1979年は日本のアニメ史の中でも特別な年でした。長年かけて地中に蓄えられていたアニメファンという水脈に『ヤマト』が穴を穿ち、一気に噴き上がった水流の上に鮮やかな虹がかかったような、そんな奇跡的な年だったのです。 劇場アニメでも歴史的な傑作が次々と誕生しました。3月には東映動画の『龍の子太郎』。これは東映まんがまつりの一篇で75分とやや短めではありましたが、監督を巨匠・浦山桐郎さんが務めた異色作で(アニメーション監督は葛西治さん)、主人公の母の声を浦山監督ゆかりの吉永小百合さんが担当されたことでも記憶されます。そしてアニメファン的にはキャラクターデザインと作画監督を東映動画出身の小田部羊一・奥山玲子ご夫妻が務めていることが一番の喜びです。お2人がそれぞれに東映動画を退社されて幾歳月、かつての古巣に戻られて健筆を揮われたことはアニメの歴史がひと回りしたかのような感慨があります。森康二さん以来
昨日『王立宇宙軍 オネアミスの翼』に関する記事のコピーを入手した。前回の原稿で「どうして当時、あんなに戸惑ったのか」について書くと予告したが、その前に、この記事に触れておく。「キネマ旬報」1987年3月下旬号に掲載された対談記事「山賀博之VS宮崎駿 現実からはみ出した部分で 何か新しいものが見えるとき」だ。ちなみに、宮崎駿は『王立宇宙軍』の企画成立に、ほんの少しだけ関わっている。 まず、対談の冒頭部分を引用しよう。 宮崎 「オネアミスの翼」を見て、よくやったと思って感心したの、俺。はったりとかカッコつけみたいなものが感じられなくて、正直につくってるなと、とても気持ちよかった。 山賀 ありがとうございます。 宮崎 内容については、ものすごく感心した所と、これでいいのかという部分があるけれど、この映画が、若い同業者の諸君に、非常に大きな刺激になると思ったんです。賛否両論、激しく分かれるかと思う

『三千里』は完全連続の全52本、正味約20時間の大河ドラマであり、マルコを中心にした人間群像劇でもあります。その描写は一面的ではなく、主人公マルコにしてもよくある健気なよい子ではなく意固地な面を持っているように、周囲の大人も子供も、立派な面も弱さも欠点も持った血の通った人間になっています。単なる悪役や善人ではなく、それぞれに彼らなりの背景を持っています。だからどんなエピソードでも描写は卑しくなく、物語に厚みを与えているのです。 例えば第40話でマルコに罵声を浴びせる執事にしても単に冷酷な人間ではなく、不況の中で糧を求める移民たちがなだれ込む情勢に古くからの住民は迷惑を被っているという社会背景があります。 そんな中でマルコに示される善意は、移民が集う店「イタリアの星」でのそれのように、互いにぎりぎりの生活の中での共感からのものであり、それゆえに見る者の心をも打つのです。そこに地元民の、街の人



「崖の上」といえば、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーの以前からの発言に違和感がある、とテレビ局下請けスタッフが明かす。 「宮崎駿と自分の関係が、『ゲド戦記』以来、あまりよくなかったと公言している。その距離を縮めるために、密着取材をしていたNHKのディレクターに毎日メールで、宮崎監督のその日の様子を報告させていた、というんです。鈴木さんには名案なんでしょうけど、NHKのディレクターを結果的にスパイのように使った。いかがなものか、という声があります」 生々しい裏話ではある。 【関連記事】 ・ 宮崎監督提案の公園デザイン展 ・ 新作「アバター」 宮崎アニメにオマージュ J・キャメロン監督 ・ “ジブリの絵職人”が原体験描く 男鹿和雄「秋田、遊びの風景」展 ・ 「ポニョ」「ATOM」アカデミー賞候補! ・ガンダムが30年ヒットした秘密 富野由悠季監督に聞く(1)

『プロジェクトA子』は、『うる星やつら』等で活躍していた若手アニメーター達が中心になって作ったオリジナル作品だ。登場人物の大半が女性で、少女達の三角関係(のようなもの)を主軸にしたギャグアクションである。劇場作品ではあるが、アニメマニア向けの作品が、TVからOVAに移行していった時代を代表するタイトルだ。作品中でクレジットされる本作のタイトルは『PROJECT “A”KO』であり、リスト制作委員会的な表記法でいくと、そのように書くべきなのだが、あまりになじみがない表記なので、今回からの数回は『プロジェクトA子』と書くようにする。 作品そのものについて書く前に、この作品についての宮崎駿の発言について触れておきたい。僕達の世代のアニメファンにとって、『プロジェクトA子』は、宮崎駿が批判した作品としても印象に残っている。この原稿を書くために「COMIC BOX」のバックナンバーをネットの古本屋か

『天空の城 ラピュタ』には「人間と自然の関係」についての問題意識が込められている。結果として単純明快な冒険活劇にならなかったのは、そういった重たいテーマを扱ったためとも言われている。僕も公開時に、そうなのだろうと思った(今はそういったテーマを扱いつつ、もっと活劇の部分を押せたのではないかと思っている)。また、問題意識があったからこそ、単なる冒険活劇で終わらず、厚みのある作品になったという評もある。 アニメージュが編集した「劇場アニメ70年史」の本作解説を引用しよう。『ラピュタ』について詳しいアニメージュのスタッフが書いたものだ(念のため記しておくと、鈴木敏夫編集長の原稿ではない)。 [解説]「ナウシカ」に続く宮崎駿原作・脚本・監督作品。企画当初は単純な冒険物語だったが、脚本・絵コンテと積み上げていくうちに、やはり現代性を色濃く反映して「人は大地と離れて生きられない」とのシータの叫びで、冒険
『天空の城 ラピュタ』は宮崎駿監督の劇場アニメであり、スタジオジブリの第1回作品だ。『風の谷のナウシカ』に続いて、彼が原作としてもクレジットされているが、今回は先行して発表されたマンガ作品は存在しない。作画監督は丹内司、美術監督は野崎俊郎、山本二三。1986年8月2日公開。登場人物や物語については、今さら紹介するまでもないだろう。 2010年の現在、この作品の人気が非常に高いのは知っている。スタジオジブリ作品で、一番支持率が高いタイトルかもしれない。それが分かっているので、言いづらいのだけれど、僕は『ラピュタ』があまり好きではない。ロードショーで観た時には、ちょっとがっかりした。また、似た感想を何度か耳にした。少なくとも、公開時に僕の周りで(いずれも、当時20歳以上のマニアックなアニメファンだ)絶賛している人間はいなかった。 興行的に見ても、少なくともロードショー時に、大ヒットはしていない

鈴木敏夫のジブリ汗まみれ。鈴木敏夫庵野秀明対談がめちゃくちゃ面白かったのでめんどくさいのにもかかわらず書きおこしてしまった。庵野さんが宮崎駿を愛情深くめった斬りにしているのがおかしくて。 鈴木敏夫・もののけの時ね、もののけ姫どうだった?と庵野に聞いたら、レイアウトがダメになったって。 庵野秀明・ダメでしたね~。よく宮さんこのレイアウト通したなというくらいダメだった。 鈴木・かなり自分(宮崎駿)で書いてるんだけど。 庵野・いや~ダメですね。レイアウトはかなりね。レイアウトが世界一の人だったのに。 鈴木・レイアウトマンだったものね。 庵野・あの空間のとりかたのなさというのはちょっと・・・あれは年を取ったのかな? 鈴木・空間がなくなっちゃったんだよね。 庵野・すごい平面的になって 鈴木・そうフラットになっちゃった。だからすごいのはお話の方で、絵の方はどっちかというとサラッとしてる。 庵野・あれが
若い方には、「安彦良和」が何者だったのか、という点について、ピンとこない方もいるかもしれない。 「安彦良和」は、わかりやすくいえば、「宮崎駿より前に宮崎駿になろうとした男」である。もちろん「なれるだけの才能」のある男でもあった。 昨今、日本テレビであるとか、フジテレビであるとか、ポスト宮崎を探している観がある。 候補に上がっているのは、庵野秀明と、細田守あたりである。 この両者には、たしかにポスト宮崎たる資格がある。アニメをアニメファンだけのものにしなくない、という強烈な意志が両者の監督からは伝わってくるからである。これに『東のエデン』や『新子』の監督などを加えてもいいかもしれない。ポスト宮崎をうかがう監督がこれだけいることはアニメ界にとっても日本経済界にとっても慶事といっていいだろう。 ただし「狭い意味」で、これらの監督がポスト宮崎の位置につけるか、というと、根本的に無理な話でもある。


◇YOSHIYUKI TOMINO <67年に虫プロダクションを退職してフリーになって以降、プロダクションの発注で、絵のコマとセリフを入れる「絵コンテ」を数多く手掛け、「コンテ千本切り」「さすらいのコンテマン」の異名をとった。そしてテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」(74年)や「母をたずねて三千里」(76年)の絵コンテを担当し、両作品の監督だった高畑勲さん(74)とアニメーターだった宮崎駿さん(68)に出会った。その仕事ぶりは衝撃だった> 自分では多少演出ができると思っていたけど、フリーになってプロダクションを渡り歩いて仕事をしていると、「お前の絵コンテ、ひどいよね」と言われる意味もわかるようになりました。そこで高畑さん、宮崎さんに出会って、物語を次の世代に伝える仕事が持っているスリリングさを見いだせました。 お二人は子ども向けに作る気がさらさらなかった。子ども相手なのに、かみ砕いたセリ

「先輩。新聞とは珍しい。鞆の浦ですか。」 「ここしばらくポニョのことを考えてたんだけどさ」 「ほう…去年の映画ですが。長いですね」 「崖の上のポニョ、見た時はどうも何の話をしてるのかよくわからなかったのだけれど、最近やっとひとつ考え方を思いついた。宮崎駿先生が、子供をはげます映画を作るんだ、とおしゃっている線での考え方だ」 「ふむ? はげます。『出発点』でそんなことをおっしゃってましたね。えーと、 シャーロック・ホームズのある話に、ワトソン博士が「君は人類の恩人だ!!」と叫ぶくだりがある。そんなふうに世界を考えられたらどんなに楽だろう。… 残るは、他のジャンルがそうなっているように、職業意識しかない。ロボットの兵士だから戦い、刑事だから犯人を追い、歌手を志望しているのだから競争相手に打ち勝ち、スポーツの選手だから努力するのである。あとは、スカートの中への関心か、ズボンの中へかくらいになって
以下は、2008年の9月18日におこなわれた高畑勲の特別講演、『アニメーションにおける空間表現について』を見てきた時に書いた感想文です。初出はSNSへの投稿ですが、ナカナカ勉強になったので、ここでオープンにしておきます。 宮崎駿に多大な影響を及ぼしたと言われる高畑勲ですが、演出方法や考え方について彼の口から直接語られる機会はそう多くないのでとても貴重です。備忘としてメモしたものを全部そのまま載せますが、ちょー長いので興味ない方は早めにスルーしてください。あと、自分の勝手な解釈もありますので下にあるのが即ち講演内容とは思わないでください。 今回講演依頼を承諾した背景 スタジオジブリ以前の作品(および演出方法)について言及・解説する機会がなかったから一度まとめておきたかった。 レイアウトとはコンティニュイティ(絵コンテ)を補足・決定するもの アニメーションを撮ろうとした場合、決定しなくてはなら

昨日のエントリの続きですが、実はコメント欄で俺が書きたかったことはほぼ書いてしまいました。以下に採録しますが、盛大にネタバレを含みますのでご注意ください。 http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/takekumamemo/195/26-29 (以下採録。一部文章を訂正してあります) 26 : たけくま ★ 2009/09/12(土) 01:23:08 ID:??? 俺が最初エントリで書こうとしたのは、「俺が監督だったらこうする」というものでした。創作に正解はないので、あくまでも「自分なら」ですけどね。 俺が作るとしたら、たとえば田舎の大家族のドラマと、電脳世界の出来事を、はじめは全然関係ないパラレルな出来事として描いていく。田舎の90歳のおばあちゃんを中心にした旧家の大家族の儀式(犬神家みたいな)と、それとは関係なく電脳世界の出来事が進んでいて、そっ
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