地図をつくった男たち―明治の地図の物語 [著]山岡光治 日本の近代地図の始まりは伊能忠敬の「大日本沿海輿地(よち)全図」いわゆる「伊能図」なのだが、これは大変精度の高い日本地図だと評価された一方、海岸線や主要な街道以外は、点検に用いた遠方の島や高山が描かれているだけで、内陸は埋められていない、とも言われた。つまり「測量しなかったところは、空白のままとした」のだ。 明治維新後の新政府は、欧米諸国に追いつくための改革を模索する中で、もっとも基本的な情報基盤である地図の脆弱(ぜいじゃく)さに直面し、国家の急務として「地図づくり」に取り組み始めた。 より正確な地図を作るためには優れた人材が欠かせない。緯度経度といった地球上の位置を正確に求める測量を日本で最初にした福田半(はん)をはじめ、伊能忠敬以来となる日本領土の実測図「小笠原嶋総図」の作成に活躍した小野友五郎、北海道最北端の聲問(こえとい)でも

宮内庁が仁徳天皇陵として管理する堺市の大山古墳(5世紀中ごろ、前方後円墳)に、巨大地震でできた無数の地割れや地滑り跡があることが、墳丘の航空レーザー測量図を調べた産業技術総合研究所の寒川旭客員研究員(地震考古学)の指摘で25日、分かった。東海・東南海・南海地震がほぼ同時に発生したとされる684年の白鳳地震をはじめ、巨大地震の被害を繰り返し受けた可能性があるという。墳丘が崩れていることは1995

日本初の水深図発見=機密海図やペリー測量図も−海保倉庫から、公開へ 日本初の水深図発見=機密海図やペリー測量図も−海保倉庫から、公開へ 海上保安庁の東京都中央区の施設から、日本初の海図に使われた明治初頭の岩手県釜石港の水深図や、昭和初期の商船の交通量を示す旧日本海軍の機密海図などの歴史的資料が大量に見つかった。 同庁海洋情報部の移転に伴い、財団法人「日本水路協会」が2010年度から資料を整理する中で発見し、約1万3500点をデジタルデータ化した。海洋情報資料館(東京都江東区)で25日から閲覧できる。特に貴重な約190点はインターネットで公開する。 同協会によると、日本の海図の父とされる海軍初代水路局長の柳楢悦らが1871(明治4)年9月に測量した釜石港の水深図は、5階倉庫にあった。この図を基に翌72年9月、日本で初めて海図が刊行された。同年10月刊行の岩手県宮古港の海図の基となった71
国土地理院は18日、東日本大震災による地殻変動で、測量の基準となる東京都内の2種類の「原点」がずれたとして位置を修正すると発表した。地震による原点の修正は1923年の関東大震災以来88年ぶり。政府は21日、測量法改正施行令を公布、施行する。 修正されるのは、全国の三角点の基準となる「日本経緯度原点」(港区麻布台)の経度と、「日本水準原点」(千代田区永田町)の高さ。日本経緯度原点は震災前に比べて東へ27センチずれ、東経の数値を0.011秒多くする。緯度の変更はない。日本水準原点は2.4センチ沈降し、東京湾平均海面上の数値を「24.3900メートル」と改正する。関東大震災では約8センチ下がった。【安味伸一】
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