橋下氏の慰安婦をめぐる一連の発言は、13日午前の囲み取材から始まった。 橋下氏のこれまでの発言 橋下氏は記者団に「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている猛者集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要なのは誰だってわかる」と述べた。 この発言について朝日新聞は13日付夕刊(大阪本社最終版)で「橋下氏『慰安婦必要だった』」との見出しで報じ、記事では橋下氏の「当時の歴史を調べたら、日本国軍だけでなく、いろんな軍で(慰安婦を)活用していた」「なぜ日本の慰安婦だけが世界的に取り上げられるのか。日本は国をあげて強制的に慰安婦を拉致し、職業に就かせたと世界は非難している。だが、2007年の(第1次安倍内閣の)閣議決定では、そういう証拠がないとなっている」などとする発言も紹介した。 橋下氏は「14日の見出し」を「誤報」とした。14日付朝刊(
2009年に書いたエントリー「理解をさまたげるモノ/誤解をまねくモノ、それと対処」で、次のように書きました。 心がけ 用語とか記号の使い方に関して、是非とも憶えておいて欲しいキーワードは次のようなものでしょう。 バラバラ -- 集団や個人によって、用法が違います。 ズボラ -- 律儀に曖昧性なく書くことは極めてまれで、省略や乱用をするのが普通です。 その場限り -- 同じ用語・記号が文脈によって違った意味で用いられます。その文脈の範囲や寿命(スコープ&エクステント)は非常に小さいことがあります。 学習の過程の最初に出会った用語法/記号法/図示法は刷り込みになるので、他の流儀に対して誤解や混乱をしたり、拒否反応を起こしたりしがちですが、分野によっては(あるいは、集団や個人によっては)驚くほど混沌としてるんで、固定的に考えているとワケワカになります。 また、特定分野の用語法/記号法/図示法を固
右の運転免許証の写真のように、一部の文字を読むことができないように(判別できないように)モザイク処理をして、(公開できない情報が一部含まれている)機密文章や個人情報が含まれた写真などを公開することがあります。今回はそんな「モザイクで隠された読めない文字」を復元し、解読する方法について考えてみることにします。 モザイク処理にも色々ありますが、今回対象にするのは「文字サイズより大きいモザイク」です。たとえば、実例を作ってみたのが、たとえば下のような画像です。こんな秘密メッセージ、モザイクが掛かっていて肝心な部分を読み取れない秘密文章の内容を、解き明かすことができるでしょうか? まず、一見して、このモザイク部分には全部で5文字が隠されているということが明らかです。そして、その前に書かれた「一番最初は」という部分を見ると、ヒラギノ ゴシックの(画面解像度上で)18ポイントの大きさで書かれている、と
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去年、たくさんの ひとたちと共同論文を かいた。まだ査読まちなので、論文として掲載されるかどうか きまっていない。なので、共同で原稿を かいたというのが正確。そのとき、障害の表記を「障がい」にしたいという意見が複数でた。それについて反対意見もでた。わたしは、どっちでも いいと おもったし、そのように発言したけれど、「なぜ「障がい」にするのか、納得のいく説明をしてほしい、そうでなければ「障害」で」ということを あとで つけくわえた。 「障がい」にするなら するとして、気になることがある。たとえば、わたしは この数年、「図書館利用に障害のある人々へのサービス」というものを 紹介しつづけている。これは、障害者に対するサービスに限定されるものではない。図書館の利用に なんらかの困難がある場合、それは、図書館側が もうけてしまっている障害であり、それを解消する責任が図書館には あるという視点に た
2012/2/2912:35 生き延びるための「障害」――「できないこと」を許さない社会 荒井裕樹 ■障害者運動の「新規参入組」? 先日、1970〜80年代の障害者運動を担った古老と、何気ない会話をしていたときのこと。障害者運動の「生き字引き」ともいわれる当の古老が、「精神」や「脳機能」の領域に障害を持つ人々を指して――話の流れでは、とくに「発達障害」(「自閉症」や「アスペルガー症候群」といった障害群)の人々のことが中心であった――「新規参入組」と称したことがあった。 たしかに「発達障害」という言葉が、一部の医療・福祉関係者だけでなく、市井の人々にも知られるようになったのは比較的最近のことである。わたしのそれほど広くはないアンテナにも、「発達障害」を持つ当事者や家族たちの活動が盛んな様子が仄聞される。今なお誤解と偏見の多いこの「障害」に関する啓発や、医療・福祉制度の整備を求める運動(この「
大阪長居公園でのホームレス排除の件。 権利を主張する前に、義務をはたせ!! 人権団体が権利、権利と叫ぶが、義務を果たしてこその権利である。 基本的に権利を主張する前にまず義務を果たせと言いたい。 権利とは義務の遂行の結果に与えられる物でしょ?ホームレスと言うものは、一切の義務と責任、権利と自由を放棄しているのだから、公園に勝手に住む権利はない。 権利は、義務を満たしてこその権利であって、義務を果たさないものに権利は与えられない、表裏一体のものと考えられる。 権利と義務は反対語であるように、権利を主張するのであれば、義務は果たさないと駄目よ。 …類似の記述は他にいくらでも見つかります。どうも僕は、この種の言い回しが権力の行使を正当化する文脈で使われるのを見るたびにハラワタが煮えくりかえるようです。ホント頭きたので、権利と義務の構成についてはこれからちょっと勉強することにしようと思います。が
「承認」の話が自分の観測範囲内でちょくちょく見られるので後出しじゃんけんをしてみる。「ロスジェネ」のシンポでも色々話が出たようだが、パフォーマンスと言えどナイーヴな議論も出たようで、またいくつかの議論はその焦点がぼやけているものもある、と思ったので書いてみた。彼女が出来れば、セックスできれば、コミュニティに所属すれば、作品を認めてもらえれば、「承認」にまとわり付く諸問題は解決する、というわけではない。問題はその深層にある。 自己の連続性としてのアイデンティティ 「承認」と一口に言ってもそれは様々なコンテクストの中で語られ、また意味を持つ。だからこそはてな村で延々と議論されまた車輪の再発見をもたらしうるのだが、それではちょっとノイズが大きすぎるので、社会学者のアンソニー・ギデンズに拠って(彼の)「アイデンティティ」論に置き換えてみる。 まずは引用から。 自己アイデンティティは、生活史という観
悪いけど今回はなかよしできない。いい加減堪忍袋の緒が切れた。 「人間はコンテンツじゃない!」と叫ぶのは、結局の所「人間は歯車じゃない!」と叫んでいるのと同じだ。 程度の低い感情論でしかない。 いいか、もう一度言う。 人間はコンテンツでしかない。 コミュニケーションによってコンテンツ力が高まる おまえが何かのコンテンツに対して言及したとしよう。その時点で既にお前の発言も「そのコンテンツと同化」する。これがお前がコンテンツである大きな理由の一つだ。 俺たちがコンテンツに対して発言をしたり話題にしたりすればするほど、そのコンテンツがもつ温度は高まっていく。 ソーシャルネットワーク化したネット上では、自分でコメントを考えなくてもボタンひとつで「シャアします!」できるしな。さらに自分の友だちがそのコンテンツに対して言及してたら効果は二倍だ。気になるアイツが言ってるのって、ついついクリックしちまうしな
久しぶりにTYPE-MOONの『月姫』を触る機会があって、ふと思い出した。 昔、メイドキャラクターは虐げられた存在だった。『殻の中の小鳥』に出てきたキャラクターなどが典型的だけど、彼女達は調教や折檻の対象であり、“メイドのコスプレ”ではなく本当の意味で服従を強いられていた。メイドキャラクター達は拭いきれない悲壮感・厳格な主従関係といった絶望的距離感を漂わせているのが常で、まただからこそ、そういった障害を克服した時の喜びも大きい、という感じだった。オタク界隈にメイド属性が登場した頃、メイド達はそういう暗さを帯びていた筈だ。『To heart』のあの健気なマルチにしても、メイドロボという設定が与えられていた点は見逃せない。メイド属性は、明らかにハードなカテゴリだった。 ところが最近見かけるメイドの大半には、そういった悲壮さ・暗さが欠けている。ライトノベルやアニメにおいて、メイド服は頻出という
先日、総合病院の内科医から「死にたいと言っている患者さんがいるので診て欲しい」というコンサルトを受けた。『主訴:希死念慮』と書かれた紹介状を持って来院したのは若い女性で、診察してみると、精神疾患の兆候が全然みられない。本人は「内科の先生に精神科を受診するよう言われました。本心から死にたいわけではないです」と当惑気味。リストカットや大量服薬の既往も無く、衝動コントロールもそれほど悪くない。仕事や私生活も順調のようだった。ただし、この女性は「死にたい」がほとんど口癖らしく、ちょっと厭世的で、ちょっと夢見がちな人物ではあるらしかった。 結局、「現時点では治療は不要。何かあるなら再受診を」ということになり、女性はそのまま帰宅した。当人は無駄足だと思っているかもしれないが、この件で内科医を非難するわけにもいかない。最近は、精神科医以外のドクターも精神疾患を見逃さないよう気を遣っているし、それで早期治
発想支援ナビは、 入力した単語となにかしらの関連のある単語(関連ワード)と、 それらの関連度、利用例を一気にブラウズできるサイトです。 関連ワードは、「類語」「シソーラス」などと比べると、 語同士のつながりが非常に緩い・弱いものが多いため、 ブレインストーミング(一人ブレスト)、アイデア出し、企画会議などの、 思考の飛躍を必要とする場面での発想支援に非常に有用です。
こう言い換えろ→論文に死んでも書いてはいけない言葉30読書猿Classic: between / beyond readers を書いたとき、「あとは穴埋めしたら論文を出力してるものが作れないか」みたいな話があったので、作ってみた。 何であれ、文章を書く骨法は、書きたいことではなく、書くべきことを(そしてそれだけを)書くことである。 問題は何を書くべきかであるが、幸いにして、論文については後述するようにほとんど決まっている。 結論から言えば、以下の表を埋めていくだけで、論文の骨組みができあがる。 必要な項目は揃い、しかるべき順序で並ぶ。 論文穴埋めシート こんな簡単な穴埋め表がこれまであまり取り上げられなかったのは、わざわざ作るまでもないことも勿論あるが、その他にも次のような理由がある。 つまり、こうした穴埋め表が、 あなたは論文が書けないのではない。 研究ができないのだ。 という目の当

ITMedia: 日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) を読んで雑感。 「元」はてな好きな人間的には、日本のwebが「残念」よりも、最近のはてなのほうが「残念」な印象なんだけどなぁ・・・ なんか海外留学時代を思い出す既視感。 「俺は日本で評価されないから海外に出るぜ!」とか、「英国でアーティストになりたい!」とか、熱い俺アート論とかかました人みたい。 それでいながら、4年後ぐらいしたら「いや日本人が海外で評価されるって難しいよね」とか「夢を持つのはいいけど現実は違うよ」とか語りだして、半分リタイヤしつつも正業につかづにバイト暮らしして酒場で若者に説教する人みたいな風景。 そもそも、はてなが日本で成功したのは、あくまでSBMにしろwiki的なオートリンクダイアリの仕組みにしろ、他所で流行した優れた概念をいち早くパクッって(輸入して)カスタマイズするタイムマシン商法のバランス感覚
何を書こうか悩んでいたところ、リクエストがあったのでミステリの「文脈」について書くことにしましょう。 まあ、ある程度ミステリを読んでいる人間にとっては常識以前の知識なのですが、ミステリ、特に本格ミステリには過去から連綿と続く文脈というものが存在します。 つまり、このトリックはあの作家が生み出したこのトリックの亜流だ、とか、この犯人像はあの作品に出てくるあの犯人を思わせる、とかいう長々とした影響の系譜がある。 その系譜を延々と辿っていくとどこに行き着くかというと、天才エドガー・アラン・ポーの短編小説『モルグ街の殺人』に行き着くというのがまあ、一般常識です。 もちろん、異論はあって、中国の公案ものも本格と呼べるとか、オイディプス神話は本格にあたるとかという意見もありますが、一般的とはいえないでしょう。少なくとも『モルグ街』起源説がいちばんポピュラーであることは間違いありません。 で、その後、ド
漢検の今年の漢字として「絆」が選ばれた事に関して、どこかの新聞で、いま人と人との結びつきとして理解されている「絆」は昔は否定的な意味であったという記事を読んで、「へえ、そうなんだ」と思い、ではいつ頃から肯定的な意味に変わってここまで普及するようになったのか、ということが気になって国会議事録や朝日新聞の記事タイトルなどを検索してみた。単に暇な時に興味があって調べたというもので、特に言いたいことや結論があるというわけではない。 確かに新聞や議事録などにおける1960年代頃までの用法を見ると、「絆創膏」「脚絆」(ゲートル)など以外には、身動きが取れない環境を指して、「羈絆(きはん)」などの意味で使われていることが多い。また、「封建的な絆」「悪弊のきずな」とか、束縛や癒着・結託といった明確に否定的が意味が込められることも少なくない。「絆を断ち切るべき」という表現も散見される。これは、家畜を繋ぎ止め

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