パプアニューギニア・マウントハーゲン(Mount Hagen)で、儀式用の装飾を施された男の子(2007年8月19日撮影、資料写真)。(c)AFP/TorstenBLACKWOOD 【12月1日 AFP】パプアニューギニア東部のオカパ(Okapa)地区の女性たちが、1986年から20年来続く部族間戦争を根絶しようと、男の子が生まれたらひそかに殺す習慣を10年前から行っていたことが明らかになった。豪ナショナル(National)紙が報じた。 同紙によると、同地区のギミ(Gimi)では、長きにわたる部族間戦争で男手が減り、多くの女たちが育児もままならない状況にあるが、前週ゴロカ(Goroka)で行われた平和と和解のための集会で、2人の女性が「赤ちゃん殺し」を告白した。 女性たちの話では、戦士となる男の子が生まれなければ、戦争に参加する男の数が減り、部族戦争そのものがなくなるとの考えから、村の

今年の春のことだ。長男も幼稚園の最終学年に進級し、渡された年間行事表にはさまざまなイベント計画が記されていた。子供も親も大忙し。ましてや担任の先生の大変さも。そんなことをぼんやりと考えながら懇談会から帰ろうとしていると、とある母親グループから声をかけられた。 「ねえ、担任の先生、ポンだって知ってた?」 まったくの意味不明な用語! 聞いてみると、「ポン」とは妊娠したことらしいのだ。「腹ポン」とも言うらしい。最初からそういってもらえれば予想もできただろうに。いや、わざわざそんな名前で呼ぶこと自体おかしいのだが。それは幼稚園という教育機関での“事件”なのであり、割合は定かではないが、よく思わない母親たちがいるのである。 その母親たちの言葉は、まず、通常行われるべき保育活動を自分の子供が受けることができるだろうかという心配である。 「年長(最終学年)の担任が途中で交代されたら子供がかわいそうだ。」
自分が女性であるということを強く意識しはじめたのは、結婚してから、正確には子供を妊娠してからでした。 それまでは、「自分は女性だから損をしている」「得をしている」と考えたことは一度もなく、すべては個人の努力次第で決まると考えていました。 子供を産むまでの経歴をざっと振り返ると、保育園→公立小学校→私立中高一貫女子校→東大→東大大学院→ポスドク→一部上場食品メーカー。 自分なりの悩みや紆余曲折はあったものの、世間的には「順調」な人生を送ってきたといえます。 だからこそ、というべきか、私はずっと、単純な「努力教」信者でした。 自分を支え、導いてくれた人たち(親、友人、先生方など)に感謝の気持ちはもっていたものの、はたしてそれが十分であったかどうか。 たまたまそういった人たちがそばにいて、好意を寄せてもらえたということ、多くのチャンスに恵まれたということを、自分にそれだけの価値があっ
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