Cats have been companions to humans for an estimated 10,000 years, and in this specialblog, we present fourteen remarkable cat tales taken from the pages of our newspaperArchive. From felines with a predilection for travel, to heroic cats responsible for saving lives, as well as those who made use of all of their nine lives, we’ve scoured our collection to bring you some of the most extraordinar

中世アイルランド文学の重要な写本の一つである「リズモアの書」が、現在の持ち主である英国の貴族デヴォンシャー公爵からアイルランドの国立大学ユニバーシティ・カレッジ・コーク(University College Cork, UCC)へ寄贈された。1640年代に戦争で持ち去られて以来、約380年ぶりの返還となる。 「リズモアの書(英語” Book of Lismore “, アイルランド語” Leabhar Leasa Móir “)」は中世のアイルランド南部マンスター地方で最大の領主であったカーベリー領主(Lord of Carbery)の第十代当主フィンギン・マッカーシー・リーク(” FinghinMacCarthy Reagh” , 1478-1505)のために編纂されたゲール(アイルランド)語写本である。 リズモアの書に収録されている物語はアイルランドの聖人たちと関連する黙示録の物語、

アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ『そのとき、本が生まれた』清水由貴子訳(柏書房、2013)を読んだ。 そのとき、本が生まれたposted with amazlet at 13.08.16アレッサンドロ・マルツォ マーニョ 柏書房 売り上げランキング: 167,221Amazon.co.jpで詳細を見る ヴェネツィアを中心に出版の歴史を追った研究書で、アレティーノのポルノグラフィみたいに有名な話から、「出版界のミケランジェロ」ことアルド・マヌーツィオの業績の再評価とか、コーランやタルムードの出版、楽譜ビジネス、はたまたアルメニア語とかなかなか取り上げられない言語の出版の話など盛りだくさんな内容。イタリアの研究者がイタリア語で書いた著作ということで英語のものとはちょっと目の付け所が違うなぁという感じもあり、どんどんこういう本が翻訳されてほしいと思った。 しかし一番記憶に残ったのは、修道院で

■出版史から見たヴェネツィア 1987年ヴェネツィアの小さな教会図書館で、コーランが発見された。刊行は1538年以前。世界で最初に印刷されたコーランだった。グーテンベルクが活版印刷を開発し、42行聖書を刊行したのが1455年。それから百年も経たずに、ヴェネツィアではアラビア語活字が作られ使われていたことになる。 アラビア文字は、ラテンアルファベットに比べて1文字ずつ繋(つな)げて鉛活字を組むのが非常に難しい。ルネサンス期のヴェネツィアには、それに挑戦できる資金、技術、人材、販路に加えて言論の自由があったことを示す。一時はドイツをしのぐほどの隆盛ぶりだったという。 アラビア語だけでない。アルメニア語、ギリシャ語、ヘブライ語、キリル文字など多言語に対応。さらに地図や新聞、楽譜、美容、料理にポルノまで。需要の多彩さが、当時のヴェネツィアそのものということなのか。出版史からたどる、ヴェネツィアの知
![書評・最新書評 : そのとき、本が生まれた [著]アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ - 内澤旬子(文筆家・イラストレーター) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト](/image.pl?url=https%3a%2f%2fcdn-ak-scissors.b.st-hatena.com%2fimage%2fsquare%2f939c16354ba0cd00a0c2de2990b9dcd0ed3e434a%2fheight%3d288%3bversion%3d1%3bwidth%3d512%2fhttps%253A%252F%252Fimages-fe.ssl-images-amazon.com%252Fimages%252FI%252F61QyZ9D7dxL.jpg&f=jpg&w=240)
アルド・マヌーツィオ。出版界が生んだ天才で、革命家、そして本の歴史を変えた男である。彼の存在なくして、出版界は今日ほど大きな発展を遂げることはなかっただろう。 いつも鞄に本を一冊忍ばせている人は多いはず。私もそんな一人で、電車やトイレの中など少しでも時間が出来れば、鞄から文庫本を取り出す。私にとってはとても日常的な動作であるが、こんなことができるのも500年前に手軽に持ち運びできる文庫本を考案したアルド・マヌーツィオのおかげである。それまでは机や書見台に置いて広げるしかなかった重い本を小型化することに成功し、読書のあり方を変えた人物がこのマヌーツィオである。 それだけではない。紙面スペースを節約するために考案されたイタリック体の生みの親はマヌーツィオ。ピリオドとコンマを使い始めたのもマヌーツィオ。最初にベストセラーを出版したのもマヌーツィオである。そんな彼の数ある功績のなかでも最大の功績は

トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb >書評 > 記事一覧 > 記事 【書評】 書物の夢、印刷の旅 ラウラ・レプリ 著 Tweet mixiチェック 2015年1月18日 ◆爛熟する都市文化へ誘う [評者]森彰英=ジャーナリスト 時代は十六世紀のヴェネツィア、長い名前の人たちが続々と登場する。最後まで読み通せるのかという危惧は、二人の男が街を歩き出す冒頭のシーンで解消した。ヴェネツィア共和国書記官とスペイン教皇大使として赴任している枢機卿の執事(以下すべて人名は略す)。彼らは枢機卿の著作『宮廷人』をこの都市で出版すべしという命令を帯びている。二人の動きが映画の移動撮影のように捉えられ、街の活気が伝わる。特に書籍市場の情景はエキサイティングだ。当時この都市でイタリアにおける書籍の半数以上が出版され、定価はなく客との交渉で価格が決定されていた。こうして二人が印刷業者のと
This miniature book was meant to be worn like a holsteredBlackberry. Those two holes across thetop were for the string that would attach to one's girdle or belt. The book provided the Psalms in English, courtesy of translator John Croke.It measures 1.6 inches by 1.2 inches. The illustration of King Henry VIII is the main decoration on this British Library artifact from around 1540. Girdle books
「ひですの経」、米で発見 江戸初期に長崎で印刷2009年9月17日16時47分 「ひですの経」の表紙。左側に「御出世以来千六百十一年」の文字 江戸時代の初期、イエズス会が長崎で印刷した「ひですの経」が米ハーバード大の図書館で見つかった。20世紀初頭にドイツの古書店の目録に掲載され存在は知られていたが、その後、行方がわからなかった。徳川幕府の弾圧下で作られて400年、流転の末にようやく内容が明らかになった。 見つけたのは日本大講師の折井善果さん。日本とスペインの交流史を専門とする折井さんは、日本関係の書籍・美術品の収集家として知られるE・G・スティルマン(1881〜1949)の蔵書を調べていて、「1611年」という古い本に気づいた。これが「ひですの経」だった。縦27.9センチ、横19.3センチで美濃紙に刷られていた。欧文書を所蔵する図書館の蔵書だったため、日本の研究者の目が届かなかったらしい
明治初期、小学生用の教科書「小学読本」を印刷するために作られた版木23枚が米子市内で見つかった。表紙の内容から、1874年(明治7年)頃に鳥取市の書店「龍淵堂」が県内で初めて印刷した教科書の版木の可能性があるという。版木は拓本12枚とともに、米子市中町の市立山陰歴史館で7月6日に始まる企画展「すりもの 刷物」で公開される。 版木は、同歴史館が4年前に寄贈を受けた第3代米子市長の野坂寛治氏(1889~1965年)の資料の中に残っていた。1巻から5巻までの一部で、1枚の大きさは縦約25センチ、横約35センチ。版木は表と裏の両面に文章や絵が彫られ、表紙には「師範学校編輯(へんしゅう)」「明治七年八月改正」と刻まれていた。 「龍淵堂」は鳥取市若桜町の「横山書店」の前身。同市教委の「鳥取市教育百年史」によると、学制制定で教科書が必要になることに注目し、明治7年に出版許可を政府に申請。認められ、京都か
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