最古級の前方後円墳とみられている弥生時代(3世紀中頃)の五塚原(いつかはら)古墳後円部で竪穴式石室が発見された。 同墳の形は全長約90m、邪馬台国女王・卑弥呼の墓といわれる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)に酷似しているという。[産経新聞]
曽我部町の犬飼遺跡で、鎌倉時代末~南北朝時代の大規模な堀で囲まれた建物跡などが発見された。 有力者が居住していた「方形居館」の跡とみられ、14世紀頃の建物跡としては丹波地域では最大規模で、16日午前10時半から現地説明会があるという。[京都新聞・産経新聞]
豊臣秀吉が築いた伏見城の城下町だった区域で、武家屋敷の石垣や溝が発見された。 屋敷の配置を示した史料「伏見御城郭並武家屋敷取之絵図」によれば、山内一豊か、堀秀政一族の屋敷跡と考えられるという。[上毛新聞]
天台宗門跡寺院・曼殊院の国宝「絹本著色不動明王像(けんぽんちゃくしょくふどうみょうおうぞう。黄不動)」で、平安時代に仏画を描く前に絹を清める「御衣絹加持(みそぎぬかじ)」の痕跡が初めて発見された。 水で仏の姿を描く儀式で、作品の修復作業中に赤外線撮影したところ、不動明王の腹部に下絵となるもう一体の不動の姿が浮かび上がったといい、10月31日~11月26日に京都国立博物館特別展覧会「国宝」で公開されるという。[京都新聞]
秀康の長男で後の2代藩主・松平忠直の結婚について、早くから秀康と将軍秀忠が検討していたことがうかがえる内容で、未来プラザふくしんの「福井県ゆかりの人物展」で6日まで公開しているという。[福井新聞]
千体千手観音立像(せんたいせんじゅかんのんりゅうぞう)で知られる蓮華王院(三十三間堂)で、平安時代後期の造営当初の大規模な地盤改良工事跡が初めて発見された。
江戸時代に朝鮮王朝が日本に送った外交使節団「朝鮮通信使」が延享五年(1748)に淀城(京都市伏見区)を訪れた際の様子を描いた行列図が京都大総合博物館で発見された。
宗入は桂川西岸地域を治める「西岡衆(にしのおかしゅう)」の一族で、天正三年十月二日に勝龍寺城(長岡京市)に招かれ、細川藤孝(幽斎)の家臣・松井康之に謀殺されたという。[京都新聞]
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