が持論で、ことあるごとに繰り返すので、周囲が批判する。しかし、「へえそうなのか。でもやっぱり子供は…」と数秒後に無根拠に繰り返すのである。 東浩紀の参

――『論理×ロンリー』が始まって3ヶ月半が過ぎましたが、同業者の皆さんからの反響はいかがですか? どちらかというと先輩のほうが聴いてくださる方が多くて「ラジオにたくさん出ているけど、何屋さんになろうとしているの?」と言われたりもしました(笑)。私は仕事の現場ではほとんど喋らないので“良い子”にしているところしか見たことがない先輩に「ラジオだとあんなに喋るの!?」と驚かれることが多いです。 ――佐倉さんは水曜日は特にお忙しくて、一日の一番最後の仕事が『論理×ロンリー』の生放送なんですよね。 そうなんです。今日も生放送の前に5本のお仕事をしてきました。多い日は一日で9本ぐらいあるので移動中の30分でスイッチを切り替えます。そういう特殊な訓練を連日受けてきたことが、今に生きている気がします。 ラジオで「オープニングではこの話をして、次にあの話をする」といった構成や時間の配分を考えられるのは、15

選挙の季節政治の季節だ。いや、選挙があるだけだが。政治の話をしたい。実在する政党や政治団体については語らない。思想も語らない。せいぜい与党と野党、くらいの抽象性でいきたい。 なにを語りたいのか。結論からいえば、「政治はその人の人徳による」のではないかということだ。 自分の気に食わない……というと感情的すぎるか。自分の思想信条に反するような政党が躍進することがある。あるいは、すでに与党であるかもしれない。いずれにせよ、あるもの支持すれば、あるものは支持しない。そこに対立が起こる。 ……と、書いたところで思ったのだが、べつに両方支持する、50%と50%で支持する、どちらでもいい、そういう考えがいけないのだろうか。べつにいいじゃないか。それもその人の考え方だ。 どのような考えを持とうと自由だ。敵か味方かの二元論におちいらないために、あえて選択から身を引くというのも一つのあり方だ。あるいは、自

論理飛躍集: ・選挙に行かない奴は政治に文句言う資格ない ・投票は政治への参加券である ・歴史が血を流して獲得した権利は行使すべきである ・投票は社会的責任である ・投票をしない=自由民主主義の否定である、サボリである、フリーライダーである 結局どれも思想の押し付けでしかない おそらく投票行け派が本当に叩きたいのは、投票をしない人間ではなく、投票をしない人間の中にいるであろう政治に興味がない人であり、真意は「政治に関心を持て」だろうな、これも押し付けでしかないが p.s. 反論ではなく攻撃してくる人がいるので一応書いておくけど、私は全員が政治に関心を持って投票に行くのが理想だと考えてる。投票を推進しているわけではないけど、投票に行かないことを推進しているものでもない。↑の記述から勝手にスタンスを決めつけられるのも嫌なので念の為。政治そのものが思想の押し付け合いであってそれによって社会が少な

昔から保守主義者で、自分でも周囲からもそう思われていたはずなのに、いまやなぜかリベラルど真ん中になっていた 閑話休題、移動中に思いのたけを述べる、電車を降りるまでの小一時間一本勝負。 私は大学時代から当局側についている塾生団体「文化団体連盟(文連)」の委員長を務めさせていただいておりました。平たく言えば、慶應義塾大学のノンポリの塾風を守るため、明治大学やら法政大学やらからやってくる「あなた、本当に大学生ですか」と言いたくなるような皆さんから、文字通り、身体を張って三田・日吉キャンパスを守るド現場をやってきました。 振り返れば、そのころからロジと情報収集が大好きで、当時日本新党ブームが終わり、平成維新の会が立ち上がり、公明党の皆さんもバリバリで、最後には地下鉄サリン事件(95年3月20日)まであったりで、そういう社会情勢でした。 私はと言えば、大学をてっきり卒業すると思ったら4年で2単位足り

blog.tinect.jp リンク先では、近代という時代、近代という体制の前提条件が崩れ始めている2020年代について、中世という時代とその前提条件を例に挙げながら書いた。20世紀後半にはポストモダン、ポスト近代という言葉も登場したけれども、実際にはごく最近まで欧米列強が主導する近代社会と近代の体制は世界じゅうに浸透しつづけ、支配階級→中間階級→庶民階級へとトリクルダウンした。と同時に、近代社会の内実も、たとえば普通選挙制度、女性参政権、ポストコロニアリズム、マイノリティの権利擁護といったかたちで洗練・進化し続けてきた。啓蒙思想と科学的思考の産物であるテクノロジーの進歩はAIをも実用化させている。 だから、ポストモダンやポスト近代より、後期近代とかハイモダニティって言葉のほうが似あうよね、ということも文中では触れた。 だけど、そのあたりがとうとうほころび始めていない?……と問いたいわけだ

ニッポン駅弁紀行 @mori4141harueki 米原の井筒屋さんが時代の変化に全く付いていけなくなっていると感じた理由は2つ。まずひとつ目は、SNSの時代に、全く営業的活動をしていなかった事。WEBサイトにも平気で古い情報が載ったままだったりもしましたし、美味しいものを作ってれば売れるでしょって時代は完全に去っているんですよね。井筒屋の何が特徴でどのへんがが自信持ってこだわってるポイントなのか等々、インスタやXで何度も何度も言い続けなければ、今の時代は伝わりません。そう言う活動、皆無なんですよね。 2025-02-19 10:55:18 ニッポン駅弁紀行 @mori4141harueki 米原の駅そばを食い、もうホンマに大満足したので帰ろうと思いましたが、今回、牛肉弁当はまだ食べていなかったので、ここまで来たんだしなと、購入しました。井筒屋の牛肉弁当は、近江牛のステーキ弁当が大好きだっ

トランプ米大統領は29日、反ユダヤ主義と闘う大統領令に署名し、親パレスチナの抗議活動に参加した米国市民権を持たない大学生らを国外退去させる方針を示した。27日撮影(2025年 ロイター/Elizabeth Frantz) [ワシントン 29日 ロイター] -トランプ米大統領は29日、反ユダヤ主義と闘う大統領令に署名し、親パレスチナの抗議活動に参加した米国市民権を持たない大学生らを国外退去させる方針を示した。 大統領令の概要によると、司法省に対し「ユダヤ系米国人に対するテロの脅威や放火、破壊行為、暴力を積極的に訴追する」よう命じる。「大学のキャンパスや路上における反ユダヤ主義の爆発」と戦うために連邦政府の全てのリソースを動員するため「即時行動」を取るとしている。

YIPたちはこの緊張関係を処理するために、伝統的なリベラルの教義に潜む曖昧さや抜け穴を利用して、自らの奉じる価値と戦術との間にある矛盾を中和している。結果、私が「反自由主義的リベラリズム(illiberal liberalism)」と呼ぶ政治スタンスが生まれる。 近年の政治環境で最も奇妙な点の1つは、はっきりとリベラルの伝統に基づいた価値観を奉じながら、そうした価値観を促進するために、明らかに反自由主義的と言いたくなるような戦略をとる人が非常に多いことだ。ソーシャル・メディアからファシストを追放したがっている「反自由主義的な進歩派の若者(YIP:young, illiberal progressives)」が、現代の共和党員のほとんどを「文字通りの意味でのファシスト」と見なしているという話は今やおなじみである。 こうした若い活動家が、自身の表明している価値観と自身のとる政治手法との間にある

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