2020年の6月末にBreadartというパン屋をオープンしました。 パンをつくり始めたのは2018年から。身近な人に美味しいと喜んでもらえるのが嬉しくてハマってしまいました。パンづくりは科学的で大変に奥深く、エンジニア気質の自分に合っていたのか、のめり込んでしまい、理想のパンを追求して毎日試作するように。 2019年頃から自分のパンづくりが世の中に通用するのか試してみたいという気持ちが強くなりました。業界未経験でわからないことだらけなので、ウェブで調べたり本を読んだりセミナーに通ったりしながら事業立ち上げの準備を進めてきました。同時に自分がパン屋をやる意味は何なのか、何を得て何を失うのか、ということを何度も何度も自問自答しました。 最終的には複業という形でスタートすることを決めました。週の内訳は会社勤めが4日、パン屋が3日(準備1日、営業2日)。そこに至る経緯をつらつらと書いてみたいと思

厚生労働省の官僚として、女性政策や障害者政策に携わり続けた村木厚子さんの履歴書を深堀りします。育児とハードな仕事の狭間での葛藤。予期せぬ逮捕と、やがて手にした無罪判決。そして、事務次官へ。激動と呼べる半生を村木さんが振り返ります。 長年に渡り官僚として女性政策や障害者政策に携わりながら、予期せぬ逮捕で罪に問われ、裁判で無罪が確定し、復職。その後、女性としては史上2人目となる厚生労働事務次官(国家公務員の最高位)を務めた村木厚子(むらき・あつこ)さん。こうした履歴を目にすると、私たちはその人に「不屈の人」という印象を抱きます。しかし、村木さんはご自身を評して「平凡」と語ります。 「平凡な人間でも、職業人生を全うできることを証明したかった」と語る村木さんの言葉から見えてきたのは、激動と呼べる半生とは裏腹のしなやかさ、そして逆境にあっても決して失われなかった信念でした。 「志なんてなかった」消去

去年に専門学校の学生さん向けに講演した資料で、それ以外には未発表のスライドです。デベロッパーのキャリアとしてのエモい話になっているのでデブサミ向けにいいかな、と思って公募したところ落ちた!(←微妙にショックだった)のでずっとお蔵入りで眠っていたのですが、このご時世ですし他で講演できるところもなさそうなので、ここで放出することにしました。 作ることが能力の向上に繋がり、キャリアにも繋がっていく。別にそれだけが唯一解ではないけれど、一つの道筋として力になれたらな、と思っています。 大量に作るというのは、いや、大量ではなくても、メンテナンスが回るわけじゃないから大変だったり、時に無責任に見えてしまう(そういうわけではないけれど大変なのです!ごめんなさい!)とか、Issueに埋もれてシンドイとか、そういう負の側面も色々あるのですけれど、それでもね、やっていくのはいいことだと思います。そしてやるから
今年に入ってから,色々と今後のキャリアのこと・人生どう過ごしていくか?を真剣に検討・行動し仕込みが終わったので言語化します(意訳:やっと言えるときがきた).本日付で, 「プロの野球エンジニア」を卒業し, 明日から「ニュース・報道業界のエンジニア」としてJX通信社で新たな挑戦をします. TL;DRエンジニアとしての仕事はそのまま, ポジションと業界を変えて新しいキャリアを築いていきます. 「生涯イチ・エンジニア」として, 終生エンジニアとしてのキャリアを歩む プレーヤーとしても, マネジメント・その他のビジネス面にしても「元気なシニア・エンジニア」として引っ張っていく このキャリアを実現するため, 「プロの野球エンジニア」としての活動は今日で終わり(本日最終出社でした) 来月(というか明日)から, JX通信社のSRE兼シニアエンジニアとして, インフラ・データ基盤のエンジニアを軸として,

こんにちは、THEGUILDのこばかなです。デザインとかコーチングをやっています。 最近ほぼ毎日コーチングをしているのですが、もっとも多いのはキャリアに関する相談で「やりたいことを明確にしたい」というテーマです。 いまは選択肢が多い時代なので、誰でも一度は「あ〜〜現状のままでいいのかな〜〜Aの方がいいかな〜〜それともBの方がいいかな〜〜」と人生について悩むことがあるでしょう。 ということで、いろんな方々の話を聞いた経験からモヤモヤと悩み続けてしまうときのよくあるパターンをまとめてみました(もちろん当てはまらない人もいるのでその前提で読み進めてください)。 やってみたいことはあるけれど、なんとなく無理だと感じる現状にモヤモヤしてるとき「本当はこうしたい」という本心に気付けないことが多いです。なぜならその本心に従うことは現実的にハードルが高いと感じていて、無意識に選択肢から除外してしまうため

騒動についてはじめに、今回の騒動について語る。ついにスラドに取り上げられたので、以下のスラドを見れば大まかには分かるだろうが、多くの人が事実を誤解していると思うので、釈明したい。 「年功序列などで働きづらい」として転職した元日立社員、転職後「日立のほうが良かった」と後悔して話題に | スラド 現職VALinuxに入社後すぐ、もう一年前のことになるが、素晴らしい功績をスラドに取り上げられて(第9回日本OSS貢献者賞・奨励賞の受賞者、発表される | スラド)、いよいよ開発者としてキャリアを始めようかという時にこの惨事なので自分の社会不適合性が嫌になる。私は過去にも散々、掲示板やSNSなどでやらかしてきた。しかし私は根っからの異常者ではない。私という人間に興味があって会う人は口々に「ふつうだ」という。ネット社会の私が、完全な異常者なのだ。ちなみにリアルの私は、自己評価になるが、極めて素敵な好青

世の中に流布している「プログラマー35年定年説」は、大きく以下の3つに分類できる。プログラマーは激務なので、35歳を過ぎると体力低下のために続けられなくなる(体力低下説)プログラマーは常に新しい情報を吸収しなければならないが、35歳を超えると脳の働きが低下して新しいことを覚えられなくなるために続けられなくなる(学習能力低下説)プログラマーは35歳を超えると開発ではない業務を求められるようになるので、技術職としてのプログラマーのキャリアが途絶える(マネージメント原因説) 以下、ひとつずつ検証していく。 体力低下説 まず1つ目の「体力低下説」だが、これについてはそれほど深く考る必要がなさそうに思える。周知の通り気力や体力には個体差があり、若くても元気がないひともいれば歳をとっても元気なひともいる。また、35歳あたりの体力低下の原因としては、単純な加齢というよりも生活習慣の要因の方が大きそ

30歳からのスタートアップを書いてるハッシーこと橋田さんに声をかけられて、先日の水曜日に、エンジニア必見!『エンジニアのキャリアを考える』勉強会 第六弾というトークイベントで、登壇してきました。 こういうのは、自分は運営とか進行で関わることは多々あったのですが登壇するとなるとずいぶん久しぶりな感じでとても新鮮でした。 登壇後に 「ちょっといいですか?」 といって参加された方から多数声をかけてもらって、ちょっとした有名人のような気分が味わえ、普段は運営者側でこういう光景を見ることがよくあったのですが、自分がそういう立場になるとは全く想像してなかったので何か不思議なものですね(^_^;) 内容の方は? 内容的にその場の会場にいた方限定の話題とかがあったので、橋田さんと後日会った時に、記事を書き起こしてるということも聞いたので細かいことは控えますが、現在の自分の心境というか状況で印象に残る話題が

Deleted articles cannot be recovered. Draft of this article would be also deleted. Are you sure you want to delete this article? 12/8/2014追記: 普通のプログラマの定義が色々と誤解を受けているようなので、日米の文化的差異を含む背景を説明しました。最後のセクションをお読み下さい。 12/7/2014追記: 推敲せずに一気に書いたので、色々と説明不足な点がある事に気づきました。補足や私のこの件に関する考えをツイートしましたので、興味のある方はそちらを御覧ください。 はじめに 私はアメリカの州立大学にて、研究助手兼科学アプリケーション開発者兼NIHスポンサードのNPOメンバーという比較的珍しいポジションで働いております。手短に言えばカリフォルニア州政府職員、つ

SI⇒Web転向に失敗するエンジニアに共通した【たった1つの特徴】 - paiza開発日誌SIerがぬるま湯なのか。。。SIerって平均的にはわりかし給料が高いけど、高給ぬるま湯ならホワイト企業ってことで、SIerへ転向進めたほうがいいんじゃないのかな。 2014/11/12 00:41 個別の転職話は正直興味ない話なのでここではおいておくとして。。。 毎度のごとく、SIer disへの誤りを指摘しておきますか。 転向者の割合を求められる水準の高さと勘違いしてはダメでしょ しかしWeb系企業の中途採用におけるSIerから転向者は22.8%であり、決して広き門とは言えない状況です。 ふむふむ。主張としては、WEB業界へ転向する人のうち、22.8%しかいないため、WEB系企業で求められる人材の水準が高い、と言いたいようですが。。。 でも、その直前にはこんなこと記載しているんですよね。。。 逆
99U:私は成功した知人に会うと、必ずこう聞くようにしていました。「あなたのキャリア戦略は?」できるだけ気軽な感じで聞きます。彼らの素の反応を見たいからです。 しかし、本当の意味で「キャリア戦略」を持っている人はほとんどいませんでした。多くの人が眉をひそめて「どういう意味だい?」と聞き返してきました。(もっとシンプルに「はあ?」とだけ返されることも) 私がこの質問を投げかけてきた理由はシンプルです。仕事で成功する確率を高めるには、戦略が必要だと信じているからです。また、戦略を作るための方法論も必要でしょう。 とはいえ、「戦略」は、人によって別のことを意味します。戦略とは「ビジョン+計画」のことだと考える人もいます。また、戦略とは「現状の最適化」、あるいは「ベストプラクティスに従うこと」だと言う人もいます。さらには、変化の激しい現代では、もはや戦略を立てるのは不可能だと主張する人もいます。

中村修二さんがノーベル賞を受賞されたことから、お祝いとともに、日本の科学技術の今後について心配する声など、メディアの方の取材の依頼を受けるようになりました。本当はフラッシュメモリがフラッシュメモリにノーベル賞が授与され、開発チームの一員、当事者としてメディアの取材を受けたかったのですが仕方ない。日本の技術者の処遇を考えるきっかけになれば良いと思います。 問い合わせて頂く内容は例えば、 「日本の技術者は虐げられているのではないか」 「ノーベル賞は日本の経済が良かった時代のもので、これからの日本の科学技術は競争力があるのか」 「日本の技術者・研究者は報われないのではないか」 「日本の大学の研究環境は悪化するばかりではないか」 「特許法の改正で特許の帰属が発明者から企業に変わることで、更に技術者のモチベーションが下がるのではないか」 個々の取材にお答えするのも面倒なので、このブログでお答えしよ
ネット上では「@higepon」のIDで知られる日本人のソフトウェアエンジニア、蓑輪太郎(みのわ・たろう)さんは、2014年9月現在、米国サンフランシスコ市内にあるTwitter本社に勤務している。前職であるサイボウズ・ラボを退職し、Twitterの日本法人へ転職したのは2年半前。ビザ手配の関係から渡米が遅れたが、1年8カ月ほど前に妻子を連れて家族ごとサンフランシスコへ移住した。 もともとエンジニアとしてアメリカで働いてみたいという憧れがあったという蓑輪さん。単に「憧れ」というだけではなく、着々とプログラミングや英語といったスキルを磨き上げて渡米したという印象が強い。「いつも当初の計画の数年遅れ(笑)」と自嘲気味に笑う蓑輪さんだが、数年単位で「憧れ」を1つずつ実現してきたことから周囲のエンジニアからも一目置かれる存在だ。 蓑輪さんは、趣味でOSや言語処理系を実装したり、IPAの未踏ソフトウ

World Domination Summitの基調講演には成功した起業家や有名人も登場しますが、人生において冒険をしている人もまた数多く登壇します。 Gavin Aung Thanさんは企業にとめるグラフィックデザイナーとして8年間活動していましたが、内面においては幸福とはいえませんでした。その仕事は彼から絵を描く喜びを根こそぎ奪いとってしまうものでしかなかったのです。 毎日、仕事場でボスがみていないときに、彼はWikipediaを開いて自分の人生よりも興味深い生涯を送った偉人や有名人のエントリーを読みふけりました。 そしてついにある日、なにかあてがあるわけでもなく、成功する保証もないのに、彼は仕事をやめてイラストレーターであり漫画家としての情熱を追求することに決めます。そのとき、Wikipediaを眺めてのサボり時間が活きてきたのでした。### 引用句と漫画 正確にいうと、Gavin

弊社の開発における考え方として「方向>開発フロー>スキル」という順番があります。 方向がずれているとすぐに数ヶ月吹っ飛ぶので向かう先をどこにするかは最も大事。 次に開発フローで、変なコミュニケーションロスがあるといかにスキルの高いエンジニアがそろっていてもスピードがあがりません。 そして最後にスキル。 そんな話を藤村くんたちに熱弁していたら、 「ゆうじ、それはプロダクティビティエンジニアって言って、職種として今後大事になってくる考え方だよ」 と教えてもらいました。 このプロダクティビティエンジニアについては、 まだ日本語での良いドキュメントが見つからず自分の言葉で説明するしかないのですが、 要はスループットを上げる事にフォーカスするエンジニアの事です。 上記に書いたようなコミュニケーションロスなどを無くしたり、 最適なツールを決定したり、issueの切り方を整理したり、 テストフロー、デプ

自分はプログラマーで、多くのプログラマーと同じように、コードを書く行為そのものが幸せであり、いつまでもコードを書いていたいと思う。 だが30を越えて、今までいくつかの会社でサラリーマンエンジニアとして働いた経験を総合するに、 少なくともこの国でプログラマーで居続けるためには起業する以外の選択肢は無いのだという結論に至った。 良いコードを書くと出世してコードが書けなくなる普通にコードを書いて、スキルを磨いて、リリースを成功させていくと、やがて肩書きがついて雑務に振り回される日々が訪れる。プログラマーにとって何よりも大事なのは連続した集中、それも出来るだけ長い時間だ。 昇進して部下が出来たり、質問される機会が増えたり、評価業務やら、上級職会議やら、採用面接やら、一つ一つは大した事が無くても、 出社時間は気が付けば断片化して切り刻まれ、一日に一時間続けて集中する事すら困難になってしまう。 もは

Photo by Joi 今回のpaiza開発日誌は片山がお送りします。 今後も技術(開発)を中心にエンジニアとしてのキャリアを歩んでいきたいなと考えている方向けに最近騒がれているフルスタックエンジニアとは何か、という事と、何故今後フルスタックエンジニアしか生き残っていけないのか?という事について書いてみました。 ■最近よく見かける【フルスタックエンジニア】とは何か? まずStackって何だろう?、というところで海外の記事などを読むと"LAMP stack"という言葉が良く出てきます。LAMPの場合、OSはLinux、WebサーバはApache、データベースはMySQL、プログラミング言語はPHP(もしくはPerl、Python)という形で組み合わせたものの事を言います。つまりOS、Webサーバ、DB、プログラミング言語の組み合わせ≒積み重ね、なのでStackという事のようです。こういった

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