🍙高橋ユキ🍙 @tk84yuki 傍聴人。フリーライター。#ロイヤルホストを守る市民の会 代表。『つけびの村』、アウト老の実態に迫った『暴走老人・犯罪劇場』、『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』など。ニュースレター:tk84yuki.theletter.jp 連絡 forms.gle/yRSs19o2eLvXj6…note.mu/tk84yuki 🍙高橋ユキ🍙 @tk84yuki 最近、裁判員裁判の証拠でLINEのやりとりが採用されることがありますが「ちょっとw」みたいな時に使う「w」をどう発音するかというと、いまのところは「わら」のようです。検察官が無表情に読み上げます。 「死んでもらおうww」→死んでもらおうわらわら 土曜日朝の豆知識でした☀️ 2021-02-20 08:33:50

「子供」それとも「子ども」 どちらの表記が正しいの?(ohayou!/stock.adobe.com) 「子ども」という表記は漢字と平仮名書きが混在するのが気になるのでやめてほしい、できれば「子供」あるいは「こども」で統一してもらえないか―。まいどなニュース編集部に先日、読者からこんな声が寄せられた。当編集部は神戸新聞社の一部署でもあることから、基本的には神戸新聞のルールに則った表記を採用することが多い。「子ども」が目立つのはそのためだ。とはいえ、ややこしいが神戸新聞も当サイトも「子供」が使えないわけではない。実は「コドモ」をどう表記するかは、媒体や書き手によっても異なり、活字業界では昔から議論になりやすい“あるあるネタ”のひとつなのだ。良い機会なので、主に新聞社の見解を踏まえながら、「子供」と「子ども」で表記が揺れる理由を取材した。 【写真】記者ハンドブック「こども」の項目 ■新聞社が参

飯間浩明 @IIMA_Hiroaki 私が個人的に読みを勘違いしていたことば。「誘拐する」の意味の「かどわかす」を「かどかわす」と思っていました。「角川」から類推したのだと思います。「出張時の定宿(じょうやど)」を「じょうしゅく」、「思惑(おもわく)」を「しわく」などとも。音訓混在の語は難しいですね。 2016-08-08 15:45:34 飯間浩明 @IIMA_Hiroaki 私が聞いた中で「いちばんうまい誤読(?)」だと思うのは、亡くなった中島梓さんが漢字読み書き大会に出場した時に答えたという「混凝土」の読み。「コンクリート」なのですが、彼女は「コンコルド」と解答した。中島さんのエッセイ『にんげん動物園』に載っている話です。 2016-08-08 15:45:40 飯間浩明 @IIMA_Hiroaki 1967年10月21日、香川県高松市生まれ。国語辞典編纂者(出版社社員ではありません

「。」の意味は文の終わりを示すことでそれがないとどこが文の終わりかわからない ところが、ブログでは一文ずつ改行するため、どこが文の終わりであるか明らかですよね だから「。」を付ける意味はないはずです でも、いまだに「。」を使ってる増田が多いんですよね 無駄なタイピングご苦労様でした

妻とあるミュージシャンの話をしていて、あの人が他の人よりもいい歌詞を書くのは、個人的に色々と辛い経験をしたりしていて、言葉にしなくちゃ自身が救われないからなんじゃないか、そういう祈りみたいなものが聴く人の心を動かすんじゃないか、みたいなとんでもなく下世話で勝手な憶測を話したのだが、珍しく妻は納得していた。 それで思ったのだが、やっぱり書くという行為と祈るという行為は似ている気がしていて、それはどちらもこの現実ではまだ起こっていない、自分が望む世界があって、しかし自分の力だけではどうにもならなくて、そのことを認めざるを得なくて、だけどあきらめたくもなくて、そんな気持ちの中で生まれる行為ではないかと思うからだ。 未来を作るため、なんて言い切れるほど偉そうな行為じゃないと思うのだ、書くということは。 よく考えるとコピーライター時代にほめてもらった仕事のほとんどは、弱いものが主役になっているものば
今年に入ってから「絶対、私やんないわ」とこれまでずっと思っていた毎日更新に期間限定でチャレンジしているのですが、「わりとイケる」と思っていたのに「【日記/10】毎日文章を書くようになって気が付いたこと|チェコ好き|note」を書いた翌日からツライと思うようになりました。これをずっとやっているブロガーさんやライターさんはすごいですね。私は来月の半ばで1回やめます。だけど、毎日更新にチャレンジしなかったら絶対書かなかったような内容の記事もあるので、やっぱり一度は変わったことをやってみるのもいいもんだ、と思いました。 私がこれまでこのブログで中心的に書いてきたのはおそらく「批評」というジャンルに属するもので(きちんとした批評ではなく”批評っぽい”という意味合いですが)、自分が気になった事象に対してけっこう距離をとりながら文章を綴ってきたのですが、毎日書こうと思うとそういった類のものはなかなか難し
省略すると誤解の可能性も それでも最初の「たり」で並列だと分かるのだから、とか、当然・自明のことは省略していくのが言葉の作用の常であり誤解を生むような実害はないのだから、などと思われる方もおられると思います。そこで、次に毎日新聞用語集をごらんください。「誤りやすい表現・慣用語句」の章に「…たり(だり)」の項があります。 「脅したりすかしたり」のように「たり」を重ねるのが基本形。「遊んだり学ぶのを手助けする」のように後の「たり」がないと、「遊ぶ」と並立させているのが「学ぶ」か「手助けする」か不明確なので、列挙の場合はできるだけ「たり」を繰り返す 毎日用語集には誤解の可能性があることが明示されています。「遊んだり学んだりするのを手助けする」なのか「遊んだり学ぶのを手助けしたりする」なのかが分からなくなるわけです。こと機能の面からすれば、やはり後ろの「たり」を省略しないほうがよいと言えると思いま

『図解 プロが教える 誤解されない話し方、炎上しない答え方』(山口明雄著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、2013年2月に発売された『メディアトレーニングのプロが教える 誤解されない話し方、炎上しない答え方』の"図解版"。 より読みやすく、見やすく再編集してあるわけですが、ここで著者が最初に取り上げているのは、「なぜ、話が誤解されてしまうのか」という問題。理由については、次の3つを挙げています。 理由1. 聞き手に問題がある 誤解とは、モノ、ことば、事実、態度などについて、間違った理解や解釈をすること。いろいろ原因がありますが、単純なものは、聞き手のことばの取り違えや聞き違い。 理由2. 話し手に問題がある 話し手側が誤解を招くとすれば、その原因として考えられるのは、「ものごとを明確にいわない」「抽象的な表現をする」「暗黙の了解をよしとする」「ことばをぼかし、逃げ道を用意する」「中途

私は「出来ない」と言うのも、そういう態度をとるのも苦手です。実現が不可能なことならば素直に「出来ない」と言えますが、出来る可能性があるならば「出来る」と言いたいし、実現させたいと考えてしまいます。 こういう考え方を私は悪く無いと思っていますが、状況によってはすごくきついのも事実です。特に心や体が自分の自由にできない状況だと、きつくなってくるように思います。 「出来る」仮面について。その脱ぎ方について。考えてみたいと思います。 では、いってみよー。 「出来る」仮面 「出来る」ように振る舞えば、いつの間にか出来るようになっているのではないか という考え方、あると思います。今は無理でも、さも出来るように振る舞うことでそうなっていく、という考え方です。これ実際にあるとも思います。 そんなことを考えてというのもありますし、生来の微妙にそれた負けず嫌いさ(負けるのはどうでもいいけど、出来ないというのが

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