幼い頃から、自分が生まれてきたことに負い目を感じてきた。それを克服できたと思っていたけれど、本当は何一つ変わっていなかった。 両親は若い頃共に夢を追っていた。私が生まれたことでそれを叶えることが出来なくなった。もともと堅実な生活をする道から外れてきた人たちだから、私を養うことが難しく、常に家計は逼迫していた。両親は必死に働く中ですり減っていった。それが私のためにされていることだということは、幼い頃から言い聞かされてきたから分かっていた。私はいつもありがとうと言っていた。でも本当は、その愛情が苦しかった。 私が生まれなかった人生だったら、二人は歌と絵で成功することができたかもしれない。芸術家として生きることができたかもしれない。その可能性を潰したのは私だ。だから、私なんていなければよかったのにと、いつも思っていた。そのことを口にしたことはない。口にしてしまえば、その愛情を裏切ってしまうから。

いつもTwiterのことばかり話している友人がいる。「私のTLで最近話題なんだけど」が話題を提起するときの枕詞で、「私のフォロワーさんが言ってたんだけどね」が伝聞の多くを占める。枕詞に「Twitter」という言葉が入っていなくとも、例えば「こういう話があるんだけど」と言って切り出す話題の多くは、現在進行形でTwitterで流行っていたり炎上していたりする話題である。基本的に言葉少ななタイプだが、たまに饒舌に話すのはこれらの話題だ。そのときの彼女は目が爛々と(あるいはギラギラと?)輝いて見える。 彼女は、彼女の所属しているクラスタではそこそこ名が知れているらしい。いやまあ「著名人なのか」と尋ねると「そこまで大したものではない」というので、たぶん「大したものではない」のだろう。いずれにせよ、彼女は彼女のTLにおいてある程度の立ち位置を確保しており、そこでのコミュニケーションを彼女はとても大事に

「上へ参りまーす」エレベーターガールはそう言うと、扉が閉まり、僕は下方向に軽い加速度を感じた。「このエレベーターは『天才エレベーター』となっております。最上階の天才まで各階に止まります」僕がこのエレベーターに乗ったのは15歳の頃からだ。それからずっと、このエレベータに乗っている。僕以外は5歳ぐらいから乗ってる人もいて、どうやら最上階の天才まで辿り着いた人もいるらしい。まぁ、誰も見た人はいない。噂だけどね。今の僕は24歳。「135階、修士論文研究前段階発表フロアでございます。この発表で今後の修士卒業と進路、博士後期課程のポストが決まりまーす」エレベーターガールが説明した。そのとき、突然、僕は息が苦しくなり始めた。うがはっ!苦しい!がはっ!ここから出してくれ!外の空気を吸わせてくれ!「135階でーす」エレベーターガールがそう言ってドアが開くと同時に、僕はエレベーターの外に飛び出した。倒れて四つ
西暦2037年、俺は退職金を切り崩しながら、細々と年金でひとり暮らしをしていた。妻には6年前に先立たれた。平均寿命が90年にも届こうという時代であってみれば、ずいぶんと早くに死んだものだ。不摂生の極みのような生活を送っていた俺が生き残り、日々きちんとした生活をしていた妻のほうが召されていくのだから、人生というのもなかなか理不尽なものだ。 そんな俺の日々の慰めといえば、エロゲしかない。もともとオタの第二世代くらいにあたる俺の世代は、二十代で鍵ゲーの洗礼を受け、その後も世代が持ち上がるのにあわせて「我々の世代」向けのメディアが常に存在していた。俺のように貯えらしきものもあまりなく、かつかつの生活を送っているものもいるだろうが、その一方で、日本が名実ともに先進国だったころの最後の余慶があったのも俺たちの世代で、うまいこと逃げ切って余裕のある生活をしているものもいる。 なにより俺の世代は、趣味に金

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