天皇制についてTwitterとかで書くと共産主義者とかクソ左翼とかレッテル貼りされるのでここで。 単純に考えて、天皇制って法の下の平等に反してると思うんだよ。 基本的人権も侵害してるし。 そんでもって天皇自身は権能を持つことがない。つまり国家運営には全く無意味(意味を持っちゃいけないんだもんね)。 別になくしても困らないような組織であるということ。存在することで1つの家族の人権を侵害するということ。この2つが致命的すぎてちょっと存続させる意味がわからない。 そりゃ伝統ってのも大事かもしれないよ。ずっと続いてる制度であることに価値を見出す人がいるのもわかる。でもそれは人権を無視して、法的な原則を無視してまでやることなのか? だって意味はないんだよ?自衛隊が9条に違反してる、みたいなことよりよっぽど矛盾した存在でしょ。法の下の平等に1条目から反していく我が国の憲法、アバンギャルドが過ぎる。前

政府は22日から、天皇の「即位の礼」関係の諸儀式を行います。政府は新天皇の即位を「国民こぞって祝う」として22日を休日にしました。さらにこれと一体のものとして11月14日には、皇室祭祀(さいし)である大嘗祭(だいじょうさい)を、27億円もの公費を投じて行おうとしています。一連の儀式には、日本国憲法の国民主権原理、政教分離の原則に抵触する問題点があります。(竹腰将弘) 戦前のままの儀式 即位の礼は5月に即位した天皇が、それから一定の期間をおいて、内外に向けて即位を宣言し、大がかりなお披露目をするというものです。(表1) 「即位礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」(台風の甚大な被害を考慮して延期)「饗宴の儀」は憲法が定める天皇の行為である「国事行為」とされました。 即位を天皇家の祖先神とされる天照大神(アマテラスオオミカミ)やその他の神々に奉告(ほうこく=神に告げること)するという明らかな宗教行事であ
原武史「米国は皇室に深く入り込んでいる」男女差別、血統重視、米国傾倒…皇室の矛盾はますます露呈していく 石川智也 朝日新聞記者 「令和」の英訳はbeautiful harmony(美しい調和)なのだという。聖徳太子の憲法十七条冒頭には「和をもって貴しとなす さからうなきを宗となす」とあるが、この「和」こそ日本人にとって、個の突出を抑え争いの顕在化を鎮める知恵であり続けた。首都東京のど真ん中にはそんな集団主義と同質性の象徴的空間があるが、もはや様々な文化と利害が衝突し分断の亀裂や断層が走る社会で、この禁域が発する磁力はどこまで通用するのだろうか。 平成の時代に生じた国民と天皇との関係が新たな「国体」をつくりだした、と分析する原武史・放送大教授に、前回記事『原武史「平成は天皇制を強固にした」』に引き続き、「象徴」の未来について聞いた。 大正天皇の方が人間的だった ――右派や保守派は天皇の明確

しばらく前にはてな匿名ダイアリーで「みんな無邪気に天皇を信仰していてびっくり」みたいな記事が上がっていた。改元前後の大晦日みたいな盛り上がり方や、前天皇(上皇)へのみんなのリスペクトを受けて書かれたものだった。 生まれによって数多くの自由が制限される制度があるのは変だ、でも改元自体は面白いイベントだし、上皇という個人については尊敬できる、という感覚が割と一般的なんじゃないかと思っている。アイドルみたいに追っかけてるとか、崩御したら後追い自殺しますといった人は少数派だろう。それで「天皇を信仰している」と言われると「宗教みたいに信仰してるわけじゃなくて、一人の人間としては尊敬しているってだけだよ」と多くの人が答えるんじゃないかと思うし、自分の実感としてもそうなっている。 このあたりのことを自分の中でもせっかくの機会だし(?)整理してみたいと思って。 天皇制の否定 天皇や皇族は基本的人権が保障さ

皇位継承を受けて、政府は今後、安定的な皇位継承の確保や皇族数の減少への対応を迫られることになりますが、女性皇族が結婚後も皇室にとどまる女性宮家の創設には保守層を中心に根強い慎重論があり、今後、議論がどこまで進むかは見通せない状況です。 今後、政府は、天皇陛下と上皇さまが並び立つ、権威の二重性の問題などが発生しないよう細心の注意を図りながら、一連の儀式を円滑に行うための準備を進めることにしています。 一方、皇位の継承資格がある皇族は、新たに皇嗣となられた秋篠宮さまなど3人となるほか、女性皇族が結婚で皇室を離れることも予想されることから、政府は今後、安定的な皇位継承の確保や皇族数の減少といった課題への対応を迫られます。 菅官房長官は1日の記者会見で、今回の皇位継承を実現する特例法を審議した衆参両院の委員会で、政府に対して、これらの課題への速やかな検討を求める付帯決議が可決されたことから、極めて

来年5月1日の改元をめぐり、自民党などの保守派が「新元号を定める政令は即位後の新天皇が署名、公布すべきだ」と主張している。「昭和」まで天皇が元号を決めてきた「伝統」に反するとの理由による。 政府は、来年4月に新元号を事前に閣議決定したうえで公表するシナリオを描く。その場合、今の天皇陛下が新元号を定める政令に署名、公布される。陛下が1989年1月7日に元号を「平成」とする政令を公布されたのも即位後だ。 今回の代替わりでは、保守派の論客として知られる衛藤晟一首相補佐官らが、5月1日に新天皇による署名と公布が望ましいと杉田和博官房副長官らに訴え続けてきた。日本の元号は「大化」から「平成」まで247を数える。新元号が代替わりに先駆けて公表された例はないとされる。保守派は天皇一代に元号一つを定める「一世一元」制を踏まえ、「新元号は新天皇が署名、公布するのが筋だ」との立場を崩していない。

20日に行われた天皇陛下の会見の全文は以下の通り。 ◇ 《問》天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代…

新元号は改元の半年以上前に公表する方向だ。 平成30年(2018年)の区切りで天皇陛下の退位を実現するとともに、国民生活への影響を最小限に抑えるため、新元号は元日から始め、事前に公表することが望ましいと判断した。政府は一代限りの退位を可能にする特例法案を20日召集の通常国会に提出する方針で、陛下の退位日は政令で定めることを法案に明記する。 陛下の退位日を定める政令は、閣議決定前に、皇族や首相、衆参両院の正副議長、最高裁長官らがメンバーを務める皇室会議に諮ることも検討している。

官邸、宮内庁にてこ入れ=お気持ち表明で不満 宮内庁長官の風岡典之氏が26日付で退任し、山本信一郎次長が長官に昇格、後任の次長には西村泰彦内閣危機管理監が就任する。天皇陛下のお気持ち表明に至る過程で、宮内庁の対応に不満を持った首相官邸が、人事でてこ入れを図ったようだ。 宮内庁幹部の異動は春が通例で、風岡氏も当初は来年3月末まで務めるとみられていた。政府関係者は、退任が早まった理由について「お気持ち表明に関し、誰かが落とし前をつけないと駄目だ」と語った。 陛下の生前退位のご意向が官邸に伝えられて以降、杉田和博官房副長官らは、退位の自由は憲法上認められていないと判断し、負担軽減策の検討を進めていた。そうした中で陛下のお気持ち表明の動きが表面化した。官邸は宮内庁に対し、「陛下が思いとどまるよう動くべきだった」(関係者)と辛口評価だ。 宮内庁次長には、事務次官経験者が各省の顧問などを経て就任す

戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。 私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。 即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日

いったいこれはどういうことなのか。昨日、NHKが報じた「天皇が生前退位の意向」。NHKの情報源は「宮内庁関係者」ということだったが、その直後に宮内庁の山本信一郎次長が「そうした事実は一切ない。陛下は憲法上のお立場から、皇室典範や皇室の制度に関する発言は差し控えてこられた」と完全否定した。 さらに、時事通信によると、深夜には、風岡典之宮内庁長官も「(皇室の)制度については国会の判断にゆだねられている。陛下がどうすべきだとおっしゃったことは一度もなく、あり得ない話だ」と否定した。また、菅義偉官房長官もオフレコながら「承知していない」と事実を認めなかった。 では、NHKは何を根拠にこの「生前退位の意向」報道に踏み切ったのか。常識的に考えると、NHKのような官僚的なメディアがこうした重要な情報を宮内庁長官のオーソライズなしに報道するというのはありえない。もしそれができるとしたら、天皇周辺から直接
蒋介石総統率いる中華民国(台湾)政府が国連の代表権を失う直前の一九七一年六月、佐藤栄作首相が米国のマイヤー駐日大使(共に当時)と会談した際、昭和天皇から「日本政府がしっかりと蒋介石を支持する」よう促されたと伝えていたことが分かった。秘密指定解除された米国務省の外交文書で判明した。台湾の国連代表権維持への後押しを伝えたものとみられる。天皇の政治問題への関与発言が公になるのは極めて異例だ。 この問題について、日本の外交文書にも「陛下が(中国問題を)心配しておられた」というマイヤー大使に対する佐藤首相の発言が記載されている。昭和天皇の発言の背景には、蒋介石が終戦直後に中国に残った日本人の引き揚げや天皇制の尊重、対日賠償請求権の放棄など「以徳報怨」(徳をもって恨みに報いる)と呼ばれる寛大な対日政策を取ったことに「恩義」や「信義」を持ち続けていたことがあると思われる。しかし、国連代表権は七一年十月、

http://www.429jp.info/about_429/ 4月29日は、もともと昭和の時代に「天皇誕生日」という祝日だったというのをご存知の方も多いと思います。それが、昭和64年(1989)1月7日に昭和天皇が崩御されたことを受けて年号が平成に改まり、「天皇誕生日」も平成元年(1989)から「みどりの日」となりました。しかし、多くの国民の要望を受けて、平成17年に国会で「国民の祝日に関する法律」(祝日法)が改正。平成19年(2007)より「昭和の日」とすることになったのです。1年に一度廻ってくるこの日に、昭和天皇とともにあった昭和の時代を改めて見つめ直してみましょう。 さて、昨年末の話ですが… 自分が何の気なしに速攻でランク付けしたこの話題に、多くのブクマをいただいたことがあった。 2014年『SFだ』と思った、SF的想像力が刺激された事件ベスト10 - http://d.hate

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