ネトウヨとオタクの親和性の高さはどこから来るのか、前から不思議に思っていたんだけど、コレ見て気づいたのは、自画自賛への異様な執着だよな。根底にある大きな共通項だわ。 https://t.co/g9VGEXkuZK

オタクが老害化したんじゃなくて、要するにダメサブカルがオタクに負けたって話じゃね? ここでいうダメサブカルっていうのは「オタクを見下しつつ、結局はアニメとかマンガとかを好きで消費してる奴」って感じで聞いてほしい。 まあ、オタクだけれど、自分はオタクじゃないとかいうやつ。 某尊師が、オタクとキモオタを分けて、「オタクはいいがキモオタはダメ」とか言ってたけれど、ああいうやつ。 要するにキモオタにダメサブカルが負けたんだよ。文化的に。 「キモオタ萌えキャラアニメなんかやってるからアニメはダメになる」 「ブヒブヒ泣いてる萌え豚とは違って俺はちゃんと文化的にアニメをとらえてる」 みたいなやつよりも、結局は好きなものを好きだといえる奴のほうが強かったんだよね。ほら、昔いたじゃん。美少女萌えの「ラブひな」とか「シスプリ」とかをやたら硬派ぶって毛嫌いして格好つけてる奴。で、「俺が好きなのはベルセルクだから

Togetterにまとめたりしてましたが、改めてこのテーマで思うところを書いてみます。最近私はこっち系のツイートばかりで、変節したとお嘆きの方がいるかもしれません。前々からこれは強く思っていて、本業(ボイトレ評論家)があるから自重していただけだったのです。 今回、この記事の続きと言えば続きです。 maoukpp.hatenablog.jp どちらかというとネットから距離を置いていた私が、Twitterを始めたのは2015年10月でした。本格的にやり出したのは2016年からとして、カルチャーショックを受けました。マツコ風に「なんだこれは!」と怒りのリアクションです。 なんでこんなレベルの低い社会評論が流行っているんだと。本・活字を読まない若者が増えているんだろうか。Twitterでバズるネタツイのクオリティはたしかに高いと思います。しかし社会評論系は…なんだこの差はと。 アルファと呼ばれる人

家事に積極的な男性ほど、職場の女性が苦手? 7月、東京都内で、男性の家事育児にまつわる「衝撃的」な調査結果について、専門家が議論するパネルディスカッションが開かれました。イクメンという言葉が流行語大賞のトップテンに入ったのが2010年。仕事の成功が男らしさの要素を大きく占めていた時代から、家事や育児にもより関わる意識が浸透するにつれ、モヤモヤを抱える父親も増えています。長年、男性学に携わってきた研究者たちがこの問いに向き合い、男らしさを再考。たどり着いた生きづらさを和らげるヒントが、「男のシェア・ケア・フェア」でした。 パネルディスカッションには、男性・父親研究のトップランナーたちが勢ぞろいしました。笹川平和財団の「新しい男性の役割に関する研究会」がまとめた調査報告書の発表をもとに語り合ったのは、座長の関西大・多賀太教授、京都産業大の伊藤公雄客員教授、お茶の水女子大の石井クンツ昌子教授です

なんだ?この馬鹿女。偉そうに講釈垂れやがってよ。「こういう営業スタイルは許されるものでは無い」ってお前はPTAの補導委員かよ? だいたいが「お酒の場を愛する」とか簡単に「愛」なんてホザク奴が一番胡散臭いんだよ。酒場は綺麗事ばかりじ… https://t.co/xM6j2IlKwX

刺身にタンポポ乗せる仕事ってきょうび言わねーな……。 プログラミングとは、勉強も運動もスマブラも下手なクソ隠キャ中学生が「俺もパソコン1台で凄い技術者になって…!」とワクワクしながら始めるものの思ったより普通に難しいし学校の試験で出たような知識要求されるしで3日で放り投げ、10数年後にnoteで「お前らは絶望的にプログラミングに向いてないからやめろ」なんて記事を書くだけのザコに成り下がる、夢と希望に溢れた技術である。 近年ではパソコンのスペックの上昇にともないできることも増え、どこのご家庭にもあるRTX2080で簡単にディープラーニングもできるようになった。Unityで3Dゲームをバリバリ動かしてもブルースクリーンは出ない。やっぱ世界を広げるのは小賢しい知恵よりもスペックの暴力だぜ。 開発環境や言語も選択肢豊富で、エディタもかつては有料クラスでも手に入らなかったような贅沢な機能が満載のもの

一億総クリエイター時代。どんな人間も、文章を書いてそこらへ発表でき、写真を撮って世に知らしめられるようになった。最新スマートフォンのカメラ機能は、今や一眼レフカメラに勝るとも劣らないほどのクオリティになったと言う。 僕には写真がわからない。日の丸構図しか知らん。手前の物にピンを合わせてシャッターボタンを押せば、何やら奥の風景がぼやけてくれるらしい。僕はよく知らん。だからあまり大きなことを言えない。 ただ、文章については言う。心から言う。思ったことを言う。言わせてもらう、じゃない。全部、俺の意思でもって、全身全霊、力を込めて、本気で言う。 なめんなよ。なめんじゃねえよ。文章表現をなめんなよ。『駄文です。ご笑覧ください』じゃねえんだよ。なんだそれ。謙遜はそんなに美しくねえよ。 “秘する文化” に美を覚えた日本人は、どうしても、自らが生み出す物、ないし自らより発する物を悪く言ってしまいがちである

昔は大好きだったけど…私はお笑い番組が好きでよく観るほうだが、最近はまったく松本人志の番組を観ることがなくなった。単に面白くないからだ。昔は大好きな芸人の1人だったし、独特のボケはまさに天才的だった。 しかし、いつの頃からか、取り巻きをたくさん従えて、ヨイショされていい気分になっている姿が見苦しく、自然と観るのをやめてしまった。 最近は何を思ったのか、「ワイドナショー」という番組で、日曜日の朝から時事問題などを語っているという。とはいえ、私はこの番組も一度も観たことがない。裏番組の爆笑問題のほうをたまにではあるが観ているからだ。 松本人志の番組は観ていないが、いろいろと雑音は耳にする。そしてたびたび炎上騒ぎを起こしているという。 今回松本人志を語るにあたって、何も知らないで語るのはいくら何でも失礼であるし、無責任であるので、さまざまな過去の炎上騒ぎを調べてみた。 「松本人志 炎上」とネット

anond:20180819023849みたいないつもの「みんなに気に入られるタイプのゲイ」が出てきたので みんなに気に入られないタイプのゲイの俺も一言言っておきたい。 ※ そういや日本はゲイにとって住みやすいみたいなことを言ってる人がいたな。それはあなたがまわりの人に恵まれてるんだよ。心底うらやましいよ。 「日本は住みやすいし俺の周りはいい理解者ばかりだし人生幸せ」って言って叩かれたゲイが居るけど、俺は彼が何でああいうこと(一部では叩かれるであろうこと)を言ったか痛いほどわかる。 叩いてるやつらは「無神経なんだ」とか「思慮が足りないんだ」とかいう認識で彼のことを叩いてただろ。 つまり「このゲイは叩いてる俺たちより馬鹿でゲイについて考えが足りないんだ」っていう前提でさ。 んなわけあるかよ、思い上がるのもいい加減にしろいっつもいっつも。 彼は元増田とは逆の人種なわけ。 グジグジしないでオープ

“つながり孤独”というキーワードを最近耳にしました。 曰く、Facebookやインスタで友達のキラキラした様子を写真や文章で見て、「自分とは違う人間だ」と思ったり、「がんばっても自分はこういう風にはなれない」と思ったりして、落ち込んだり、悲しくなったりする精神状態のことを指すようです。 フランクに表すと、“承認欲求がうまく満たされないがゆえにウツ的な気持ちになる”といったところでしょうか。 これが中学生や高校生くらいの、どうしようもない困難(自分よりすごい天才の存在を知る、どうしようもない天性の存在を知る、など)にぶつかる人が多い世代、がぶち当たっているのであれば、それも青春。と思ってなんとなく微笑ましく、そして自分自身の青春時代を思い出したりするわけなんですが、よくよくキーワードを調べていると、この壁にぶつかっているのは年代幅広く、しかも大学を卒業した社会人の大人にも多いことを知り、驚き

みなさん、こんばんは。 今日は、創作するということに関しての、個人的な考えを少しだけ絵にしてみました。作家であったりライターであったり、プロの表現家たちと日々共にお仕事をしているわけですが、以前にも創作に関して思うことが増えてきました。 軽いノリで書いていますが、個人としては本当にこう思っているのです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (うさぎ・・・・怖いぞ・・・・。) 作品のうまい下手、商売になるかならないか、に明確な線はあります。そして、それをクリアするためにみんな必死になっています。 しかし、下手だから・お金にならないからと言った理由で、表現すること自体が抑制されるのは、見過ごしておけません。また、なんらかの実績や肩書き、バックグラウンドを持たないからといって、発言者が退けられるのは、ひとつの誤りであると思います。 なんらかの表現が、何がしかの結

早稲田大学文学学術院の大学院生が、指導教授である批評家・渡部直己氏に性的なハラスメントを受けたという苦情申立書を大学に提出していたという報道があった。教授に〈おれの女になれ〉と言われた、というのだ。院生はその後大学院を去ってしまったという。教授は一報ののち、大学に退職願を提出している。 教授を糾弾することも弁護することも、この記事の目的ではない。文学(や広くアート一般)の教育現場で強圧的な言動が起こる仕組について考えてみたい。 一般化して書くと、本稿の柱は、アクの強い教師・上司のハラスメント行為など強圧的態度の背後に、じつは「恐れ」という感情がある、ということだ。 マウンティング的な指導スタイルかつて教授の前任校・近畿大学大学院の修士課程で学び、教授の授業を受けたこともある小説家・批評家の倉数茂さん(東海大学文化社会学部文芸創作学科准教授)の回想によれば、渡部教授の授業は〈自分と異なる学生

2017.08.25 17:00 「俺だってつらいんだ」に終始する男性の生きづらさ論/『介護する息子たち』著者・平山亮さんインタビュー【1】 社会学者の平山亮さんは、去る2月に『介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析』(勁草書房)を上梓されました。その名のとおり「介護する息子」の研究をとおして、介護=ケアと、庇護される立場の男性性=息子性を分析する、男性によるあたらしいジェンダー論でした。 近年、「男性の生きづらさ」を照射する日本の男性学が注目されています。その「男性の生きづらさ」の例として挙げられているのは、一家の稼ぎ手=稼得役割になることが求められる一方、「イクメン」が理想とされ、家事や育児も期待されるたいへんさです。しかし、そもそもいまだに男女が平等とは言えない状況で、その「生きづらさ」は本当に的を射ているのか? 今回は、平山さんに「男性の生きづらさ」論によってごまかさ

たまにはこんな投稿も。先日から個人的な家族旅行をビズケーション(仕事+旅行)に変えていこうと色々と考えています。 いくつかの言葉や案をブレインダンプした中で、やっぱりというか、なんというか私の溢れんばかりの沖縄愛が顔を出し始めやがって困惑しています。 別に重い内容ではないけど、ちょっと今現在32歳以下の沖縄県民は見てほしいし、一つでも共感できるところがあればシェアしてほしい。 強い言葉を扱える大人になろう言葉の力って意識したことありますか?言葉っていうのは人の行動をコントロールする力があり、また、自分の思想もコントロールする力があります。 沖縄は過去に「言葉」を奪われています。その土地の言葉というものは長年の歴史の中で文化、感情、思想が詰め込まれて共通のコミュニケーションツールとして使われてきたものです。 例えば日本人には「サラサラ」や「ひらひら」という言葉があります。この表現は日本語だか

以前に趣味で読んだ洋書の内容を紹介するシリーズ。今回の記事には自殺の話題が含まれているので、読む際には注意してほしい。 Lonely at theTop: The High Cost of Men's Success 作者: ThomasJoiner Ph.D. 出版社/メーカー: St. Martin's Press 発売日: 2011/10/25 メディア:Kindle版 この商品を含むブログを見る 今回紹介する『Lonely at theTop: The High Cost of Men's Success』の著者トマス・ジョイナー(ThomasJoiner)はアメリカの心理学者で、自殺とその予防について専門的に研究している人だ。『なぜ人は自殺で死ぬか(Why People Die by Suicide)』などの著作がある。一般向けに書かれた本であるが、ジョイナー自身が自殺

最近はようやく心身の沈滞から脱しつつあるのか、少しは本を読めるようになってきました。そこでもっぱら、積読の本を崩していたのですが、その中で珍しく、最近出た話題の本を読んでみました。それが菅野完『日本会議の研究』(扶桑社文庫)です。 日本会議といえば、安倍政権を支える保守系市民団体として、最近メディアでも注目されるようになってきました。以前からも、例えば歴史教科書問題などで、小生の見解からすれば反動きわまりない攻撃をしかけてくる連中として、何となく存在は知っていましたが、その正体はよく分からないものでした。同書はその成り立ちと主要人物の活動について、詳細に調査した書物であり、一気に読んでしまいました。 前評判どおりたいへん面白い本で、「生長の家」系の右派学生運動関係者が、その運動を継続・組織化して「日本会議」へ至り、そんな狭いインナーサークルが現政権を左右してしまっている、そんな危なっかしい

U-NOTE サイト閉鎖のお知らせ 長らくのご利用、誠にありがとうございました。 当サイトは2024年12月31日をもちまして閉鎖いたしました。 これまでのご支援に心より感謝申し上げます。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く