娘が絶賛、「となりのトトロ」大ブームである。 なぜかわからないが、アニメ映画を観たことがなかったはずの段階からずっと、「おうち、トトロ、いた」と両親に報告し、毎晩小さいトトロが我が家に遊びに来て、ダイニングテーブルの下でビールを飲んでいた、という荒唐無稽な話を繰り返している。 おそらく保育園でトトロの存在を知り、まぁ幼児によくある妄想をしていたのだろうが、金曜ロードショーで映画を観てからは、文字通りトリコで、ほとんど毎日その世界に浸っている。 母である私も、この2か月は人生最高のペースで「となりのトトロ」を鑑賞している。 自分が幼児だった頃から、慣れ親しんだキャラクターとストーリーだが、娘を膝にのせて観るトトロには、まったく新しい感慨が湧いた。 今回はその気づきを書いてみたい。 トトロに会えるパスポートほとんどの方が周知であると思うが、一応書いておくと、この物語はサツキとめい、どちらも「5

シングルマザーの家庭を「特殊な環境」として報じたがるメディア川崎で起きた中1リンチ殺人事件、残忍なやり口に憤怒しか湧かない。シングルマザーとして5人の子供を1人で育ててきた上村遼太さんの母親は、我が子の通夜を行なったその日に、マスコミに向けてコメントを発表している。 「遼太が学校に行くよりも前に私が出勤しなければならず、また、遅い時間に帰宅するので、遼太が日中、何をしているのか十分に把握することができていませんでした」と働き詰めだった自分を責め、「事件の日の夜、一度は外に出かけようとするのを止めることができたのだから、あのとき、もっともっと強く止めていれば、こんなことにはならなかったと、ずっと考えています」と最後の後ろ姿を止めなかった自分を責めていて、ただただ胸が痛い。 こうした猟奇的な少年犯罪が起きると、メディアは犯人側ばかりか、被害者側にまで「普通の家庭と違うところ」を探し出し、視聴者

曽野綾子氏の『人間にとっては成熟とは何か』は「2013年・年間ベストセラー」の総合7位を記録した(トーハン調べ)。曽野氏の言い分のテッパンである「戦争中に比べれば今はなんて贅沢」「途上国に比べれば日本は恵まれている」「若者や女性はなんでも社会に権利を求めるな」というテーゼは、どの本でも共通している。チェーン店のように、どこで何を開いても同じ味を出してくる。最近の日本人(特に若者)は甘やかされている、とする彼女のスタンスが暴走したのが、この夏の週刊誌で物議をかもした「女性社員は子どもが産まれたら会社をお辞めなさい」という時代錯誤も甚だしい見解だった。さて、年の瀬、『週刊ポスト』新春合併号に掲載された曽野氏の年頭エッセイ「浅き夢見て」を読んで卒倒、浅い夢なら醒めてくれと個人的な卒倒だけでなんとか済ませようと踏ん張ったのだが断念、曽野氏の薫陶が世に受け入れられている現状を知れば、そこに懸念を向け

私は気が弱い。およそプレッシャーというものが苦手で、受験競争がいやで高校を辞めたほどである。みなが一心不乱に勉強している図書館に行くとあらがい難い眠気を覚える一方、騒然とした駅のベンチでにわかに学習意欲を覚えることもある。高校を辞めた後も、半年ほどぶらぶらしていると、次第に学習意欲が湧き、毎日英書を読んだり、古典語を勉強して過ごすようになった。そういうあまのじゃくな人間が何かを選択するとき、競争の少ない、ひそやかな分野に心惹かれるのかもしれない。 高校を辞めたころは、多くの青年がするように、ひとは楽しくもない人生を何のために生きるのかということをよく考えた。自分の人生の難問に取り組むことなくしては、実用的な学問を修めて世の中を渡っていくのは無意味だと思ったので、大学に行きたいと思い直したときから、人文的なことが学べる学部に行こうと心が決まっていた。計画どおりにならない人生だから、天の導きに
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