――板倉さんは少し前までマンション管理組合の理事(※)をされていたそうですね。 インパルス板倉さん(以下、板倉):そうですね。数年間、わりとしっかりやって、少し前に任期が終わりました。その前には、理事長をやっていたこともあります。 ※マンションの理事会:マンションの組合員(区分所有者全員)から選出される執行機関が理事会。理事長のほか、副理事長、会計担当理事、設備担当理事など、数人の理事で構成される。各理事の任期は1年から数年で、輪番制や立候補で後任が選出される。 理事会は定期的に集まりマンションの問題について解決する方策を練るほか、最低年1回の総会でさまざまな決議事項について区分所有者の総意をとる。 ■マンションの管理体制 ――はじめに、就任の経緯を教えてください。 板倉:今のマンションは数年前に中古で購入したのですが、僕が引越したときがちょうど、前の入居者が理事になるタイミングだったんで

趣味は食材採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は製麺機を使った麺作りが趣味。(動画インタビュー) 前の記事:チャンバラをする貝、チャンバラガイ(マガキガイ) > 個人サイト >私的標本 >趣味の製麺 >ライターwiki 白だしが気になってきた 白だしに手を出そうと思ったのは、当サイトの先輩ライターであるヨシダプロと久しぶりに話したとき(こちらの記事)、「料理の味付けは全部白だしです」と言い切っていたのが気になったから。え、全部? 「パスタを1カ月食べ続けると何kg太るのか!? 」より。自宅には白だししか調味料がないそうだ。ちなみにこれはヤマサの「昆布つゆ白だし」ですね。 白だしを料理上手が使う隠し味的な存在だと勝手に思っていたのだが、意外とメインとして使い続けることも可能らしい。私も気がつけばおかずが全部めんつゆ味になっていることもあ

◆◆◆ 大ヒット前夜の葛藤 「初期の構想だと、6時間の作品になっていました」と話すのは、興行収入100億円を突破した『国宝』の脚本を担当した奥寺佐渡子さんだ。 「これだけ、会う人、会う人が『観たよ』と言ってくれる作品は初めてのことです」 原作は吉田修一氏の新聞連載小説。文庫なら上下巻で800ページを超す長編だ。李相日監督から奥寺さんに依頼が届いたのは4年ほど前。本格的に執筆に取り組み始めたのは2022年の春だった。 奥寺さんの仕事ぶりがうかがわれるのが、紅白装丁の単行本上下巻だ。色とりどりの付箋がたくさん貼られていた。 「付箋の色は分類ですね。舞台のシーン、あるいは登場人物の誰と誰のシーンというように分けてあります」 奥寺氏が脚本を書く際に使用した原作の単行本。無数の付箋が貼られている(奥寺氏提供) 当初は吉沢亮が演じる主人公・喜久雄の私生活や、高畑充希演じる春江など女性のエピソードにも厚

漫画家とバー店主という「二足のわらじ」をはくミートスパ土本さんに、「飲食兼業」のリアルを伺いました。 働き方の多様化が進み、「副業」や「間借り」で飲食に関わる人も増えています。一方で、飲食業はハードで兼業は難しいという印象を持つ人も多いはず。実際に飲食業と他の仕事を両立させている人は、どのように感じているのでしょうか。 「barGENESIS」を経営しながら、マンガ誌アプリ『少年ジャンプ+』で『限界OL霧切ギリ子』を連載する漫画家・ミートスパ土本さんに、兼業の裏側にあるリアルな現実や、そこから得た学びを伺いました。 ミートスパ土本さん漫画家・バー店主。愛知県一宮市で「barGENESIS」を経営しながら、「少年ジャンプ+」にグルメギャグ漫画『限界OL霧切ギリ子』を連載中。ブラックな環境で働くOLが、毎日を生きるために作って食べる「限界飯」の描写や、クセのある人間模様が話題を呼び、2025

ノベルゲームエンジン「NScripter」開発者 高橋 直樹 1975年生まれ。1998年より、成人向けPCゲームのシナリオライターやプログラマー、企画などを行う。1999年にノベルゲームエンジン「NScripter」を開発し、公開。以降は、同エンジンシリーズの開発者としても広く知られる。 個人サイト:nscripter.com 1990年代から2000年代にかけ、PCゲーム市場では「ノベルゲーム」(ビジュアルノベル)が大きな流行を見せ、商業や同人作品の中から数々のキラータイトルが生み出されていました。同人サークルから出発し、後に商業の世界でも絶大な影響力を持つに至った「TYPE-MOON」の『月姫』や、「07th Expansion」の『ひぐらしのなく頃に』を耳にしたことがある方は、少なくないのでは。 この『月姫』『ひぐらし』をはじめ、数々のノベルゲームを支えていたゲームエンジンがありま

京都大学新聞社 > インタビュー > 【卒業生インタビュー 京大出たあと、 何したはるの?】Vol.13 マンガ家 若木民喜さん 京大卒マンガ家が“ヨシダ”を描く 京都大学は2025年に創立128周年を迎え、これまでの学部卒業生はおよそ22万人にも及ぶ。卒業生は進路の選択に際し、何を考え、感じ、選び取ってきたのか。第13回は、代表作『神のみぞ知るセカイ』がアニメ化、『結婚するって、本当ですか』がドラマ化&アニメ化を果たし、現在は週刊ビッグコミックスピリッツにて京大を舞台にした『ヨシダ檸檬ドロップス』を連載するマンガ家の若木民喜さんにお話を伺った。(涼・雲) 目次 ドロップアウトシンドローム マンガ人生、紆余曲折 マンガ制作のマル秘 『ヨシダ檸檬ドロップス』制作の内情 ドロップアウトシンドローム ―高校時代をどのように過ごし、なぜ京大を目指したのか。 僕らは団塊ジュニア世代で、とにかく子ども

今や「日本の基幹産業」と言われるまでに成長したアニメーション。『エヴァンゲリオン』シリーズを擁するスタジオカラーはその一角を占める。鶴巻和哉はカラー所属のアニメーション監督で、社会現象を巻き起こした『新世紀エヴァンゲリオン』で副監督を務め、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』では監督を務めるなど、その後も庵野秀明総監督の右腕としてシリーズを支えた。2025年7月に、「Anime Expo」(ロサンゼルス)、「Japan Expo」(パリ)に登壇、海外ファンの熱い歓迎を受けた。一方で「あと10年も経ったら『ガンダム』シリーズも生き残れないかもしれない」と話す。鶴巻はロボットアニメの未来をどう描いているのか。(取材・文:藤津亮太/撮影:西田香織/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 1995年のTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』で副監督を務め、その後も庵野秀明総監督のもと監督として『ヱヴ

現代音楽の研究者・評論家で、『アメリカ実験音楽は民族音楽だった』(2005年)を著し、アメリカ実験音楽研究の日本における第一人者である音楽学者の柿沼敏江さん。著書『〈無調〉の誕生 ドミナントなき時代の音楽のゆくえ』(2020年)では、音楽史の再検討ともいえる画期的な論考で、吉田秀和賞を受賞。ジョン・ケージ著『サイレンス』、アレックス・ロス著『20世紀を語る音楽』『これを聴け』など、重要な音楽評論や理論書の翻訳を手がけ、また、1970年の大阪万博に展示された「バシェ兄弟の音響彫刻」の修復に尽力したことでも知られています。アメリカ実験音楽との出会い、これまでの現代音楽体験、バシェの音響彫刻や日本の一絃琴、そしてハリー・パーチのひょうたん楽器についてなど、音楽のニッチな部分を掘り下げて、全6回にわたってお届けします。(丸黄うりほ) 80年代のアメリカ音楽は評判が良くなかった? ——柿沼先生のご

祝!『舞-乙HiME』放送20周年!! ■久行宏和描き下ろし20周年記念ビジュアル公開! ■小原正和監督 お祝いコメント到着! ■20周年記念PV 2本同時公開! ■久行宏和描き下ろし 20周年記念ビジュアル公開! 20周年を祝し、本アニメのキャラクターデザイン・久行宏和描き下ろしによる20周年ビジュアルが到着! ☆記念ビジュアル☆ ■小原正和監督 お祝いコメント到着! どーもーファンの皆さん、舞-乙HiMEの夏がやってきましたよー。20周年おめでとうございます。はい、ありがとうございますー。 スイマセン。 のっけからせちがらくて大変申し訳ないんですけど、ちょっとこれでいいんでしょうか? 20周年て事なんですけど、ほぼほぼ同期のFateさんなんかはこの20年間ず~っと御商売が続いてるわけですよ。そういう事なら、長い間すごいねーとか、良かったねーみたいなお祝いが出てくるのはごく自然でありまし

◆◆◆ 福岡と同じことをしていたのに、東京ではなぜか… ――そもそも、アヒトさんがドラムを始めたきっかけは何だったのでしょうか。 アヒト・イナザワさん(以下、アヒト) バンドのパートを決めるとき、みんながやりたい楽器を選んでいくと、ドラムって余るんですよ。家でドラムが練習できる環境って、なかなかないですからね。当時中学2年だったと思いますが、幸いうちはスペースがあったので「ドラムがいないなら、俺がやるよ」みたいな感じで始めました。夏休みに、家の手伝いをしてそのお駄賃として、一番安かったドラムセットを買ってもらったのをよく覚えています。 ――NUMBER GIRLはどのように結成されたのでしょうか。 アヒト 向井君(向井秀徳さん・現ZAZEN BOYSのボーカル・ギター)がバンドを始めたいとメンバーを探している中で声をかけてもらいました。僕が違うバンドでドラムを叩いていたのを見て「面白いドラ

『機動戦士ガンダムGQuuuuuuX(ジークアクス)』は、ガンダム作品を根強く支えるファンとの交流や二次創作などの影響が垣間見える作品ともなっている。特集『ガンダム・ジークアクスの舞台裏』(全10回予定)の#3では、ガンダムを語る上では切り離せない、ファンとの関係性について鶴巻和哉監督に聞いた。※本文には一部テレビ最終回のネタバレを含みます(聞き手/ダイヤモンド編集部 鈴木洋子)ガンダムオタクが喜んでくれるようなネタを たくさん入れているつもりです ――ガンダムが巨大化したり、シャアが変身したりという展開をSNSで予想していたファンもいましたね。最終回では、さまざまな「シャアが搭乗する赤い機体」の画像が一瞬だけ映るシーンを題材に、それぞれを特定する考察陣が現れたりして、ファン全体で楽しんでいる感がありました。 僕も庵野(秀明・カラー社長)も榎戸洋司(シリーズ構成・脚本担当)さんもガンダム

日本時間2025年7月4日、ロサンゼルスで催されているANIME EXPO 2025の一環で、『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』のスペシャルイベント“ガンダム、ロサンゼルスの大地に立つ!!『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』特別イベント”が開催された。 制作のスタジオカラーから監督の鶴巻和哉氏、シリーズ構成・脚本の榎田洋司氏、バンダイナムコフィルムワークスからガンダム事業部ゼネラルマネージャーの小形尚弘氏、声優陣は黒沢ともよ氏(アマテ・ユズリハ役)、土屋神葉氏(シュウジ・イトウ役)、川田紳司氏(シャリア・ブル役)、新祐樹氏(シャア・アズナブル役)がトークショーに登壇した。本稿ではイベントの様子と各登壇者のトーク内容をお伝えする。 「このレポート記事は長くなる」、ガンダムがそう言っている。
「アバター」シリーズのジェームズ・キャメロン監督が、クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』について「やや道徳的に腰の引けた作品」だったと述べたうえで、自身が手がける新作映画『Ghosts of Hiroshima(原題)』の構想を語った。 あわせて読みたい没入感のある曲面パネルを採用したKOORUIのゲーミングウルトラワイドモニター「34E6UC」がAmazonにて40%オフで販売中 昨年、映画史上最大のヒットメーカーの1人であるキャメロンが、「アバター」シリーズの制作からいったん離れ、チャールズ・ペレグリーノによる原爆を題材とした著書『Ghosts of Hiroshima』を基にした映画を監督することが明らかになった。 「ターミネーター」の生みの親で現在70歳のキャメロンは、本作を「妥協のない劇場用映画」と位置づけており、第二次世界大戦中に広島と長崎の両方で原爆の被害を生き
ガンダムシリーズの最新作である『GQuuuuuuX』(ジークアクス)。エヴァンゲリオンシリーズのスタジオカラーが、1979年テレビ公開のシリーズ1作目である『機動戦士ガンダム』をふんだんにオマージュしたパラレルワールド設定で制作した。先行して公開された劇場版とテレビ放映は大好評を博し、大きな話題を呼ぶとともに社会現象ともなった。特集『ガンダム・ジークアクスの舞台裏』では、テレビ放映を終えたばかりの監督の鶴巻和哉氏に改めて制作意図を振り返ってもらった。(聞き手/ダイヤモンド編集部 鈴木洋子) シン・エヴァ制作中に始まった共同企画ガンダム宇宙世紀オタクが集結して作り上げた ――『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』(ガンダムジークアクス、以降ジークアクス)は、2025年1月の先行映画上映で話題を呼び、3月のテレビ放映開始からは40~50代のビジネスマンが平日深夜ながらもリアルタイムで視

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』の再上映記念舞台あいさつが28日に都内で行われ、アマテ・ユズリハ(マチュ)役の黒沢ともよ、鶴巻和哉監督、シリーズ構成・脚本を担当した榎戸洋司が登壇。先日最終回を迎えた、テレビアニメ「機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)」の裏話を語った。(以下、一部内容に触れています) 【動画】シャア、“変身”の種明かし!黒沢ともよ爆笑 「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」は「ガンダム」シリーズのサンライズと「エヴァンゲリオン」シリーズなどを手がけるスタジオカラーの共同制作作品。再上映されている『Beginning』は、テレビ放送の開始に先駆け一部のエピソードを再編集した劇場先行版となる。 ADVERTISEMENT イベント中に榎戸は、テレビシリーズの最終回に登場した、ガンダムが巨大化するシーンについて「最終的

住むところは人の悟性を育てる。 地面とつながる暮らしにこだわりたい。 「機動戦士ガンダム」の生みの親として知られ、数々のロボットアニメーションの監督や原作を手がけてきた富野由悠季さん。その作品は社会現象を巻き起こし、根強い熱狂的なファンをもつことでも有名です。今回はご自宅を訪問し、「私の流儀」についてお話を伺いました。 ご挨拶が済んだところで開口一番、「まずは私が一方的にしゃべります。いいですね」と、富野さん。もちろんです、設計担当をつとめた谷本繁彦をはじめ一同が頷いて、取材がスタートしました。 「家づくりにとりかかったのは10年前、60歳を超えたときです」 富野さんは、細かなところまですべて覚えている様子で、語り始めました。 「いちばんに考えたのが立地でした。これはどうしても譲れなかった。この先ずっと仕事をさせてもらえるとすると、クルマに乗らないで、歩いて無理なく職場と行き来できる場所が

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