日本人は「他人の目が気になる」とよく言われますが、日本に来た外国人も日本で生活していくうちに他人の目が気になるようになるそうです。日本人男性と結婚した日本在住のアメリカ人女性、グレイスさんも最近少し自意識過剰になったと語っています。 日本で生活していると、毎日自分が外国人であることを思い出します。お店の店員さんは値段を英語で教えようとしますし、一人で電車に乗っていると、見ず知らずの人に”どこの国の方ですか?”と聞かれることもあります。レストランやショッピングの時も、日本語で話しかけているのに英語で返される始末。やはり私はどこにいっても外国人ということで、目立ってしまうようです。目立つから余計に自意識過剰になり、他人の目を気にするようになるんです。 日本人とは違った意味で「他人の目が気になる」というグレイスさんですが、それには理由があると言います。そこで今回は、外国人ブロガーグレイスさんが語
朝イチ、とあるツイートを目にしました。小学校で人種や障害や病気やなんかの、多様性のことをもっと教えたら良いのになぁという。 それを読んで思ったことを今日は。 ハンディについて学ぶ授業 うちの子たちの学校や参加している色々な事業のなかでも、障害に関する授業というのはあります。実際に参観した回数は少ないので見る事ができていないものもあるのですが、これまでに経験したもののなかには車椅子利用の方や目が不自由な方をお招きしてお話を伺うというものや、支援学級の子のお母さんがその子のこれまでを語るとか、そういう感じ。 そういう授業のあと、大人の意を汲める子たちは往々にして同じような感想文を書きます。 「もっと大変な人がいるのだから色々な事にがんばろうと思う」「困っている人がいたら助けてあげたい」「親からもらった命や元気な体を大事にしたい」… これ、授業を受ける子どもたちは、自分や家族ではない別の人たちの
先日「情熱大陸」を久し振りに観た。 さかな君が取り上げられていた回である。 そこに映し出されたさかな君の姿を、私はとても魅力的だと思った。 目上の人には礼儀正しく、子供達には優しく接し、熱く魚の事を語る彼を、とても素敵な人だと思った。 後日、電車の中で若い女の子が「さかな君ってキモい」と話していた。 私は(そう思う人もいるんだな)と思った。 価値観は人それぞれなので、彼女達がさかな君を「キモい」と思うのは、自由である。 同じ様に電車の中で大声で話す彼女達の事を私が「お前のひじきみたいな睫毛のほうがキモいよ」と思うのも自由である。 私は、彼女達が何故さかな君をキモいと思うのか考えてみた。 顔? 声? テンションの高い喋り方? ファッション? さかなに詳しい事? 何をもって彼女達はさかな君を「キモい」と断罪するのだろう? 考えてみたけれど、結局は解らなかったがある事を思い出した。 昔、会社で新
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