■100年をたどる旅~未来のための近現代史~④予告された敗戦 「国防は軍人の専有物にあらず」「国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養(かんよう)し、一方外交手段により戦争を避くることが、…

そもそも戦いになっていると言えるのか、なんのための戦いなのかも分からない。 吉村大阪市長による、従軍慰安婦像設置に伴うサンフランシスコ市との姉妹都市提携解消についての話である。 たった1つの像をめぐる争いで、60年に及ぶ大阪市とサンフランシスコ市との姉妹都市としての交流がなくなってしまったのだ。 www.nikkei.com 従軍慰安婦像設置~大阪との姉妹都市提携解消までの経緯 「歴史戦」という政治運動 結局国益を毀損する人々 従軍慰安婦像設置~大阪との姉妹都市提携解消までの経緯 エリック・マー市議を中心とした中国系市民団体の求めにより、2015年9月22日、サンフランシスコ市にて慰安婦の記念碑や像を設置するよう求める決議案採択が全会一致で採択された。その2年後の2017年9月22日、市内の公園に像が設置され除幕式が行われた。大阪市は、サンフランシスコ市と60年前から姉妹都市の関係にある

石 「尖閣問題」が起こったとき、当時の仙谷(由人)官房長官が中国に気をつかって、「かつて日本は中国に迷惑をかけたんだから」というようなことを言っていましたね。ああいう認識がいまも日本人のあいだにある。 あのころも、シナは尖閣と似たような事件をしょっちゅう起こしていた。それで日本人はシナに対してカンカンに怒っていたんです。だから、「暴支膺懲」(暴虐な支那を懲らしめる)という言葉ができた。それは、私ら子供でも、みんなそう言っていました。いちばんひどかったのが、昭和12年(1937)の中国軍による通州の日本居留民大虐殺、いわゆる「通州事件」(注1)です。あれだけひどいことをされたら、やり返すのは当然ではないか、というのが一般的な考えでしたね。

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