電子書籍の時代では、深夜の0時から新刊を購入することができる。さっそく買って、読んでみた。 ストーリーはマンネリだが、シャープな文体はあいかわらずの切れ味。ぼくやあなたが生きているのと同じ時代の池袋、その汚れた街を舞台としたストリート探偵・真島マコトの冒険を存分に楽しむことができる。 収録された四つの中短編のなかでも最も面白く興味深いのは最後の「男女最終戦争」だ。 例によって他の作品の倍の長さがある中編で、テーマはいまもネットを中心に繰り広げられる「男と女の戦い」。たがいにあいてを卑劣な悪とみなした一群の男女が繰り広げるむなしくも壮大な「最終戦争」である。 物語のなかではフェミニズムを笑い倒すお笑い芸人のファンのなかから、フェミニストをねらって硫酸をかけるアシッドアタックを実行する男があらわれ、マコトがその特定に挑んでゆく。 きわめてむずかしいテーマだと思うのだが、男性にも女性にもとくべつ

記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。 私はこの作品に特別な執着があるわけではない。なぜならば、私は最近映画のオールタイムベスト100を幾つか見繕(みつくろ)って、未視聴のものをすべて見るようにしていて、この作品はその中のひとつに過ぎないからである。なお、今年に入って見た映画の数は、生まれてから去年までにみた映画の本数を上回っているほどである。 さて、ランキングには日本劇場未公開の作品や日本語で見ることのできない作品なども含まれていて、この1999年公開の「美しき仕事」もネット配信やDVDなどのディスクでは視聴できない作品のひとつである。それが今年2024年になって日本語字幕かつ高画質で劇場公開されるとのことで5月某日に視聴してきた。というのも、この機会を逃すと次いつどうやって視聴できるかもわからないからである。 短評

売野機子『インターネット・ラヴ!』評です。別の場所にこっそり載っている文章ですが、よく書けたと思うので、ちょっと修正してブログにも載せておきます。 インターネット・ラヴ!【電子限定特典付】 (onBLUE comics) 作者:売野機子 祥伝社Amazon 1.『インターネット・ラヴ!』の設定の背景にあるもの――忘却できない傷つき・痛み 売野がこの作品において、インスタや韓国、ネイリストのような「オシャレ」なもの、あるいは「社会に包摂されたセクシャルマイノリティ」のようなものをベタに肯定して描いているわけではない点にまず注意を促したい。 では、それらの現代的なモチーフにどのような機能を持たせているのか? この問いについては、インターネットとマイノリティとの間の関係から考える必要がある。解説しよう。 かつてインターネットはマイノリティにとっての希望だった。人生の敗者復活戦の場だった。 今・

1979年に『機動戦士ガンダム』で、ロボットアニメの世界にリアリティを取り入れる新しいジャンルを生み出した富野由悠季監督。82歳にして、今なおアニメの最前線で挑み続ける富野監督のクリエイティビティの源はどこにあるのか。東京・杉並のバンダイ…

VISVIM 2000年設立。デザイナーの中村ヒロキが世界中を旅してインスピレーションを得た伝統工芸品や、受け継がれてきた技術を独自のフィルターを通して表現したクラフト感のあるプロダクトで人気を博す。そのタイムレスなモノづくりで国内外に多くの熱狂的なファンをもつ。 イザベラ・バードの苦言河毛 明治の初め、1878(明治11)年にイザベラ・バードというイギリスの女性の旅行家が日本に来て、同年の6月から9月までの3カ月、通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉を供として、東京を起点に日光から新潟県へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅したんですね。そして10月から神戸、京都、伊勢、大阪を訪ねている。こうした体験を、1880(明治13)年、『日本奥地紀行』という本にまとめています。で、そのなかでバードは、基本的には日本人と日本の文化に好意的なんですけど、日本人の洋装に関してはボロクソ、まったく似合わな

ぼっち・ざ・ろっくを全話視聴した。コミュ障陰キャ女子高生がバンドを組んで文化祭でライブするまでの物語だ。 最初に持った感想は「ロッキンオン読者から批判されそう」だった。ぼっちちゃんの承認に飢えてる感じはカートコバーンが忌避した資本主義的消費構造そのものだったので、オールドロックファンからはなんか怒られそうだなと思ってしまった。今やロックも資本主義に包摂されているのでそういう感覚を持つ人もいないのだろうけど。 あとはぼっちちゃんのあの暖かい家庭をつくった両親が娘に「ひとり」という名前を付けたのはけっこうなホラーなのではと思ってしまった。冷静に考えたらものすごく怖い。はっきり両親もロックに傾倒してると言ってくれれば娘に「ひとり」という名前をつけるのも腑に落ちなくもないのだが作中では父親がギターを持っていたという描写しかされておらず、母親にいたっては理想的なママでしかなかった。それがある意味で怖
令和『うる星』をアマプラで再生したけど、2秒以上、直視できなかった。 これは原作コミック、押井版テレビシリーズ、劇場版をひととおり見たうえでの話。完全に拒絶反応が出てる。 なぜなら、あれは時代の産み落とした作品で、あの空気感をそのままアニメにするのは、もういくらなんでも無茶だと思ったから。懐古趣味にしても中途半端だし。それだけに『ビューティフル・ドリーマー』は、とても重い作品だった。あれは原作のモラトリアムを完全に拒否したから。それで押井守がシリーズ途中で降りてからも、建前としては「るーみっく的モラトリアム」が続くわけだけど、その呪縛の中でドタバタもがくキャラは見るに堪えず、痛々しく思えた。 だから、自分は、やまざきかずお版『うる星やつら』をあまり見る気にはなれなかった。もちろん、その延長線にある令和版『うる星』も。絵はきれいだけど、すごい違和感、不快感が出てくる。 手垢にまみれたことを言

映画バイオレンス・アクションがネフリに来てたので見た。 微妙だった。 まず一つ言えるのは主演の橋本環奈は結構頑張っていた。 40点くらいのアクションはできていたと思う。 だが見ていてずっと思っていたのが「制作陣が真剣にアクション映画を撮る気がない」ということだ。 アクション中に時系列が前後する。 ハシカンがただジャンプしながら銃を撃ってるだけのショットが頻繁に使われる。 ハシカンだけが早回しになるショットが多用される。 身体が静止した状態で拳だけが複数表示される(ゴムゴムのガトリング)みたいなショットが多用される。 アクション風である。 もちろん、漫画の実写化ということであくまで”漫画風”にこだわったと好意的に取ることもできる。 だが、それよりも「この制作陣は自分たちにアクション映画が撮れると信じられてないんじゃないか」と感じた。 「俺たちは日本で”悪女(韓国のアクション映画)”を撮る」「

はいどーも あでのい です! いやー、とうとう完結ですよ劇場版Gのレコンギスタ! この人類史上に残る一大事を目前にして、このブログ、直近記事が刃牙シリーズ、麻雀漫画、シン・ウルトラマンですよ? 一体何のためのブログだと思ってんすかね本当。忘れてる人のために言っときますが、このブログは元々Gレコ感想用ブログです。忘れないように! という訳で今日は漫画『チ。-地球の運動について-』の感想です。 チ。―地球の運動について―(1) (ビッグコミックス) 作者:魚豊 小学館Amazon この度最終巻の発売に加えてアニメ化も決まったとのことでめでたい限りですね。全8巻できれいにまとまってるのもおすすめしやすいポイントです。 でまあ、なんですけど、今日はちょっとこの大人気漫画の『チ。』を、私の持てる限りの全身全霊をもってして可能な限りボコボコにしてやりたいと思います。 やー、遂に書いちゃったよ作品批判

All About ニュース ライフ映画ポスターの「右肩上がり手書き文字」はなぜ流行っている? 作品の“エモさ”を引き出す理由を分析してみた映画ポスターの「右肩上がり手書き文字」はなぜ流行っている? 作品の“エモさ”を引き出す理由を分析してみた映画ポスターでよくある「右肩上がり手書き文字」はなぜ流行ったのでしょうか? その源流はどこにあるのでしょうか? 受け手に与える印象や、映画以外のケースも含めて、複合的に分析をしてみます。※画像出典:(C)2019『愛がなんだ』製作委員会映画ポスターの「右肩上がり手書き文字」と聞いて、ピンと来る人はいるでしょうか。作品の“おしゃれ感”や“切なさ”、“淡さ”を表現するような筆記体の文字が右肩上がりで配置されるデザインは、映画をはじめ、近年のメディア作品のポスターや表紙などによく使用されているようです。 「右肩上がり手書き文字」の映画ポスター例 少

以下の文章は全て個人的な見解です。権利者の方々による指摘や、個人的な気付きによって、予告なく変更・削除する可能性があります。 また、視界が狭い人間なので、色々とご指摘いただければ幸いです。 ◆0.前提・A~Dシート、プレイ済み。 Pシートは本稿に含めない。 ・1~2人プレイ(とは言っても、ゲーム内容には関係がないが)。 ◆1.概要・ゲームの流れ 大型の紙ペンゲームだ。6つの領地が円形状に配置されており、そこを統治者と呼ばれる駒が時計回りに回っていき、その駒と自身の領地(ゲーム開始時に決定され、ゲーム中は固定)との距離により、建物を建築する制限(シートによるが基本的にはコスト増)が変わっていくのが特徴と言える。 ラウンドの開始時には、カードが捲られ、そこに記された建物の種類に応じて、牧草の資源が得られる。そして、各自アクションを1回行う。 アクションは(シートによるが)基本的には4つだ。 ま

最近話題のタコピーの原罪を13話まで読んだ。正直、途中から読んでいられなかった。自殺、いじめ、毒親・・・の中に放り込まれた善意の空回り 描写が生々しいのもあるし、僕自身学生時代にいじめというかいじられというかそんな経験があるので「いじめ物」は正直あまり好きになれない。なので「聲の形」もあまり好きではない。世界が優しくないなんて今更言われたところでなんだっていうのか、と考えてしまうのである。もちろん作品自体は大変に面白く示唆に富んだものであることは間違いない。けれど読んだ時に思わざるを得なかった個人的な感情をあえて書いていきたいと思う。 善悪を描写する時によく引き合いに出されるいじめではあるけど、善悪では語れないという描写そのものが果たしてどれだけいじめ当事者の救いになるのだろうか・・・正直言えばそんなことを思ってしまった。タコピーの原罪に関するネット上の反応を見ていると「単純な善悪で語れ
「誰かがふと思った。生物(みんな)の未来を守らねば…」 これは、岩明均の漫画『寄生獣』(講談社) の冒頭に登場する有名なフレーズだ。 ここでいう「みんな」とは誰のことだろうか。人によって「みんな」の範囲は家族や友人だけかもしれない。現代人の多くは同じ国に住んでいれば「みんな」と感じるかもしれないし、もっと大きく人類すべてを「みんな」と思う人もいるだろう。 そして、人類以外の哺乳類も「みんな」の枠内だと考える人もいる。「みんな」の範囲は、時代によっても変化してきただろう。人間はいつだって「みんな」を守るために戦ってきたとも言える。ただ、「みんな」の範囲が違っているだけだ。 現代は、気候変動による世界的な大災害の多発などもあって、「みんな」の範囲がかつてなく拡大している時代と言える。地球全体の「みんな」のことを考えないと生き残れないという感覚が広がっている。だが、それほど巨大な視点で「みんな」

空前絶後の大ブームになっている鬼滅の刃ですが、これだけ大ムーブになるといまさらになってから見て語り始める人がわんさか出てきますね。 私はこの作品に関しては ・他人からの紹介で読み始めるまでまったく注目してなかった ・過去記事の感想が途中まで「間違いなくおもしろいけれど傑作だとは思わなかった」 だったので、完全に「全く見る目がなかった」のが自分でわかってます。 なので、この作品についていまさら何かを語れることないなーって感じですね…… ただ、自分の中で明らかに評価が変わっていっている、という 変化をちゃんと記録している、という点では参考になると思うのでそのあたりを参考にしていただければなと思います。 6巻まで出てから読み始めた 私がこの作品を読み始めたきっかけは鬼滅の刃が6巻まで出ていた時に「なんか最近のジャンプでこれ読むべしってマンガある?」って聞いたらズイショさんが「鬼滅の刃よめ」って言
君がある映画を見て、それがとても面白かったとする。 その映画の面白さについて誰かに話してしまいたいから、そこにいた友人を見つけて猛烈に語り出してしまったとしよう。それが、おなじ映画を見て、おなじように面白いと思った人で、あまりにも言葉足らずな「○○がよかったよね!」という言葉に、心強く賛同してくれるなら話は簡単だ。「ガルパンはいいぞ」的に言葉を交わしていればいい。 けれども、相手が違うところに面白さを見出している人だったらどうする? そもそも見ていなかったら? あるいは見たとしても、面白いとも思っていなかったら? むしろ激しく嫌っていたら? そんな困難な状況にあって、それでもその映画の面白さを伝えないといけないとしたら? そんなときはどうしよう? こういう事情から、人は言語化という作業に移ることになる。友達に話すのでもいいし、こうしてブログ記事に書いてもいい。感想やら批評やらといった言葉を
POPなポイントを3行で藤本タツキが『ルックバック』で描いたもの 精神疾患を巡る批判と修正は妥当だったか? 「銃の悪魔」にも共通する現実的スティグマ ああ、わたしが昔の月日に戻れたらよいのだが、 神がわたしを守ってくださったあの日々に。 そのときには、彼の灯火がわが頭上に輝き、 彼の光によってわたしは暗闇を歩んだ。 『ヨブ記』第二九章 『ファイアパンチ』『チェンソーマン』で知られる漫画家・藤本タツキ氏が、集英社『少年ジャンプ+』で公開した読み切り『ルックバック』。 公開直後から大きな反響を呼んだ143ページに及ぶ傑作は、しかし、一部の反応を受けて本編の内容に修正が加えられた。藤本タツキ著『ルックバック』については、発表後、8月2日に内容を一部修正いたしましたが、9月3日発売のコミックスにおいて、著者の意向を受けて協議のうえ、セリフ表現を変更している部分がございます。 ご理解いただきます

デザイン盗作・「ルックバック」の藤本タツキは天才ではない。あるいは少年ジャンプの才能枯渇問題 - フロイドの狂気日記 集英社作家の「オマージュ宣言」はアイデア収奪の正当化 - フロイドの狂気日記 id:lady_joker氏への手斧。あるいは天才・藤本タツキとエンブレム佐野の違いについて - フロイドの狂気日記藤本タツキ「チェンソーマン」と一部に読み切り「ルックバック」について語る。本当は語ることはなかったんだけど、藤本タツキ天才論を否定しているだけなのに、作品全部を否定していると感じられたっぽいので、ちゃんと魅力について言語化してみようと思う。ファイアパンチは1巻しか読んでない。 ちなみに冒頭のエントリlady_joker氏への手斧では、ほとんど全て「チェンソーマン」主人公デンジのセリフや口調を改変して記事ができている。にもかかわらず、1人以外に指摘した人がいなくて悲しい。藤本タツキは

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