『ゲゲゲの鬼太郎』を見ていると、一つ気になる点がある。作品に登場する妖怪の多くが、「その種で唯一の存在」として扱われていることだ。ぬりかべは一体、子泣き爺も一体。一反木綿も砂かけばばあも、それぞれ固有名詞として一人だけが登場する。だが、こうした描かれ方は考えてみれば少し不自然である。本来、種というものは一個体だけでは成り立たない。生物学的に言えば、集団が維持されるには一定数の個体がそろい、繁殖を通じて遺伝的な多様性を確保する必要がある。たとえ妖怪であっても、ある種が存在し続けるなら、それなりの個体群がいると考えるほうが自然だろう。もし「突然変異のように、偶然生まれた一回限りの個体」だとするなら、その奇跡的な偶然が妖怪の種類ごとに何十回、何百回も重なったことになってしまう。これは現実的な説明とは言いがたい。 また、民俗学の側面から考えてみても、妖怪という存在は本来、地域ごとに複数の伝承が積

リーメーンバー、って唐突な始まり。 妖怪の名前っておもしろいと思いまして。小豆洗いとか、小豆とぎとか、小豆はかりとか(小豆多いな)、砂かけばばあとか、猫娘とか目玉の親父とか。 そのまんまじゃん!って。 で、そのまんまのネーミングってことを踏まえると、世界は妖怪にあふれてると思ったわけですリーメーンバー。(なにを?) あばよ涙、よろしく勇気、こんにちは松本です。 1976年千葉県鴨川市(内浦)生まれ。システムエンジニアなどやってましたが、2010年にライター兼アプリ作家として自由業化。iPhoneアプリはDIYGPS、速攻乗換案内、立体録音部、Here.info、雨かしら?などを開発しました。著書は「チェーン店B級グルメ メニュー別ガチンコ食べ比べ」「30日間マクドナルド生活」の2冊。買ってくだされ。(動画インタビュー) 前の記事:水カップ麺は美味いのか?(デジタルリマスター版) > 個人

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