(台北中央社)東部・花蓮県でせき止め湖から水があふれ出したことで生じた洪水被害で、経済部(経済省)水利署の林元鵬署長は24日、下流の市街地の被害について、堤防と橋の崩壊により、想定の4倍を超える水が河川からあふれたことが原因だとの見方を示した。東華大学(花蓮県)の防災チームによれば、湖から水があふれ出した当時、1540万トンの水が一瞬で流れ出た計算になるという。 林氏は取材に対し、激流で下流南側の300メートル近い堤防が決壊した上に、橋の崩壊で水がせき止められ、河川の多くの地点で氾濫が生じたと説明。水量が想定の4倍を超えたことが洪水の原因だと述べた。 農業部(農業省)林業・自然保育署は7月25日、衛星観測データにより、馬太鞍渓の上流にせき止め湖が形成されたことを確認した。天然ダム(堤体)は高さ約120メートル、全長500メートル、幅1650メートルで、体積は約5445万立方メートル。せき止



阪神大震災で火災が発生したJR新長田駅南側周辺(左)。再開発され高層ビルが林立する=神戸市長田区で2024年12月9日、本社ヘリから大西岳彦撮影 神戸市長田区のJR新長田駅を降りて南口から出ると、目の前にはいくつものマンションや商業ビルがそびえる。30年前の1月、この一帯は阪神大震災による火災で焼け野原となった。 復興に向けて、市の中心街・三宮に次ぐ副都心として再生させることを夢見て、市は被災地では最大となる再開発事業を実施した。だが、終わってみたら数百億円の赤字を背負うことに。巨大な復興まちづくりが残した教訓を探った。 「うちは借金だけが膨らんだ」 駅南口から数分歩くと、マンションや商業ビル群の間を貫く天井の高いアーケード街がある。長さは500メートルほどだ。 「ビルばかりが建てられて、空き店舗が増えた。30年たって、うちは借金だけが膨らんだ」。アーケード街の5階建てビルの1階にある日本

元日の当直で、対応していたのは3人。 鳴り続ける電話は、助けを求めるものばかりなのに、助けにいくことができない。 「すぐには向かわせられません」 電話先では、泣いている人もいた。 こちらも涙を必死にこらえながら、時間の感覚がなくなるまで一件一件に対応した。 「すごく悔しい思いでした」 あの時、能登半島で何が起きていたのか。 遺族や救助の最前線にいた当事者たちの証言からたどった。 (NHKスペシャル 取材班)

この記事はIngress & Wayfarer Advent Calendar 2024のお話の一つとして執筆いたしました。 2024年2月5日~2月9日の間、輪島市東陽中学校にて炊き出しの調理補助ボランティアをしてきた際に気づいたことや体験した事をまとめてみました。 また、ボランティアしていた輪島市町野は震災の後、さらに豪雨でも大きな被害を受けたところでした。 参加のきっかけ私はAGになる前から地元のボランティア団体に属しており、福島や熊本の子どもたちの保養キャンプをお手伝いなどしてきました。今回は隣の県ということもあり、受け入れではなく、支援に出向く方向となった。そしてFaceBook経由で繋がった輪島市町野にて炊き出しを行っている富成さんの所に炊き出しの補助員として行くこととなりました。食品衛生責任者講習受講しておいてよかった。 はじめに最初に一点留意いただきたいのは、避難所は、支援

今回は、沖縄県と海を挟んで隣り合う鹿児島県とで、ほぼ同じ時間に記録的な大雨となりましたが、両県の初動対応は全く異なるものになりました。 【鹿児島県】。 鹿児島県では今月9日の午前0時半すぎに奄美地方に「顕著な大雨に関する情報」が出され、与論町に「記録的短時間大雨情報」が発表されました。 そして、午前2時40分に大雨特別警報が発表され、同時に鹿児島県が災害対策本部を設置しました。 県は与論町に災害救助法を適用することを発表した上で、午前と夜に災害対策本部会議を開催。 県民に対し安全に最大限留意した行動をとるよう呼びかけました。 【沖縄県】。 一方、沖縄県です。 まず、今月9日に、奄美地方より30分早く、本島北部に「顕著な大雨に関する情報」が出されました。 このあと、大雨特別警報は発表されなかったものの、午前3時すぎまでに名護市、国頭村、東村、大宜味村に10回以上「記録的短時間大雨情報」が発表

MASA(航空宇宙・軍事) @masa_0083 能登半島 ・主要道路が数本遮断されただけで物流が困難になる交通の悪さ ・古くはローカルの海運で村や町が結ばれていたので陸上交通が不便でも物流が機能していた ・地震と共に1000年に一度クラスの地殻変動が起き、港も使用不能になる ・陸路・海路とも同時に機能を喪失 という悪条件下でここまで徐々に復旧が進んでいる事に理解が及ばない人がまだいるようですね。 復旧作業的には東日本大震災よりはるかに難易度が高い。 2024-10-09 18:05:02 terada @terada50397416 これはマクドで女子高生が話してたことなのだが、復旧工事の業者は金沢市内にベースを置いて能登半島へ行くことになっていた。 しかし、現場まで4時間ほどかかる。そのため朝5時に出発して9時過ぎに工事を始め、夕方5時に終わってまた4時間かけて帰るという凄まじいスケジ


2号機燃料デブリ試験的取り出し中断。原因不明のまま、最大10万倍高い線量空間で手袋5枚をつけてカメラ交換(予定) 8月22日に始まった福島第一原発2号機の燃料デブリの取り出しを巡るドタバタ。原子炉格納容器に入った4台のカメラのうち先端2台が、まだ何も始まっていないのに、9月17日に映らなくなり、2度目の作業中断となった。 今日は、その後、10月7日の東電会見で分かった話。 電源をオン・オフにしても問題解消とならず現在、カメラ4台は、エンクロージャー内に引き戻した状態だ。高線量の格納容器に続く隔離弁は閉めてある。 10月7日発表によれば、映らなくなった先端のカメラ2台を、本来は3g以内のデブリを取り出すためにあるハッチ(50cm四方)を使って、予備カメラ2台と交換する予定だ。 なぜなら、10月3日朝までに数日をかけて電源をオンにしたりオフにした(放射線が高いと電荷がたまってカメラが不具合を起

能登半島地震で大きな被害が出た石川県で、自力での住宅再建やコミュニティー維持の難しさを理由に、安全なエリアへの集団移転を模索する動きが出始めている。同県輪島市門前町浦上地区の住民らは8月、地区内での集団移転と、住まいとなる公営住宅の建設を市に要望。集団移転についての住民の意見を取りまとめる動きは他の自治体にも広がりつつある。地震は9月1日、発生から8カ月となった。 輪島市西部の山間部に位置する浦上地区。26の集落が点在し、地震前の人口は235世帯455人だった。地区の中心部にある浦上公民館長の喜田充さん(75)によると、実際に住んでいたのは430人ほど。大半は高齢者で単身世帯も多かった。過疎化と高齢化で住人がわずかとなり、もともと将来の存続が危ぶまれる集落もあったという。 地震では周辺の道路が寸断され、住民が一時孤立。多くの建物が全壊や半壊と判定された。住民が避難するなどして無人になった集

能登半島地震被災地での支援活動が終了し、地元住民らの見送りを受け引き揚げる自衛隊員=2日午後、石川県珠洲市 能登半島地震被災地への延べ約114万人に上る自衛隊支援活動が8月末で終了したことを受け、石川県珠洲市では2日、見送りセレモニーが開かれた。地震災害の派遣としては過去最長の8カ月にわたる支援に対し、地元住民からは「ありがとう」の声が飛び交った。自衛隊は発災直後から、孤立集落からの住民移送や道路の土砂撤去などに従事。約90人の隊員が参加したセレモニーでは、同市の泉谷満寿裕市長が「市民の大切な命を救っていただき守っていただき、市民を代表して感謝する」とあいさつした。 セレモニー終了後、珠洲市を離れる自衛隊車両に、沿道の住民は「自衛隊さんありがとう」と手を振って別れを惜しんだ。自宅が損壊し3カ月以上の避難所生活を強いられたという70代女性は「早い時期から炊き出しや給水支援をしてもらい、お世


元日に発生した能登半島地震から8カ月――。能登被災地の現状がメディアでとりあげられることも減り、自民党総裁選に名乗りを上げた政治家が記者を引き連れて顔売りに来たり、復興が進み始めたかのようなニュアンスで報じられる一方、現地では今なお被災直後と変わらない深刻な現実が横たわっている。公費解体や交通網の整備、仮設住宅の建設などが遅れているにもかかわらず、震災直後には当然のように注がれた国や行政からの支援が次々に打ち切られ、行き場を失う被災者たち。失われた暮らしや生業をいつとり戻せるのか、まったく先が見通せない絶望感が覆うなかで、歯を食いしばって互いに協力しながら困難と対峙する日々を強いられている。本紙は石川県能登半島に赴き、被災地の今を取材した。 石川県の県都金沢市から車で北上すること約2時間半。左手に広々とした日本海を臨みながら一直線に続く高規格道路「のと里山海道」は、能登半島に入るとその表情

先月末(3月30日/31日)に能登半島に行って感じた私の意見を書き残しておきます。私は東京から金沢に行き、そこでホテルを取り、2泊しました。場所は明かしませんが、フロントでのチェックインがたまたま同じだったのが有名な新聞記者でした。私は映画もドラマもドキュメンタリーも講演会も見ているので声だけでわかりました。 そのビジネスホテルは、非常に簡素なホテルでしたが、金沢駅周辺はその日もその次の日もどこのホテルも一杯で、ADR(平均宿泊単価)の3倍ほどの料金。OCC(客室稼働率)は9割越え。繁華街のある片町も同様でした。金沢の街に震災の雰囲気はいっさいなく、街には人が溢れていることに驚きました。訪日観光客だけでなく、若者や会社員が多い。とにかく若いと感じました。 能登半島は地形の通り、必ず金沢や富山を経由しなければ行けません。もっというと、能登半島の喉元であるこの金沢あたりをベースにしなければ、ボ

当会は、国内外において人々の生命や人権を脅かす諸状況(戦争と基地問題、震災等自然災害、原発事故、感染症等)を歴史学の問題として受け止めることを活動方針に掲げ、特集とは別に時事問題を批判的に論じる「時評」の会誌掲載にも力を入れてきました。2024年春刊行予定の会誌『新しい歴史学のために』第304号には、宮下祥子氏の時評「社会心理学領域における「災害ボランティアの専門家」の言説の検討―令和6年能登半島地震をめぐるマスメディア報道の問題性に関連して―」を掲載予定ですが、速報性の観点からウェブサイトへの先行公開を決定しました。ぜひご一読ください。本時評の原稿データの改竄は固く禁止します。無断転載もご遠慮ください。また、引用・参照に際しては会誌掲載のものをご参照ください。批判等のご意見については、お問い合わせフォームよりお願いいたします。 時評(『新しい歴史学のために』第304号掲載予定) 宮下祥

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