10月14日の講演会「堺市立図書館BL小説廃棄要求事件を振り返る」は、120人以上の方が受講してくださいました。 講師の上野千鶴子先生、寺町みどり先生、御来場くださった皆様、後援をして下さった太田出版さま、まことにありがとうございました。 演題:堺市立図書館BL小説廃棄要求事件を振り返る 日程:2012年10月14日(日)13:00~15:00 場所:日比谷図書文化館コンベンションホール 内容: 堺市立図書館で2008年に起きたBL小説廃棄要求事件の際に、図書の排除に抗議して監査請求を行った上野千鶴子さん、寺町みどりさんをお招きし、事件について振り返っていただきました。 講師:上野千鶴子(東京大学名誉教授) 寺町みどり(「ジェンダー図書排除」究明原告団・事務局) 今回の講演会では、最初に上野先生から、 ① 図書館から特定のテーマ・特定の著者の本の排除を要求する運動が全国的に発生している。

といえるのかもしれません。女性に限らずね。 自分で檻を作って自分で檻に入った奇妙な獣 社会システムというものが権力によって構築されるとするならば、その仕組みは当然、権力を利するようになっているはず。 つまり権力を持たないものが単純にシステムに「適応」することは、権力者を直接間接に利することに他ならず、「自分の首を絞めている」と見ることも可能です。 そうはいっても、目の前の権力や強者やシステムに適応・迎合した方が都合がいいという判断は個人・短期のレベルでは十分にありえます。 クラスでは空気に合わせて道化を演じた方が居場所を確保できるし 職場ではサービス残業に励んだ方が上司の心象がいいし アメさんに成果主義といわれれば成果主義、フラット化といわれればフラット化を所与にしておいた方がいいだろう そして 男性がカネや権力を握っているなら、それを男性と奪い合うより共有する立場に立った方がトクだろう
●更新日 09/21● マルイが「男子禁制フロア」を設置、内部からも批判の声 有楽町に新店舗をオープンする丸井が、「男子禁制」フロアを設置するということで、話題になっている。ところが、これに対する批判が内部からも出ているようだ。 2007年9月15日の「フジサンケイ ビジネスアイ」によると、10月12日に丸井は有楽町に「有楽町マルイ」をオープンする。テナント入店の約8割がこの地域では初出店で、他社との差別化により、年間220億円の売り上げを目指すとのこと。雑貨に重点を置くこと、店内の配置に工夫すること等と並んで注目を集めているのが、「男子禁制フロア」。5階は水着やパーティードレスを中心に配置することで、意図的に男性が入りにくい雰囲気にしたと発表した。 この点については、内部からも批判の声が出ているという。その一例として、丸井CITY新宿店等に勤務経験のある関係者に話を聞いてみた。 ――男子
呼ばれて振り向くサバイバー - 話を始めるための話が長すぎて i_oritaさんから、TB頂いたので、ちょっとばっかし、自分の知っている範囲でフェミニズムの話。といっても、僕の知っているフェミニズムの話なんて大学の一般教養レベルどまりだけども。 以前、内田先生が、 哀愁のポスト・フェミニズム なんて事を書いていた。フェミニズムがその威信の絶頂にあるときに、どのような反論批判にも「男権主義者」「父権制主義者」「ファロサントリスト」と鼻であしらって済ませる、頭の悪いコバンザメ的論客がそこらじゅうでぶいぶいいわせていた。 彼ら彼女らに対する倦厭感はそのときすでに社会全体に伏流していたのである。 駆逐されたのはつねに主観的には純良なるフェミニストであり、彼らを石もて追い出すようなバッシングの主力部隊はつねに「寄生虫」たちによって編成されていた。フェミニズム内部の理論闘争はご存じのようにたいへん
女性は働きたければ働いて、働きたくなきゃ働かない、辛くなったらやめていい。 そもそも女性に辛い仕事を押し付けないこと。かといって雑用やらせるのもダメ。 それで給与も昇進も平等にね。ただし残業、転勤、深夜当直させたら女性差別だよ。 間接差別禁止規定って知ってるでしょ。なんでも平等にね。髪形と服装は女性の自由だけど。 それからアファーマティブアクションと管理職30%目標もね。産休育休もね。当然給与40%保障で。 主婦と言っても、家事を強制される言われはないし、出産するかどうかは女が決めること。 でも産まれたら育児を女性に押し付けないでね。二人の子供なんだから当然でしょ。 ただし離婚したら親権は母親のものだよ。育児は女性のほうが向いてるんだし。 それから働く夫を妻が支えるなんて時代遅れの女性差別。 これからは働く妻を夫が支えなきゃ。 あ、もちろん収入は夫の方が多くて当然だけどね。妻には扶養請求
純粋なココロ 2.0 ↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao 【僕の主張のバックボーン】 前回の記事について、いくつかの異論、反論が寄せられました。 ・「ジェンダーフリーではないフェミニズムには反対」論の自意識過剰と不寛容 ・フェミニズム 社会運動 ジェンダーフリー男女 抑圧 当事者 ・見出し付け忘れてた。フェミニズム 弱者男性 社会運動 確かにあの記事はツッコミどころはあると思いますよ。でも、僕がああいうなことを書いているのには、それなりの理由があるんですよ。 それを理解してもらうには、僕があの思考に至った過程を、過去の体験とからめて順を追って話していくのが一番だと思いました。少し長くなりますが、書いておきます。確かに
Masao さんがまた何か書いてます。議論は全然進んでいないのでここは手短に。 しかし失礼ながら、どの記事も僕の「文脈」「意図」が汲み取られていないものになっていると感じました。 こちらは Masao さんの「意図」なんて問題にしてないわけで。作者の意図を読み取ることが「読書」だと教える国語教育の弊害というやつですか? 自分の「意図」がそんなに相手にとって大切だと思い込める発想って、どこからくるんだろうか。 それを理解してもらうには、僕があの思考に至った過程を、過去の体験とからめて順を追って話していくのが一番だと思いました おそらく陳腐なことが書かれているのだろうなぁと想像つくし、興味ないので飛ばそうかとおもいましたが、つい目に入ってしまいました(笑) やっぱり陳腐でした。まぁブログに個人の陳腐な話を書いてもいいけど、それが議論の何か重要な要素になるという妄想からして、やはり自意識過剰はと
以下は最近本家ブログで続けている「弱者男性」論への対応シリーズの番外編。id:kmizusawa さんの「順番が違う」という記事への反論というか「違和感」を書いた Masao さんという方の「本当に抑圧されているのは誰か ?「フェミニズム」と「ジェンダーフリー」は別物なの?」という記事に軽くコメント。 実際に抑圧されているのは「男」でも「女」でも「ゲイ」でもなく、「社会から求められるジェンダー規範に乗れない/乗りたくない人たち」ですよ。社会規範に乗れている人たちは、どんなジェンダーを持っていようと、抑圧なんかされていないんですよ。対立しているのは「男VS女」ではなく、「規範適応者VS非(不)規範適応者」ですよ。ここまでは、以前別館でも書いたとおり。 なぜ「それではなく、これ」という話になるのか。「性別を理由とした抑圧」「性的指向を理由とした抑圧」「ジェンダー規範による抑圧」のうち、どれか1
↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao 【実際に抑圧されているのは『男』でも『女』でも『ゲイ』でもなく、『社会から求められるジェンダー規範に乗れない/乗りたくない人たち』ですよ!】 ・kmizusawaの日記 - 順番が違う http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060712/p1フェミニストには、弱者男性の面倒を見てやる義理はねぇ!というご意見。激しい違和感。 確かに義理はないんだけどさ。もしフェミニズムが「ジェンダーフリー」なり「男女平等」なりをを実践しようという運動なのだとしたら、弱者男性のジェンダー問題も、当然視野に入ってくるんじゃない?っていうのが僕の考えだから*1。 いやね、僕はフェミ
id:kmizusawaさんのエントリを読んで、というか、はてブコメントやそれについて言及したサイトを読んで感じたこと。 ネット上ではこれまでも「フェミニズムは男女平等といいながら、女の権利を拡張することしか考えていない」という批判をよく目にしてきた。まあ一番見た記憶があるのは「フェミニストはレディースデイや女性専用車両で女性が優遇されていることに対しては何も言わない」というようなものだけど。女性専用車両についてはそもそも導入された経緯として、痴漢被害者の多くが女性であり、また加害者の多くが男性である、ということがある。もちろん、それ以外のケースについても配慮は必要だと思うし、女性専用車両を導入したからといって解決される問題でもない*1。レディースデイ等については個人的にその恩恵にあずかることが少ない*2ので(たいてい水曜日とかだし)何とも言い難いが、メンズデイもつくれ、とかレディースデイ
最近、フェミニズムは女性のことだけじゃなくて弱者男性の立場にも目を向けるべきだ、もしくは弱者男性にも配慮してものを言うべきだというような男性諸氏の意見をネット上で見ることが増えてきたけど、その前に「これまでなされてきた主義主張だけでは不十分」「自分(たち)は社会の中で不当な目にあっている」と感じるのなら、自分たちで団結(がダサいのなら「連帯」でも「協力」でもなんでもいいけど)して運動を起こすべきなのでは?もしくは個人として社会に対して発言すべきなのでは?と思う。フェミニズムに対してやってくれと要求するんじゃなくて。女性も障碍者も性的少数者も少数民族も理解の少なかった中で皆そうやってきて、その上で、それなりに社会のご意見番(笑)として力を持ったり、互いに注文つけあったり、共闘したりしているわけなんですが。そこは自分たちでまず頑張れと私は言うよ。まずは自分の立場からだと思う。フェミニズムにも各
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