前回は関東大震災ですし職人が東京から地方都市へ移っていく直前に誕生した粉わさびの歴史を辿ってみた。では、そのまま順調に普及したのかというと、ある問題を抱えていた。 辛味が抜けてしまう日本のわさび 粉わさび誕生の経緯を詳しく書いた『小長谷才次伝』は、こう書いている。 ここで一寸説明して置きたいことは、小長谷与七の発明した「粉わさび」も、その初めは川根方面の山葵を粉末にしたのであるが、これだけではとても量産の見込みがない上に、価格的にも引き合わない、そこで何か適当な配合物はないかと考えた末に、横浜の内田商店が扱っているカラシ粉に着眼し、これを山葵の風味を損じない程度に配合することを考案して、大正八、九年頃からその製法を行ったため、それからは量産が可能となり成功した。序に粉わさびの変遷を簡単に説明すると、このカラシ粉に代るものとしては、昭和十二年頃、北海道北部の山野に自生する「岡わさび」(別名西

日本維新の会の藤田文武幹事長が二十四日、愛知県庁で記者会見し、来春の名古屋市議選の全十六選挙区に維新の独自候補を擁立する方針を明らかにした。公表した公認候補二人のうち一人は、選挙協力が白紙となった地域政党「減税日本」に以前、所属していた現職。減税代表の河村たかし名古屋市長は報道陣に「徹底的に戦わせてもらう」と対決姿勢を鮮明にした。 藤田幹事長は、独自候補擁立に至った理由について「生え抜きの議員が(維新の)ポテンシャルの割に増えてこなかった」と説明。一次公認として千種、名東両選挙区の候補者を発表し、その他の十四選挙区でも擁立を目指すという。減税との連携については「今回はお互いに切磋琢磨(せっさたくま)して、改革勢力を倍増させていこうとなった」と語り、選挙協力を改めて否定した。 これを受け、河村市長は報道陣の取材に「当然(減税も)全選挙区に立てる」と語り、党所属の現職十二人に加え、候補を擁立す

「台湾ラーメン」や「台湾まぜそば」など、日本の飲食業界を席巻しているピリ辛のそぼろ肉を使った「台湾風」の原点をたどると、名古屋市にある「味仙(みせん)」という店に行き着く。味仙の創業者であり、現在も経営の第一線に立っている郭明優さんは、日本で生まれ育った台湾人だ。そんな郭さんがどうやって「台湾にない台湾ラーメン」をつくり出し、全国に広めたのだろうか。台湾人が日本に広めた味 日本における広義の中華料理は、外来の料理でありながら、その流入の行程は単一ではなく、主に中国北部、中国南部、そして台湾の三種類に分けられる。例えば、国民食となったギョーザは中国の北部で食べている「鍋貼」が源流で、中国東北地方の出身者や満州などで生活した日本人引揚者が持ち込んだと言われている。 一方、これも全国で人気のちゃんぽんは、九州の長崎に移民した福建出身者がもたらしたもので、モデルとなる料理は「湯麺」だったとちゃん

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