選挙の季節政治の季節だ。いや、選挙があるだけだが。政治の話をしたい。実在する政党や政治団体については語らない。思想も語らない。せいぜい与党と野党、くらいの抽象性でいきたい。 なにを語りたいのか。結論からいえば、「政治はその人の人徳による」のではないかということだ。 自分の気に食わない……というと感情的すぎるか。自分の思想信条に反するような政党が躍進することがある。あるいは、すでに与党であるかもしれない。いずれにせよ、あるもの支持すれば、あるものは支持しない。そこに対立が起こる。 ……と、書いたところで思ったのだが、べつに両方支持する、50%と50%で支持する、どちらでもいい、そういう考えがいけないのだろうか。べつにいいじゃないか。それもその人の考え方だ。 どのような考えを持とうと自由だ。敵か味方かの二元論におちいらないために、あえて選択から身を引くというのも一つのあり方だ。あるいは、自

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性善説=人は生まれながらに善人 性悪説=人は生まれながらに悪人 これは間違ってはいない。しかし多くの人が決定的に間違っているのは、その文脈だ。福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず…」と同じで、一番大事なのはその前後に書いてあることだ。 まとめブログのタイトルを見ただけでしたり顔で語り出すのと同じような反応をしたくなければ、その前後の文章をこそ読むべきだ。 ざっくり言うと、 性善説=人は生まれながらに善人なのにこれほど国が乱れているのは、王であるお前がクソみたいな政治をしているからだよ!あぁ?わかってんのかおい!? と王に孟子が説教をぶちかますというもの。孟子はゆるふわ愛され哲学者じゃない。一国の王に向かって「お前さぁ…」と啖呵を切れる激する哲学者だ。 理想のために現実に挑みかかる熱い男、それが孟子だ。 有名な「五十歩百歩」も、孟子が王に「あんたの政治は全然良くないからね?」と説教するときに例

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