戦後八十年を契機にして、「なぜ日本は戦争をしたのか」という問いが改めて話題になっている。各界の俊英を集めた対米戦争シミュレーションで「必敗」という結論まで得ながら、当時の政府と軍部は開戦を決断した。従来の仮説では、米国の経済制裁によって、日本は資源確保に行き詰まり、数年で苦境に陥ると考えられていた。そのため低い勝算であっても対米戦に活路を見出さざるを得なかった、というわけだ。 つまり日本の損失を回避するために、時の権力者たちはみんなで危ない橋を渡ることに賭けた、というのだ。この非合理ともいえる賭けに国民の多くが巻き込まれ、数多の人命が失われた。だが当時はマスコミの扇動もあり、国民の多くもその決断を支持したではないか、とされている。みんなで危ない橋を渡ったのだから、日本国民全体が責任を負うべきだ、という極論までこの通説は地続きである。 だが本書の見解は違う。なによりも経済的要因から戦争をみて

こちらは筆者が聞きながらツイッター(X)で書き起こしたもののまとめです。正確に一字一句書きとったというよりは、家族や友人に「こんなことを石破首相がしゃべっているよ」と話すなら、このように適宜いいかえる、という要約・補足になっている部分が多数あります。ご容赦ください。 *閣議決定を経ることができず、実際には戦後80年「所感」です。 公開された原文と実際のスピーチがかなり違い、アドリブがあったようなので、まとめておきます。また筆者のXの投稿からも少し改めています。参考図書や参考リンクも適宜お入れしました。 詳しく知りたい方はぜひ首相の原文をご参照ください。 丸山眞男とシビリアンコントロール石破首相は冒頭から、文民統制の話をしている。歴史の授業のような印象がある。 大正デモクラシーから開戦までを丹念にふりかえっていく。まず、大正時代には、元老(=武力行使ということをリアリティをもって知っている)

北朝鮮の工作員が日本に多数いるとか、彼らは国際的に活動しているとか、「まあ、そんなの常識として知っていますよ」と言いたくなるが、本書を読んでみると、なんというのだろう、うなだれてしまう。ある種、絶望感のようなものも感じる。ここまで実態はひどいのか。あえて「私たち」と言いたいのだけど、私たちはこの問題に実際は目をつぶっていたのだなと後悔する。本書『北朝鮮 核の資金源(古川勝久)』(参照)は副題に『「国連捜査」秘録』とある。著者は国連安保理の下に置かれた北朝鮮制裁担当の専門家パネルに2011年10月から2016年4月まで4年半所属し、北朝鮮の国際的な暗躍を詳細に調べ上げてきた。日本国内はもとより各国に足を延ばし、国連による北朝鮮制裁を北朝鮮がどのように違反し、またどのように、ミサイルや原爆の開発部品の調達や技術収集、さらにそのための資金調達を行ってきたか、それを丹念に調べた記録が本書である。
戦争をちゃんと学ばないのは日本の政治家だけらしい。まあ歴史的経緯を考えるとやむなし。日本は軍部が暴走したせいで悲惨な戦闘に突入していったイメージが強いけど、世界の戦争を見ていくと政治指導者の野望や判断ミスから戦争になったことがほとんどで、軍が暴走するみたいな例は珍しい。と、防衛大学校出身の方がおっしゃっております。 敬礼(`・ω・́)ゝ 防衛大出身で積極的に言論活動したがる人ってそれこそヤバいイメージが強いが、ここでは某田母神さんの話はやめておこう。今回読んだ本は、黒野耐『「戦争学」概論』であります。 「戦争学」概論 (講談社現代新書) 作者: 黒野耐出版社/メーカー: 講談社発売日: 2005/09/17メディア: 新書購入: 3人 クリック: 10回この商品を含むブログ (26件) を見る 三島由紀夫は、「戦後の非武装平和と戦中の一億玉砕って根は同じだよね?そう思わない?」みたいなこと

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