増田で子育て関係の話があがるたびに姉のことを思う。地元で職場結婚をして実家の近くに家を建てて3歳の女の子と1歳の男の子を育てている。姉は働いていることもあって実家が近所だから親が姪っ子と甥っ子の面倒を見によく赴いているらしい。家庭科の教科書にでも載りそうな家庭。自分と違って、ちゃんと家庭を作っている。歳の差は1つなのに、同じ環境で育ったはずなのに、こんなにまっとうに生きている姉を誇らしく思うし、上京してふらふらしている自分に悲しくなったりする。 もう12月で、年末年始は帰省する予定。帰省すれば姉は喜んでくれるし姪っ子や甥っ子も構ってくれるのが嬉しい。だから何か手土産を、と考えている。いつも帰省の際には母親からのリクエスト(崎陽軒のシューマイとか虎屋の羊羹とか)を持って行くのだけど、姉夫婦にも何か渡したい。 何がいいんだろう。子育ては大変だなって増田を読んでいて思うから、できれば姉の為になる

僕たちは知らないうちに、命を奪われている。 毎朝眠い目をこすりながら7時に起きて、満員電車に揺られながら会社に通い、夜遅くまで働き、家に着くのは22時。 夜ご飯を食べ、風呂に入り、歯を磨くと自分の時間はほとんど残らない。 あっという間に一日が終わり、寝て、また出勤だ。人生とは、時間のつながりだ。 そして僕たちは、限られた人生の時間を労働力として投入し、お金に変えて生きている。 利根川が言うように「金が命より重い」かどうかはわからないが、僕達が命の一部を金に変えて生きているのは紛れもない事実だ。 その考え方は貧しいかもしれないけれど。 そして、そんな命とも言える金を、誰にも疑問も抱かれずに、意識すらされぬまま、合法的に奪っている存在がある。 国家である。 会社で働くと、年末に「源泉徴収票」を受け取るはずだ。 僕は今まで、この源泉徴収票を見ても 「おー年収はこんくらいか。同世代の平均より圧倒


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