月間10万人が読んでいるCoral Insightsのニュースレターにご登録いただくと、Coral Capitalメンバーによる国内外のスタートアップ業界の最新動向に関するブログや、特別イベントの情報等について、定期的にお送りさせていただきます。ぜひ、ご登録ください!ウクライナのソフトウェア開発者Dmitry Zaporozhets氏が2011年10月に、たった1人で開始したオープンソースプロジェクト「GitLab」。それが、ちょうど10年を経て時価総額1兆円もうかがうほどの大成功したDevOpsのSaaSプラットフォームへと進化することになると想像した人は、ほとんどいなかったと思います。GitLabのライセンス・SaaSビジネスを展開するGitLab Inc.は9月17日付けで米国証券取引委員会(SEC)に対してFORM S-1を提出し、IPOへ向けて最終段階に入りました。 開発初期か

“けしからん”天才プログラマーはなにを考える? 登大遊氏を形成した歴史と日本のこれから けしからん本屋とけしからん大人たちが僕を育てた 天才プログラマー登大遊氏をかたちづくった「あの本屋」 例えば自分がエンジニアを目指したとき、どのように視野を広げればいいのか、漠然と不安を抱えたことはありませんか。そんな時、自分とは異なる“天才”の頭の中はどうなっているのか、その中身を覗いてみたいと思いませんか? そこで今回は、天才プログラマーとしても知られる登大遊氏に、その考え方や思想の根源がどこにあるか、ちょっと頭の中を覗かせてもらいました。まずは、登氏がプログラミングに出会った幼少期について。 雑誌やマニュアルを読んで学んだ幼少期 ーーまず、登さんの幼少期についてお尋ねします。登さんは、小学生2年生の頃に自宅にあるPCでプログラミングをはじめたとのことですが、当時はどのように勉強されていたのでしょう

男もすなる退職エントリといふものを我もしてみむとしてするなり。 2020 年 10 月にヤフー株式会社を退職しました。退職に至るまでのあれこれと、今後のキャリアについて漠然と考えていることをまとめたいと思います。 学生時代 小・中・高は普通の公立に通い、1 年浪人して東大に入りました。 涼宮ハルヒの憂鬱からオタクになり、ニコニコ動画全盛期を経て引きこもり属性マシマシと化して、パソコンとゲームばかりしている中学・高校時代を過ごしました。 このオタク属性は大学に入って「声優おっかけ」に昇華し、声優イベントのためであれば日本国内はもちろんのこと、0 泊 2 日で台湾に弾丸で行くこともいとわないような生活を送っていました。 最終的に、大学の学園祭に声優さんを招いて自分でトークイベントを主催するというところまで行き着き、いろいろな意味で充実した学生生活を送ることができました。 電子情報工学科へ 勉強

■ 31年勤めた富士通グループから退職した この日記では明に所属企業を書いたことはなかったけど、仕事がらみのイベントとかでは普通に名刺を配ったりもしていたので、ご存じの方にはご存じだったと思うが、新卒で入社してからずーっと富士通の子会社に所属していた*1。 今年はその富士通でマネージャになってちょうど20年になる。20年前にはまるで世をはかなんでいるような日記を書いているけど、けっきょくそのまま居座ってマネジメント畑を耕していた。20年のキャリアつったら、普通に考えてもプロ中のプロですよ。ずっとエンジニアのつもりだったのに、気がついたらマネジメントのプロフェッショナルになっていたという。人生なにがあるかわかったもんじゃないね。富士通に限らず、日本の多くの伝統的な企業には役職離任という制度があって、定年より前に一定の年齢に達すると管理職を解かれて一般社員相当の身分になる。制度そのものには(

これはいわゆる「転職ブログエントリ」みたいなノリで書いていますが、まあご存知の方はご存知の通り、転職ではありません。 日本時間ではもう7月になってしまいましたが、今日、Xamarinが正式に最後の営業日を迎えます。 設立から5年と2ヶ月弱、わたしが在籍していたのは4年と11ヶ月でしたが、こうして過ぎ去ってみると、あっという間であったように思えてきますね。5年前には、わたしはまだ所在不明の国籍不明ですらなかったわけで、5年間というのがいかに短いようで長い間であったか気付かされます。5年前なんてAndroid 3.xの時代だったんですよね。 わたし自身は、今後も、業務としては同じXamarinチームのまま、所属としてはMicrosoftで仕事するということになります。Xamarinがどんな5年間を経てきたのかは、もう 十分すぎる くらい*1 書かれた と思うので、ここで繰り返すことはしません
http://www.youtube.com/watch?v=Ms-8GcZXiDA PandoDailyのSarah Lacyのインタビューの中で、GitHubのCEOのTom Preston Wernerが、GitHubを創業するまでの半生を語ってます。かなりガッツな人生です。 1999年にサマーインターンとしてスタートアップでJavaで開発をしていて、そのまま誘われて大学をドロップアウト。 しかし、ほどなくドットコムバブルが弾けて、解雇される。クビになった仲間と3人でウェブ開発の会社を起業したが、ビジネスには素人だったため、まったくうまくいかず、他の2人は諦めてあっさり就職。Tomは一人で受託開発を続けるが、あまり稼げず、8枚のクレジットカードを駆使して、$50K (500万円) ほどの借金生活。それでも、結婚して、ローンで家を買って、さらに2番目のローンも組んで、クレカの借金の支払
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