青森県の八戸市立図書館は19日、所蔵する古文書約3万点のうち167点が所在不明になっていることを明らかにした。2007年7月に所在不明に気づいたが、公表していなかった。 同図書館によると、旧八戸藩主家の南部家から寄贈を受けた江戸時代~明治初期の藩日記など49点、明治時代に旧藩士の師弟教育に使われた資料24点などで、文化財には指定されていない。 2007年7月に市民から「無くなった史料があるのではないか」と指摘されて調べたところ、197点が所在不明と判明。11~12年度に本格的に調査した結果、一部は書庫から見つかったが、167点が依然不明になっている。 同図書館は、古文書を館内にある「古文書書庫」で保管している。所在不明がわかった07年7月まで閲覧希望者は申請すれば自由に書庫に入ることができた。現在は職員が書庫から閲覧する史料を取り出すやり方に変更している。 同図書館は今後も古文書の専門知識
陥没した田地に海水がたまって巨大な“湖”が出現した。沼津藩士山崎継述による絵図(市明治史料館蔵)は「田地変じて湖水となる」と題し、赤字で安政東海地震(1854年)の被害状況を細かく記録している。 場所は沼津御用邸記念公園の北東側(沼津市下香貫清水、下香貫大久保)辺り。津波が直接到達したか、河口部から塚田川をさかのぼった津波で冠水したかは断定できない。“湖”は長さ165メートル、幅110メートル、深さ7~9メートル。三島宿の記録には「二つできた」ともある。近くで液状化による高さ5メートルの噴水もあったようだ。 狩野川河口からは3・5キロ上流部の平町まで海水が遡上(そじょう)し、水位が1・8メートル上昇した。大津波が直接集落を襲った市南部に比べ、市北部の平野部は川を経由した被害も目立つ。河口部には現在、水門が整備されている。 ただ、下香貫のように特異なケースを除けば記録は人的被害が中心。
戦時下のベルリン 空襲と窮乏の生活1939−45 著者:ロジャー・ムーアハウス 出版社:白水社 ジャンル:エッセイ・自伝・ノンフィクション 戦時下のベルリン―空襲と窮乏の生活1939—45 [著]ロジャー・ムーアハウス 第2次世界大戦の期間、ナチス体制のもとでベルリン市民はどのような感情を持ち、いかなる生活を送っていたのか。1968年生まれの英国人著述家が長年の取材と未公刊の回想録・日記を駆使してまとめた〈戦時下ベルリンの社会史〉である。類書がないだけに貴重な書でもある。 ベルリンは大戦の「恐怖をじかに経験した、ヨーロッパでごく数少ない首都の一つ」という理解を土台に据えて、戦時下市民の醒(さ)めた空気(開戦初期にはヒトラーの外交交渉で戦争終結を望んでいた)、灯火管制と配給生活、英国空軍の夜間爆撃(戦争末期には米国空軍の昼間爆撃)、ベルリン都市改造のゲルマニア計画、ラジオというメディアの登場

中国北方に10世紀にできた遼王朝で使われた「契丹(きったん)文字」の冊子と石碑がロシアとモンゴルで相次いで見つかったと中国や大谷大(京都市)の研究者が30日、東京都内で発表した。契丹文字は多くが未解明。「冊子が見つかったのは初めて」としており、解読への期待が高まっている。 発表した松川節大谷大教授らによると、契丹文字は漢字を参考にしたとされる「大字」と、これとは別の「小字」があり、今回の史料はいずれも大字で書かれていた。 冊子は、ロシア科学アカデミーの研究所の図書館に保管されていたが、中国社会科学院の孫伯君研究員が契丹文字だと指摘した。麻紙に記され、全部で80ページほど。1ページに6行、1行20字程度あった。 松川教授らのグループは、モンゴルのゴビ砂漠に立つ石碑(高さ約180センチ)が契丹文字で記されているのを昨年、発見した。文字は縦書きで7行、150字ほどあった。墓誌以外の碑文に記されて
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