だが率直に言って、筆者はこの「同化政策プロパガンダ説」に対して疑問を持つ。もしこれが少数民族の同化政策を推進するメッセージを持たせようとする作品であるのなら、妖精の民族自立を目指し、人類に対するテロを企てるフーシーは徹底的に同情の余地がない悪人として描かなくてはならないはずだからだ。 だが、1作目『羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来』で最も観客の心に残るキャラクターの一人はフーシーである。数年の時が流れ、新作の第2作が発表された後もフーシーのファンアートを描き、彼の行動と結末の是非について議論するファンは日中ともに後を絶たない。 フーシー 『羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来』公式サイトより 『羅小黒戦記』の脚本と演出は、1作目から繊細と精緻を極めている。ブレイク・スナイダーの有名な映画脚本術「セイブ・ザ・キャットの法則」、つまり冒頭で主人公が猫を助けるシーンを観客に見せて観客に感情移入させろ、というセオ

『ナチュラル』への情報漏洩の疑いで逮捕された神保容疑者(奥)。’23年頃から今春まで捜査を担当していた 秘匿性の高い独自開発アプリで捜査情報を中抜き 警視庁に激震が走った――。 日本国内最大かつ最強(最凶)とされる違法スカウト集団『ナチュラル』に捜査情報を漏らしたとして、警視庁暴力団対策課の警部補・神保大輔容疑者(43)が地方公務員法違反の容疑で11月12日に逮捕された。警察当局がトクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)と位置付け、全国で摘発を進めている最中に、捜査の中心にいた人物が相手に逆に取り込まれていたことが明らかになったのである。 「逮捕容疑は『ナチュラル』の関係先に監視用として設置していた捜査用カメラの画像を相手側に送っていたというもの。ほかにも捜査情報を流し、見返りに報酬を受け取っていた可能性が高いと見られている」(警視庁関係者) 『ナチュラル』は20代の若者を中心に全国に200


(できるだけネタバレなしでお送りする。) ダンちゃんさんと、AIによる映画レビューについてやりとりした。 自分の考えでは、AIによる映画レビューは、十分にリソースのある状況では有効。ただし、劇場で公開されたばかりの新作に対しては、有効でない。というものだ。 そこで、自分の考えるAIによる映画レビューをつくってみた。 題材はこのショート映画だ。 最初にプロンプトありき。Gemini=サン、ドーモ初めまして。rain-bowです。 まず、この映画を観た上での私の見解を聞いてください。 この映画は、3 と 4 のあいだに隠された整数ブリームがあるという、ある数学者の主張から始まります。 「ふつうの算数・数学の世界」では、3 と 4 のあいだに整数は存在しないことはきっちり証明できます。 なので、もしブリームを肯定したいなら • 「整数」という言葉の意味 • あるいは、「3」「4」という記号の意味

画像は『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』より - (C) 吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable映画芸術科学アカデミーは現地時間21日、第98回アカデミー賞長編アニメ映画賞の審査対象作品を発表した。全35作品のラインナップには、『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』『チェンソーマン レゼ篇』などの日本作品が選出されている。 【画像】色気ダダ漏れ…劇場版『チェンソーマン』重要キャラ・レゼ 審査対象作品の中には、ノミネート条件を満たしていない作品もあり、投票開始前まで当該部門の規定を全てクリアする必要がある。また、長編アニメ映画賞に提出された作品は、作品賞を含む他のカテゴリーでもノミネートの対象となり得る。 日本作品では『鬼滅の刃』『チェンソーマン』のほか、細田守監督の最新作『果てしなきスカーレット』(全国公開中)、STUDIO4°C制作の『ChaO


父の敵討ちに失敗し、「死者の国」で再び復讐に向かう孤独な王女を描いた、細田守監督4年ぶりのアニメ映画『果てしなきスカーレット』。主人公の声を担当した芦田愛菜(21)が、次に挑戦する大作が――。 CM起用社数23社の芦田愛菜 慶應大学で学ぶ傍ら、テレビにCMにと、相変わらず活躍中の芦田。今年3月には国連開発計画の親善大使にも就任した。芦田の前任者で、27年間にわたって親善大使を務めた、俳優の紺野美沙子が語る。 「就任にあたって、上品なりぼん柄のカードに直筆のお手紙を頂きました。27年間を労う言葉と共に『新しい経験にワクワクしている』『これから少しずつ学んで、自分らしく務めを果たしていきたい』という愛菜さんの想いが書かれていた。学業やお仕事にお忙しいでしょうに、きちっとした方だと感心しました」

「なんかこれ、すげー怖いんだけど」 と隣の席の少年は言った。それは具体的には劇中のある箇所の描写に関してなんだが、そこ以外でも劇場は後半、分厚い沈黙に包まれ、子供達は押し黙っていた。退屈していたのなら雑談が聴こえはじめるはずだ(他の映画でそういう経験をしている)。しかし子供達は押し黙っていた。 この映画をどんな層がどんな楽しみを求めて劇場に来ているか、ぼくは知らない。漫画はさすがに読んでいないということはないけれど、ときどき眺める程度でキャラをある程度知っているにすぎない。だから、キャラへの(事前の)思い入れもまったくないし、かくあるべし物語の方向性もない。 そういう人間にとって、この映画ははっきり言って驚いた。 「これはワンピースではない」とか「こんなものを観客はワンピースに求めていない」とかいう物言いは、押井のBDやパト2の劇場公開時にさんざん言われたことでもある。10年一日のごとし。

お笑いコンビ、ナイツ塙宣之(47)が1日、パーソナリティーを務めるニッポン放送「ナイツ ザ・ラジオショー」(月~木曜午後1時)に出演。話題のアニメ映画について語った。 オープニングで、細田守監督の最新作「果てしなきスカーレット」についてトーク。娘と一緒に鑑賞したという塙は「あれ、めちゃくちゃ面白かったですね」と絶賛すると、一方で「結構映画館がガラガラだったのよ」と驚いた様子。「何でこんなに予約空いてるんだろうと思ったら、何か賛否分かれてるらしいのね。酷評されてるのよ」と不思議そうにし、「めっちゃ面白かったけどね、俺。2時間ぐらいあっという間で。ぜひ皆さん見に行っていただきたい」と呼びかけた。 芦田愛菜が声を演じる主人公スカーレットの復讐(ふくしゅう)の物語で、「死者の国」が舞台となる。塙は「映像とかも面白くて」と魅力を語りつつ、作品の一部のシーンについて「死後の世界に龍みたいなのがさ、ちょ



Xでの筆者投稿のキャプチャー 記事に対するXでの反響におそれおののく映画「国宝」が日本映画実写興行収入記録を塗り替え「踊る大捜査線 THE MOVIE2」に代わって1位に立った。そのことを東洋経済オンラインに書いたのだが、同じ週末に細田守監督の新作「果てしなきスカーレット」が不発だったことも絡めた記事にした。私としては「国宝」が主で「スカーレット」は従のつもりだったが、編集部では「スカーレット」をタイトルの先に持ってきた。 『果てしなきスカーレット』の大コケと『国宝』の興行収入記録更新が示唆する「テレビ局と日本映画の幸せな時代」の終焉(東洋経済オンライン11月28日) するとX上でいつもの記事よりずっと反応が多かった。普通は記事のタイトルを検索して、その反応をこっそり覗き見する。 ところが今回は、私のアカウントに直接反応が来た。これは心臓に悪い。私は2009年以来、Twitter時代からの

まえがき『果てしなきスカーレット』鑑賞後、SNSや批評家の反応を眺めると、映画以上に「公私の別」の視点如何で評論・感想が二極化していることに気づかされます。 なぜ否定的な観客はそこまで作品を“憎む”のか?本稿では、その正体を一視聴者の視点から分析しました。 あくまで感想であり、特定の人物を擁護・批判する意図はありません。 ※本稿はネタバレを含みます。未視聴で視聴予定の方は回覧をお控えください。 第1章:映画が示したもの - 「公私の別」『果てしなきスカーレット』を観た。 淡々とした、分かりやすい物語と感じた。 終始、物語の中心にあるのは、「公の立場」と「私の感情」という、現実的なテーマだった。 視聴後、「公私の別」の観点で、作品の構成を考えなおしてみた。 やはり、登場人物の行動は一貫しており、立場と私心の折り合いが丁寧に描かれている良作と感じた。 一方で、SNSや評論では、この“公と私の分

歴史的問題作。「UFOは確かに地球に来ている」と信じるしかない衝撃のドキュメンタリー「エイジ・オブ・ディスクロージャー 真実の幕開け」は驚くべきドキュメンタリーです。今年一番の、いや、もしかしたら個人的に人生で最も衝撃を受けたドキュメンタリーかも知れません。本作では「UFOは何度も地球に来ている」「異星人は確かに存在する」「政府はその証拠を長らく隠蔽し続けている」という証言を、アメリカの政界、軍、研究機関の名だたる重鎮たちが30名以上、口を揃えてカメラに向かって語っているのです。 とりわけ、現在のトランプ政権において国務長官を務めるマルコ・ルビオの発言は、映画のリアリティを一気に高めています。 ルビオ長官はインタビューに答え「我々は、制限された核施設の上空で何かが運用されているという繰り返しの事例を経験してきましたが、それは我々のものではありません。それだけでも、その発言だけでも、調査に


大型商業作品を次々と送り出してきた、細田守の最新作「果てしなきスカーレット」。これまでとは異なって、現代の等身大のキャラクターが主人公ではない。中世の王女が父王の復讐(ふくしゅう)のためだけに立ち続け、彷徨(ほうこう)し、亡者の群れと対峙(たいじ)し、泥の中でもがき苦しむ。この作品は観客に何を問いかけているのか。 看護師青年はなぜ王女と同道するのか本作は、典型的な「ライオンキング」型の復讐譚(たん)――なのだが、この物語には現代日本の看護師青年が突如、登場し、彼女の旅に寄り添う。 それだけだと異境譚であり、異世界バディーものでもあるのだが、視点は王女側であり、“なぜこのふたりが同道せねばならないのか”“なぜ看護師なのか?”、観客は思考を錯綜(さくそう)させたまま見続けるしかない。 確かに、青年が看護師であることでエピソードが膨らんでいく。しかしそれは、映画「戦国自衛隊」(1979年)で描


11月21日に劇場公開が始まった細田守監督の最新作「果てしなきスカーレット」が、ネットを中心に酷評されているようです。ただ、ボクがネットを眺めていると高評価の投稿も一定数見られました。実際のところどうなのか……劇場に足を運んでみました。 果てしなきスカーレットは、前作「竜とそばかすの姫」から4年ぶりに公開された細田守監督の最新作です。しかし公開から4日間での興行収入は2億7000万円と、作品の規模や連休中だったことを考えるとキビシイ結果となっています。中世ヨーロッパのような世界観の中に突然現代日本でのダンスシーンが登場した予告動画が物議を醸したりと、プロモーション的な失敗もあったのかもしれません。 ボクはIMAX上映を見に行ったのですが、まずは劇場でのお客さんの少なさにビックリ! ボクを含めて3人しかいません。あまり人が入っていないという噂は聞いていましたが、平日の昼間とはいえまさかここま


を殺して王位を奪った叔父クローディアスへの復讐に失敗した王女スカーレットは、「死者の国」で目を覚ます。そこは、略奪と暴力がはびこり、力のなき者や傷ついた者は「虚無」となって存在が消えてしまう世界だった。この地にクローディアスもいることを知ったスカーレットは、改めて復讐を胸に誓う。そんな中、彼女は現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。戦いを望まず、敵味方の区別なく誰にでも優しく接する聖の人柄に触れ、スカーレットの心は徐々に和らいでいく。一方で、クローディアスは死者の国で誰もが夢見る「見果てぬ場所」を見つけ出し、我がものにしようともくろんでいた。 scarlet-movie.jp 2025年映画館での鑑賞16作目。 観客は僕も含めて3人。 いくら連休中日の夕方からの上映(通常料金)とはいえ、細田守監督の新作、しかも、公開初週の日曜日なのに…… ネットで、かなり酷評されているとは聞いていたの


2012/03/2214:42 カテゴリ◆HOW TO 『ツリー・オブ・ライフ』 ■《徹底解説》映画『ツリー・オブ・ライフ』をもっと深く楽しむためのテキスト メイキング編 「あなたはずっと、私に語りかけていた・・・!」 (本編終盤のジャックの台詞) ロバート・デ・ニーロが審査委員長、ジョニー・トー監督、オリヴィエ・アサイヤス監督、ジュード・ロウ、ユマ・サーマンらが審査員を務めた2011年度のカンヌ国際映画祭でパルムドール(最優秀作品賞)受賞した話題作であると同時に、賛否両論の激しい議論を巻き起こした問題作でもあります。本作は、いわゆる「100人100通りの解釈ができる」タイプの映画と言えます。僕自身、ちゃんと理解したくて劇場で2回、ブルーレイで5回鑑賞しました。 「面白いから」というよりも「理解したいから」という理由で何度も繰り返し鑑賞したのは、近年ではデヴィッド・リンチ監督の『インラン



細田守監督『果てしなきスカーレット』を見てきた。 www.youtube.com 『ハムレット』がベースで、近世あたりのデンマークを舞台にした時代劇アニメである(中世警察:あれは中世ではないだろ…)。デンマーク王女スカーレット(芦田愛菜、ハムレットに相当)は父王アムレット(市村正親)を叔父クローディアス(役所広司)に殺され、復讐を誓うが失敗し、どうも死者の国っぽいところをさまようことになる。そこでもやはり復讐を求めるスカーレットは、ずっと後の時代の日本の看護師だという聖(岡田将生)に出会うが… まず、話の前提として、私は1年に平均して5本『ハムレット』あるいはその翻案を見ているシェイクスピア研究者である(ウソだろそんなに『ハムレット』やってるわけない…と思う人はこのブログの「ハムレット」タグをクリックしてください。友であり同胞である市民諸君、世の中は諸君が思っている以上に『ハムレット』で溢


(追記:11月27日から12月2日にかけて改稿、図表追加。なお本編画像は©2025,スタジオ地図。以下同様)2025年の細田守監督作品『果てしなきスカーレット』が先週公開された。 難解な脚本が理解されないまま、試写以降ずっと叩かれてきた。興行成績は不振に終わりそうだ。 確かに、表層だけ見れば、意味不明な映画だし、スカッとしないし、お世辞にも、ファミリー向けのファストフード的エンタメとは言えない。 だが、理解できないままでもいいから、一度は劇場で観ておくことを、心から薦めたい。子どもにも、中学生以上なら観てほしい。本作は、10年後あるいは30年後に「あのとき(あの人と一緒に)劇場で観ておいて良かった」と思えるようになる、そんな映画だからだ。 自分は連休に3回目を鑑賞して、やっと物語の構造と、全てのシーンの必然性が理解でき、すっきりすると同時に、細田構想のスケールに全身が総毛立った。 以下の

まず言わせてくれ。 魔女をやめた魔女をもう一度見てこい。と。 お前らは思い出の中の細田を美化しすぎている。 確かにウォーゲームはサマウォより面白いが、それはデジモンの持つコンテンツ力のおかげでしかない。 作中で究極体まで大事に育てた上で初のジョグレス進化、それも究極体を超える究極体……最高に決まってるだろ? 細田の演出は上手いんだろうが、最高なのは与えられた食材だ。 おジャ魔女やウテナもそうだ。 美味しい題材を受け取っている。 細田は演出家として天才だったのかも知れんが、社内政治の天才でもあったのではないか? そんな細田が監督をやることに「演出の才能を捨てた」と罵る奴らのなんと多いことか。 「政治の才能を活かした」という見方はできないもんかねえ。 まあ、持てる才能に甘えた結果として不得手なものにまで深入りしたのは駄目だったがなあ。 だかなぁ、そもそもとして今の世の中は監督作品に監督の中身を


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