2024年の自民党総裁選で選択的夫婦別姓制度の導入が争点となったのは記憶に新しい。一方、25年の総裁選では各候補者とも導入には慎重な姿勢を示し、表立った議論はなかった。 選択的夫婦別姓を巡る議論では、推進派は「個人の尊厳や自由」を、反対(保守)派は「伝統的な家族観が壊れる」などとそれぞれ主張し、お互いの価値観がぶつかり合う。ただし、双方の主張は、時に「利便性」で語られたり、史実に基づかない「感情論的側面」が強く、本質的な議論がなされているとはいえない。『21世紀家族へ』(ゆうひかく選書)の著書があり、家族社会学、歴史社会学が専門の京都産業大学・落合恵美子教授は、こうした現状に警鐘を鳴らす。浮かんでは消える夫婦別姓を巡る議論を〝政争の具〟にしてはならない。日本人は、歴史から何を見つめ直すべきなのか、今一度考えるべきだ。(小誌編集部) 日本の選択的夫婦別姓の歴史的背景を振り返るのがこの論考の趣

大阪市淀川区の北のほとり、下町の歓楽地・十三(じゅうそう)にあるグランド・キャバレー「グランドサロン十三」。1969(昭和44)年創業当時の豪華絢爛な空間を維持したまま営業を続ける、貴重なキャバレーだ。 この店に勤める現役ホステスたちと、50年近く通い続ける常連客・藤井基義は、キャバレーの趨勢をどう見ているのか。そしてなぜ、今なおキャバレーという箱に身を置き続けているのだろうか。まずは藤井に、率直な疑問を投げかけた。

グランド・キャバレー。きらびやかな広々空間でホステスたちと酒を飲み、手品や歌謡、ダンス、ヌードショーを眺め、チークタイムともなれば生バンドの奏でる『メリー・ジェーン』にのって、彼女たちと頬寄せ踊る社交場。古式ゆかしく、豪奢に響くこの言葉、東京ではほとんど人の口に上らなくなってしまった。だからこそ私は、その魅力や歴史、人の声を今に伝えてみたいと、時々文章に書いたりもした(拙著『盛り場で生きる』では、あるキャバレー王の物語を書いた)。 そうこうしているうち、銀座、蒲田、赤羽、北千住と老舗の閉店が相次ぎ、3年前、歌舞伎町に残っていた最後の一軒がネオンの灯りを落としたことで、都内から歓楽の箱は姿を消してしまった。ああ、もう昭和の雄姿を伝えられない……かと思ったけれど、いや違いましたね。まだ西に健在なのでした、大阪に。 ということでやってまいりました淀川の北のほとり、下町の歓楽地・十三(じゅうそう)

大阪のアイコン的な娯楽ビルとして、約70年間存在してきた「味園ユニバースビル」が、2025年7月5日(土)を最後に全館営業終了する。昭和時代に誕生した文化遺産ともいうべき建物がなくなってしまうことに、寂しさを感じてやまない。しかし、味園ユニバースビルの歴史を改めて知ると、戦後まもなくの頃に誕生したビルには奇想天外で驚くべきアイデアと夢が詰まっていたことが分かる。 味園ユニバースビルがある大阪・難波の千日前は、刑場があった江戸時代を経て、刑場が廃止となった明治時代には見せ物小屋や演芸場などが並び、演じる人々が集まる地となった。1912(明治45)年に起きた大火事「ミナミの大火」で大被害を受けたものの、後に「娯楽センター」「大阪歌舞伎座」「大阪劇場」などの施設が誕生し、娯楽を求める人々が集まる繁華街としてさらに成長を遂げた。 第二次世界大戦の「大阪大空襲」で再び焼け野原と化したにもかかわらず、

沖縄戦の慰霊碑「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」とした自民党の西田昌司・参院議員の発言、「自虐史観からの脱却」を掲げる参政党の躍進。 戦後80年の今年、日本の植民地支配の責任や、戦争加害の歴史を否定する言説が政治の場で次々に飛び出している。だが、歴史を歪める動きは今に始まったことではない。 メディア文化論を専門とし、著書に「歴史修正主義とサブカルチャー」などがある社会学者の倉橋耕平さん(創価大学准教授)は、「日本の歴史修正主義(※)は1990年代に台頭し、その言説の形は当時から現在までほとんど変わっていない」と指摘する。歴史を否定する目的は何か。世界と日本の歴史修正主義にみられる共通点とは。なぜ私たちは、戦争加害の歴史を知る必要があるのか。倉橋さんに聞いた。 ※「歴史修正主義」とは、恣意的な観点から歴史を修正しようとする立場のこと。慣例的に「歴史修正主義」と呼ばれてきたが、実

「ソング・オブ・ウェイド」はかつて非常に人気があり、13世紀の説教で引用されたこともあった/Courtesy of the Master and Fellows of Peterhouse/University of Cambridge (CNN) 中世からルネサンス期にかけてのイングランドで口伝えに広がっていた物語が、断片的に書き留められた際のスペルミスで大きく誤解されていたとする研究結果を、英ケンブリッジ大学のチームが発表した。 この物語は12世紀に生まれた「ソング・オブ・ウェイド」。怪物と戦った英雄の話と考えられてきた。当時は広く人気を集め、英文学の父と呼ばれる14世紀の詩人ジェフリー・チョーサーの作品にも2回登場したほどだが、今ではほぼ忘れ去られている。 文字の形で記録に残っているのは、130年近く前に発見された13世紀のラテン語の説教のみだ。この中に、物語の断片が中世英語で引用さ

東京ディズニーシーと植民地主義 2001年9月4日、新たなディズニーパークが開園した。その名も東京ディズニーシー。冒険とイマジネーションをテーマにした、世界でも唯一のディズニーパーク。中心に建つモニュメントとそれを囲うように存在するエリア(テーマポート)など、構造はディズニーランドに基礎を置きつつも、アトラクションやレストラン、ストーリーなど大きな独自性が見られるのが特徴だ。 アラビアンコーストの建築について記述した前回のブログに続き、東京ディズニーシー(以下、TDSと記述)の持つ植民地主義(コロニアリズム)的な側面について記述していこうと考えている。 このアイデアは私が大学院生だった2021年頃からずっと頭にあったが、書く気が起きず放置していた。今回文章化に踏み切ったのは、あるTwitter上での投稿がきっかけだ。 でずにーC、入ったら地中海で少し奥に隣あってニューヨーク、別方向の奥に嘘

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