妖怪学の祖 井上圓了 [著]菊地章太 近年、井上圓了といえば、妖怪の研究者で、漫画家水木しげるの大先輩のような人だと考えられている。が、彼は明治初期、井上哲次郎と並ぶ哲学者であった。そして、彼が「妖怪学」という講座を開いたのは、哲学を民衆に説く方便として、である。妖怪といっても、今なら人が幻想と呼ぶものに相当する。たとえば、国家は共同幻想だというかわりに、国家は妖怪だというようなものだ。 とはいえ、圓了は文字通り、さまざまな妖怪現象を調査し、それが幻想であることを人々に説いてまわった。その意味で、彼は啓蒙(けいもう)主義者であった。したがって、妖怪について書いた民俗学者柳田国男は、先行世代の圓了を嫌った。ロマン主義的な柳田にとって、妖怪は消滅しつつあるフォークロア(民俗)の一種として重視すべきものであったから。しかし、実際には、圓了は柳田に劣らず全国を歩いて妖怪について調べ、それを文学的装

明治初期、小学生用の教科書「小学読本」を印刷するために作られた版木23枚が米子市内で見つかった。表紙の内容から、1874年(明治7年)頃に鳥取市の書店「龍淵堂」が県内で初めて印刷した教科書の版木の可能性があるという。版木は拓本12枚とともに、米子市中町の市立山陰歴史館で7月6日に始まる企画展「すりもの 刷物」で公開される。 版木は、同歴史館が4年前に寄贈を受けた第3代米子市長の野坂寛治氏(1889~1965年)の資料の中に残っていた。1巻から5巻までの一部で、1枚の大きさは縦約25センチ、横約35センチ。版木は表と裏の両面に文章や絵が彫られ、表紙には「師範学校編輯(へんしゅう)」「明治七年八月改正」と刻まれていた。 「龍淵堂」は鳥取市若桜町の「横山書店」の前身。同市教委の「鳥取市教育百年史」によると、学制制定で教科書が必要になることに注目し、明治7年に出版許可を政府に申請。認められ、京都か
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昨年8月上旬の記録的な大雨で岩木川、平川沿いのリンゴ園が冠水被害を受けてから1年が経過した。弘前市の被災園地では平年の収量より少ないものの、結実した果実が順調に生育し、被災農家が収穫に向けた作業に励んでいる。一方で、市は災害リスク軽減のため、移転促進に向けて農地取得の支援を実施。ただ、被災農家からは「条件が満たせず支援を断念した」「水害のない園地に移りたいが条件が厳しい」など条件緩和を求める声が上がっており、思うように移転が進んでいないのが現状だ。 昨年8月3日、9日の記録的な大雨の影響で、岩木川と平川が増水し、二つの川の合流地点に近い同市大川、青女子、三世寺などのリンゴ園が浸水被害を受けた。 市は被災農家の営農継続に向け、昨年11月から緊急対策事業を実施。農地取得費や生産資材購入費の一部といった経費支援を行っており、今年12月28日まで4項目の申請を受け付けている。その中の一つである農地
「受賞の知らせを受けた時、振り込め詐欺かと思って、ここ金ないで、って言いそうになった」と話す谷合佳代子館長=大阪市中央区北浜東のエル・ライブラリー 【阿久沢悦子】ユニークで社会的に意義のある図書館活動を表彰する「図書館サポートフォーラム賞」に、大阪市中央区の大阪産業労働資料館(エル・ライブラリー)の谷合佳代子館長(55)が選ばれた。明治期以降の関西の社会・労働運動関係の資料がそろう。前身となる「府労働情報総合プラザ」が5年前に廃止となり、府… 続きを読むこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログインする(会員の方)無料会員登録はこちら朝日新聞デジタルのサービスご紹介はこちら※有料記事の一部を自動で取り出して紹介しています。PR情報
地図をつくった男たち―明治の地図の物語 [著]山岡光治 日本の近代地図の始まりは伊能忠敬の「大日本沿海輿地(よち)全図」いわゆる「伊能図」なのだが、これは大変精度の高い日本地図だと評価された一方、海岸線や主要な街道以外は、点検に用いた遠方の島や高山が描かれているだけで、内陸は埋められていない、とも言われた。つまり「測量しなかったところは、空白のままとした」のだ。 明治維新後の新政府は、欧米諸国に追いつくための改革を模索する中で、もっとも基本的な情報基盤である地図の脆弱(ぜいじゃく)さに直面し、国家の急務として「地図づくり」に取り組み始めた。 より正確な地図を作るためには優れた人材が欠かせない。緯度経度といった地球上の位置を正確に求める測量を日本で最初にした福田半(はん)をはじめ、伊能忠敬以来となる日本領土の実測図「小笠原嶋総図」の作成に活躍した小野友五郎、北海道最北端の聲問(こえとい)でも

ハーンの授業を書き写した中土義敬氏のノート。腕や手のイラストもある=富山大学付属図書館ラフカディオ・ハーン=富山大学付属図書館提供 【大坪実佳子】明治の文豪、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲、1850〜1904)が、熊本の第五高等中学校(現・熊本大学)で英語教師をしていた時代の授業を書き写したノートが見つかり、富山大学付属図書館(富山市)などが翻訳、一冊の本にまとまった。ハーンの熊本時代の記録はほとんど残っていないとされ、研究者は貴重な資料と評価している。 本は「ラフカディオ・ハーンの英語教育」。3月末に出版された。ハーンは1891年から3年間、熊本で英語教師をしており、生徒だった倫理学者の故友枝高彦氏が書き写したノートが基になっている。 ハーンの英語教育を広めるために出版しようと、友枝氏のノートを教え子が写し、それを出版社「北星堂」の創業者、中土義敬(よしたか)氏が書き写していた。し
明治演劇史 [著]渡辺保 維新後、能や歌舞伎がどう変化し、新しい演劇がどのように出現したか、政治や社会の動きとともに生き生きと見える一冊である。 二〇〇九年刊の同著者による『江戸演劇史』上・下は約三百年の時間を駆け足でめぐる長編で、能、浄瑠璃、歌舞伎、音曲、舞踊、遊郭の有機的な関係を書いた名著である。ものごとが飛躍する所には必ず優れた個人がいることを痛感させられる本でもあった。本書はその続きである。やはりジャンルを縦横に走り巡り、そこに明治という時代が浮かび上がる。その要には実に興味深い個人が、まるで役者のように浮かんでは消える。 明治演劇とその時代の特徴については、著者が「エピローグ」で見事にまとめている。そして本書全体からは人の息づかいが聞こえる。たとえば能の零落と新生。幕藩体制が消滅したとき、そのもとで生きてきた能役者たちは職を失い零落しながらもその中から、何としてでも能を続けようと

メインコンテンツに移動 購読申し込み 7日間無料お試し closeQRコードリーダーをQRコード読み込み結果 � � V P��� V Ц�� V ���� V 熊日からのお知らせ 第71期 肥後本因坊戦《熊本市・上益城予選出場者募集》 第50回 郡市対抗熊日駅伝 2月11日(日)9時、天草市役所前スタート 第71期 肥後名人戦 熊本市・上益城予選 《出場者募集》 RKK開局70周年記念 ミュシャ展 マルチ・アーティストの先駆者 熊日ジュニアゴルフプロジェクト《4期生募集》 ホーム ニュース トップ 熊本 全国 エンタメ 動画 地方選速報 天気・気象 防災・災害 トップニュース 身元不明の男性遺体 熊本市中央区のホテル 山鹿市の川で男性死亡 能登地震からの復興、熊本の経験を 被災地支援続ける直江さん(金沢市) 長期支援「一緒に考えたい」 最強阿蘇、選手発掘し10連覇【たすきつないで半

天一一代―明治のスーパーマジシャン [著]藤山新太郎 日本の奇術業界の草分け的人物の評伝である。著者自身も伝統を引き継ぐ奇術師で、先達の素顔を明らかにすることにより、奇術の歴史やそこに関わった人たちの哀歓を正直に記録にとどめようと意図していることがわかる。 とにかく松旭斎天一(本名・牧野八之助)という奇術師は、破天荒な性格であったらしい。著者は「天一の話は話半分に聞かなければならない」といった表現をしばしば用いる。幕末に下級武士の子として生まれ、悪童育ち、そのうち芸人と接して音羽斎(おとわさい)某という手妻(てづま)師(奇術師)の弟子になる。名のある人からは断られたのだとか。 しかしこの師匠のもとで水芸を身につけ、一座を率いるほどにのしあがる。当初はイギリス帰りと偽るなど、その前半生が奇術のようなものだ。やがて実力をつけて、中国やアメリカでも人気を博す。弟子たちの葛藤を含めて、著者の描く人

東大寺(奈良市)の大仏を造営した聖武天皇(701~756年)と、鎌倉時代の後嵯峨天皇(1220~1272年)の命日を1日ずつ間違えていました――。こんな調査結果を宮内庁が26日までにまとめ、「書陵部紀要」に掲載した。明治政府が1873年に従来の太陰太陽暦を太陽暦(グレゴリオ暦)に切り替えた「明治の改暦」で、命日の新暦換算を誤ったのが原因。約140年間、命日を間違えたまま祭祀(さいし)を行い、庁

「島民解放」熱く願い 奄美のロシア文学者「昇曙夢」の企画展 2011年12月28日 00:48 カテゴリー:九州 > 鹿児島 高名なロシア文学者で鹿児島県・奄美群島の日本復帰運動にも尽力した昇曙夢(のぼりしょむ)(1878-1958、本名・昇直隆(なおたか))=写真=を特集した企画展が、同県奄美市名瀬古田町の県立奄美図書館で開かれている。多数のロシア文学を翻訳し、奄美の歴史書のバイブルといわれる「大奄美史」も執筆した功績と生涯の一端を知ることができる。入場無料。来年1月9日まで。 昇は、加計呂麻島の同県瀬戸内町芝で生まれた。17歳の時、来島したギリシャ正教信者と知り合い、東京のニコライ正教神学校(7年制)に入学してロシア語を学んだ。ペンネームの曙夢は内村鑑三(思想家)の詩集に由来する。早稲田大学で教壇に立ち、作家の二葉亭四迷や民俗学者の柳田国男たちと交流した。 企画展は明治から昭和まで
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