【ロンドン=佐藤昌宏】東西冷戦さなかの1983年、サッチャー英政権(当時)が、対ソ連戦を想定した図上演習の一環として、エリザベス女王による国民向け演説の草稿を作成していたことが1日、英公文書館が公開した機密文書で明らかになった。 79年の旧ソ連によるアフガニスタン侵攻後に急速に悪化した東西関係を反映したもので、核戦争を念頭に置いた内容となっている。 女王演説の草稿は83年3月4日付。「戦争の狂気が今一度、世界中に広がった。勇敢な我が国は再び、困難を切り抜ける準備をする必要がある」と「第3次世界大戦」への心構えを国民に説く内容になっている。また、「敵はライフル銃を持った歩兵や、上空を徘徊(はいかい)する空軍兵ではなく、科学技術を悪用した恐ろしい『力』だ」と核兵器の脅威に言及した。
『いかに「基地の島」はつくられたか』 沖縄探見社 編 (沖縄探見社・1050円) 2013年04月28日(最終更新 2013年04月28日 13時29分) 『いかに「基地の島」はつくられたか』沖縄探見社編(沖縄探見社・1050円) 日米安保条約に基づく在日米軍施設の約7割は沖縄県に集中している。政府は普天間飛行場(宜野湾市)の沖縄・辺野古への移転を決めたが、沖縄県では県外移設を求める声が消えることはない。本書は膨大な研究書、資料を踏まえ、沖縄に米軍基地が集積した理由とそのプロセスを分かりやすく解説してくれる。 太平洋戦争で最終防衛ラインとなった沖縄は1945年、過酷な地上戦を体験。米軍はそのまま沖縄を占領し、すぐに基地の建設に乗り出す。50年以降、大型基地建設が本格化。ベトナム戦争が始まると、米軍は沖縄基地の機能を拡充、「基地の島」という今に続く体制が固定化していった。 沖縄の米軍基地
◇戦争(せんそう)はやってはいけない。戦争(せんそう)は人間(にんげん)を抹殺(まっさつ)しますから、いかなる理由(りゆう)があっても絶対(ぜったい)にやってはいけません。 8月(がつ)は67年前(ねんまえ)、日本(にっぽん)が戦争(せんそう)に負(ま)けた月(つき)です。戦争(せんそう)を体験(たいけん)し、生(い)き残(のこ)った人(ひと)たちは、残念(ざんねん)ながらどんどん亡(な)くなっています。最近亡(さいきんな)くなった著名人(ちょめいじん)の、平和(へいわ)への思(おも)いを伝(つた)えます。第(だい)1回(かい)は5月(がつ)29日(にち)に100歳(さい)で死去(しきょ)した脚本家(きゃくほんか)・映画監督(えいがかんとく)の新藤兼人(しんどうかねと)さんです。 ◇「一枚(いちまい)のハガキ」受賞会見(じゅしょうかいけん)で 「戦争(せんそう)はやってはいけない。戦争(せ
慰安所の行列に並んだ体験を語る男性。日本に残した恋人の存在が胸をよぎり、逃げ出したという=大阪府内 【武田肇】旧日本軍の慰安婦問題に関心が集まっているが、元兵士たちはその体験を胸に秘したままだ。敗戦から68年、葛藤に悩みながら亡くなった人も多い。語れない理由とは――。 「家族にも一切明かしたことのない話だ」。関西地方の90代の男性は6月中旬、喫茶店で記者にそう切り出した。 太平洋戦争が開戦した1941年、旧満州(中国・東北部)の国境守備隊に配属された。兵士は約1万人。ソビエト連邦(当時)と川一つ隔てた小さな町に慰安所が4軒あった。うち1軒が下級兵士が利用できる軍指定の施設だったという。「内地には公娼(こうしょう)制度があったから不思議には思わなかった」 月1回、外出が許可されると慰安所に通った。建物の特徴から「白壁の家」と呼ばれ、いつも順番を待つ若い兵士の行列ができていた。相手にす
発見されたドラム缶に記載された「ダウ・ケミカル社」(THE DOW CHEMICAL COMPANY)の社名。同社は、ベトナム戦争時に米軍にダイオキシンを含む枯れ葉剤を供給した=15日、沖縄市諸見里の市サッカー場 【沖縄】沖縄市諸見里にある市サッカー場の工事現場からドラム缶十数本が見つかった問題で、ドラム缶に世界最大規模の総合化学品メーカーの「ダウ・ケミカル社」(THE DOW CHEMICAL COMPANY)の社名が記載されていることが17日までに分かった。 同社は、ベトナム戦争当時に米軍が散布したダイオキシンを含む枯れ葉剤を供給した、枯れ葉剤製造最大手企業であることから、今回、見つかったドラム缶は、枯れ葉剤が県内で貯蔵されていたことを示すものである可能性が出てきた。サッカー場を管理する沖縄市教育委員会は17日、記者団に対し、独自にドラム缶の内容物や現場周辺の土壌を調査する考えを示し

「沖縄での枯れ葉剤汚染は今こそ明らかにされなければならない」と語る中村梧郎さん=10日、那覇市民ギャラリー ベトナム戦争で米軍がまいた枯れ葉剤による人体・環境被害を取材しているジャーナリストの中村梧郎さん(72)の写真展「枯れ葉剤と子どもたち」が、11日からパレットくもじ6階の那覇市民ギャラリーで始まる。 中村さんは22日までの沖縄滞在中、県内米軍基地の枯れ葉剤汚染の実態についても取材を進める。「あらゆる兵器や物資が沖縄を経由してベトナムに送られた。米国が言うような文書がないからという理屈では、沖縄に枯れ葉剤がなかった証明にはならない」と語り、県民に情報提供を呼び掛けている。 中村さんは二重体児のベトちゃん、ドクちゃんを世界に訴えた写真家。先天異常やがん患者が今も続くベトナムの現状を通じて、ダイオキシンを含む枯れ葉剤の使用がいかに深刻な戦争犯罪かを告発してきた。 近年は沖縄で枯れ葉剤を浴び

6月9日、ニュルンベルク裁判以降、行方が分からなくなっていたヒトラーの側近アルフレート・ローゼンベルク(写真)が書き記した日記が見つかったことが分かった。1945年11月撮影。提供写真(2013年 ロイター) [ワシントン 9日 ロイター] - 第2次世界大戦におけるドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判以降、行方が分からなくなっていたヒトラーの側近が書き記した日記が見つかったことが、ロイターの取材で明らかになった。 400ページに及ぶこの日記は、ナチスで幹部を務めていたアルフレート・ローゼンベルクのもので、ワシントンのホロコースト博物館による評価では、「日記はナチス時代を考察する上で極めて重要」とされている。またこの日記では、ユダヤ人や東欧の人々を虐殺するための計画についても詳細に触れられているという。
社会 AP記者67年ぶり名誉回復 協定破りの終戦報道は正当2012年5月5日 Tweet 第2次大戦のドイツの降伏を伝える当時の新聞のコピーを持つ故エドワード・ケネディ氏の娘ジュリアさん=2日、米オレゴン州ベンド(AP=共同) 【ニューヨーク共同】ドイツの第2次大戦降伏の際にAP通信記者が連合国軍と報道各社の協定を破って1日早く報道し、軍の非難を受けAPが記者を処分、解雇したことを、APのカーリー社長兼最高経営責任者は4日までに記者の行為は正当で処分は誤りと認め、67年ぶりに記者の名誉を回復した。 記者は故エドワード・ケネディ氏。他社の記者16人と1945年5月7日、フランス・ランスでの降伏文書調印取材を連合国軍に認められた。翌日午後まで報じない条件だったが、同日中にドイツ地方都市のラジオでドイツ当局が降伏を公表。ケネディ記者は、協定は無意味になったと判断し報道に踏み切った。 (共同通
米兵、仏女性を性的はけ口に=レイプも多発−大戦中の欧州 米兵、仏女性を性的はけ口に=レイプも多発−大戦中の欧州 【ワシントンAFP=時事】第2次世界大戦中、ノルマンディーに上陸しフランスに進撃した米軍兵士の多くが地元女性との性行為に躍起になり、トラブルの種になっていたことを示す研究書が米大学教授によってまとめられ、6月に刊行されることが分かった。ナチス・ドイツからの欧州解放の立役者となった米軍の影の部分に光を当てたものとして注目される。 この本は、米ウィスコンシン大学のメアリー・ロバーツ教授(歴史学)が著した「兵士たちは何をしたのか−第2次大戦時のフランスにおける性と米兵」。米仏両国の資料を分析したもので、同教授によれば、米軍進駐後のフランスでは、公園や廃虚などさまざまな場所で米兵が性行為を行っている姿が見られた。レイプも多発し、数百件が報告された。米兵による買春もあった。 フランス女
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