「会社になんて行かずに自由気ままに生きていきたい!」 そう思われる人も多いのではないでしょうか? 私もサラリーマン時代にそんな『妄想』をしたことがあります。 いやあ・・仕事がキツイ時なんかは特にそう思いましたね。 しかし・・その妄想が、いま現実になったのです。 『自由気ままなフリーランス』 もう会社に行くことも無い。 ここにはパワハラ上司もイヤミな先輩も居ない。 厳しいノルマもお客様からのドギツイクレームもありません。 しかし・・そんな願望を叶えた私ですが・・・フリーランスから一般企業に『転職』をしたいと考えております・・ あっ・・いや・・あくまでもフリーなのですから、 これは『就職』とも言えるかもしれませんね? そんな話をすると・・ 「なんだ結局フリーランスに不満があるのか?」 と思われるかもしれませんが・・・ いえいえ『不満は一切ありません』フリーランスは仕事も休みも自由だが不安が
新型コロナウィルスが多くの人の仕事や人生を奪っていく。 近所のうまい定食屋が店をたたんだ。ゲストハウスや旅館の倒産も耳にする。仕事を失った人で溢れている。これからもっと増えるのだろう。 「6月までに6割の中小企業が倒産する」と予想する識者もいる。 リーマン・ショックを思い出さずにはいられない。 その当時の私はブラック企業に勤めており。 手取りは12万程度。ボーナスは年1回10万程度。借金もある。 はっきり言って日本の最下層に住まう私にとっては、 リーマン・ショックなんて無関係だと思っていた。 ここが地の底。 「何が起きてもこれ以上落ちる場所もないだろう」と。 ところが意外なところでリーマン・ショックの恐ろしさを垣間見ることになる。 いつもの休日。早朝5時。作業着に着替えて現場作業に向かう。 ・・・・とても会社の給料だけでは生きていけなかった。仕事終わりと休日は「日雇い労働」に出て日銭を

例えばあなたがたった一人で、どこか深い山の奥に置き去りにされたと考えてみて欲しい。あなたは着の身着のままで、このまま闇雲に歩き続けたらおそらく助からない。そう気づいたときについて想像してみて欲しい。 そういうことが、人生にはある。僕は人生で何度かその状態に陥ったことがある。経営していた会社が破綻して大きな借金を抱えた時、人生を変えようと故郷を離れた時。そういう時は、いつもゼロから生活を作り直すことを求められた。 それは二度と経験したいことではないけれど、貴重な経験ではあったと思う。それは、端的に言って「ゼロから100万円貯める」スキルを与えてくれた。人生は結構サバイバルなので、上手くサバイバルをやれると豊かな暮らしが出来る。 昔、先輩経営者がこんなことを教えてくれた。 「0から100万円貯めるのは、1000万を1億にするより難しい。でも、やり方さえ覚えれば何度でも出来る」 今思うと、あの人
「沖縄で一番好きな料理は?」そう聞かれたら、私は「ゆし豆腐」と答える。 沖縄で親しまれている豆腐のスープである。 私が沖縄に移住して2年余り。 現地で出会った嫁は沖縄生まれ沖縄育ちの沖縄嫁。 沖縄嫁を図解しておきましょう あふれでる少年感。 嫁は沖縄らしく兄弟が多く両親は共働き。 ワンルームに家族7人~暮らし。 (これも沖縄では珍しいことではありません) 兄弟の面倒をみるため幼いころから家事手伝いをしていたので、 歳こそ若いがなかなかの料理上手である。 「自分がしないと誰もやらないから仕方なくだけどね」と嫁の談 今日はそんな嫁の料理風景を撮影しながら、 沖縄のありふれた食卓の話をしましょう。 沖縄嫁が作る郷土料理「ゆし豆腐」 ここは沖縄の過疎地。何も無い。 夜になるとインターネットすら繋がらなくなる。(これはガチ) 「住民の大半は巨大ハブにやられてしまったのだ・・」と嫁は言う。 そうか・・

不動産の仕事をしていると、「人は死ぬ」という当たり前の出来事と出会う機会が度々あり、そのお片付けをすることもそれなりにあります。いわゆる、遺品整理であるとか、モノによっては特殊清掃と呼ばれるやつですね。 かつて、知人を管理物件に入居させたらほどなくして亡くなってしまったことがありました。ご遺体そのものは警察と消防が運び出してくれるので、残ったものの掃除が僕の仕事ということになります。死後数日とさほど状態は悪くありませんでしたが、吐血されて亡くなったようで、やはりそれなりの汚損が部屋にはありました。 僕が入居を決めたお客様なので、僕がDIYで特殊清掃をしました。 死臭というのは不思議なもので、精神的な嫌悪感は薄くても身体が衛生的なリスクを感じるのか、自然と吐き気がこみあげてきます。現代を生きていると、人が死んで腐敗する、有機物になるということに直面する機会はあまりないのですが、やはり人は死ぬ

昨年大学に入学しましたが、学問にもあまり興味が持てず友人も上手く作れないまま、ただ大学に行って単位を取るという生活です。学びたいことややりたいこともなく、毎日ただただ時間が流れていっているという焦りで何も手につきません。こんな時はどうしたらいいでしょうか? 初めまして。自分がやっていることに意味が見いだせないことって結構ありますよね。ただ、質問者さんの場合問題なのは、それが焦りはあっても「苦痛」ではないということだと思います。多分、このまま行くと特になんの感慨もないまま大学を卒業して、風向きがよければ就職して…ということになるでしょう。 ところで、意味を感じられないことを淡々と続けられる。質問者さんの場合はちゃんと大学に通って単位を取っているわけですが、これって本当にすごいことだと思います。僕の人生にこの能力があったら、きっと今とは全然違う人生を生きているんじゃないかという確信があります。

一体いつから?どこから?なにを話せばいいのか? こうして思い返すと、我が家にはオカシイ所ばかりだった。 これは一つの「家族の形をしたなにか」の話である。 私の家族は新興宗教にどっぷりハマっていました。 「・・除霊ってなに?」母に問いかける。 「お父さんが除霊をしたお礼に貰ってくるのよ〜」 笑顔で答える母。 いやいやいや、オカシイだろう。 私が成人になってから数年・・唐突にサラッと、 父の宗教カミングアウトをされたのです。 「何よ?いつも食べてるじゃない?」 「いつも??」 そう言われてハッとする。 ・・・そうだ、なぜか貧しいハズの我が家に 場違いな高級食材が並んでいることがあった。 (佃煮うまかったなぁ) なんてことだ・・なんだそれは・・・ いや、そういえば・・・・・ 昔から我が家はオカシイことしかなかった。 私が18で警察官をクビになった時も 父は滅茶苦茶なことを言っていました。 実は父

小学生の頃、学校が終わると毎日必ずこう声をかけられました。 「ねえ、今日遊びに行っても良い?」 「嫌だ」とも言えません。 断るに断れず・・・ 「うん、いいよ」と安請け合いをしてしまう私。 何が嫌かって? イヤな理由の一つは、家に来るのが一人や二人じゃないからです。 近所の団地に住む30名ほどの子供たちが、まるで津波の様に押し寄せます。 そしてイヤな理由の二つ目は・・・ この中に友人は一人も居ないからです。 彼らの目的は私じゃなく、我が家にある『最新のゲーム機』 みんなで人気の格闘ゲームをするために集まっているのです。 私は誰とも話さず、ゲームをプレイすることもなく、 ただ部屋の隅で座っているだけ。 人が人を呼び続け・・・我が家に来る子供は増える一方。 はじめて我が家を訪れた子は、子供ながらに申し訳なく思うのか? 決まって私に向かってこんなお世辞を言うのです 「お前の家スゲー金持ちだな!」

なんとなくブログを書き始めたら、 いつの間にかそれが仕事になっていました。 文章を書いて、絵を描いて、 それで、それだけで それだけの生活を半年ほど続けています。 たくさんのお金が貰えるわけでは無いけれど、 ギリギリ普通のサラリーマンくらいは稼げていると思う。 (たぶん) たしかに『普通』なんですけど、 私にとっては『普通』じゃないんです。 私が社会に出てから15年ほど経ちますが・・ ずーっと年収は200万円前後でした。 金欠。金欠。 月収5万程度で3年ほど働いたこともある。 半年ほど無休で死人の部屋を掃除し続けたこともある。 ・・・だから、今の仕事が自分にとって 色んな意味で最良の仕事なんだと思う。 コンビニで200円くらいのスムージーを なんの躊躇も無く買えるようにもなった。 コンビニのトイレで水を汲んで飲んで 生活をしていた頃とは大違いだ。 3年ほど前?工場の仕事を怪我でクビになって

人生というのはいろいろあるけれど、いい歳で一文無しの無職になるというのは、わりと辛いことだ。もっとつらいこともたくさんあると思うけれど、 それでも辛いことには違いない。人生はいつだって今が一番つらい 生活をするにはお金がかかる。お金を稼ぐためには働かなければならない。 僕の会社はもうないのだから。 新卒だった前回とは違う、30過ぎからの再就職。 状況はかなり悪い。甘ったれた弱虫の僕にはとても辛い。 おまけに、僕は2年と勤め人をやらずに起業したのでろくな職歴がない。 「働かねば」と思って、ネクタイを締めてスーツを着るまで1年以上かかった。 その間のことは「辛かった」としか覚えていない。詳しく思い出そうとすると頭痛と吐き気がしてくるので、ここでは割愛させてもらいたい。 そんなわけで、僕はもう一度仕事を探した。実を言うと、僕は知覚過敏が強いのでネクタイがとても苦手だ。それでもネクタイをして、

初めて彼女が出来たのは23歳の時だった。 ・・・それからなんやかんやで、 3人の女性と3回婚約をした。 そして3回の婚約破棄を経験した。 別れた理由はモチロン ひとことで表現しきれませんが・・ 『無理をしてしまったからだ』と 後からそう気が付いた。 社会に出てから10数年が経ちますが、 私は『無理』をして働き続けた。 警察官、死体痕の清掃、営業などなど・・・ 休みが無くても、給料が数万円でも、 殴られても蹴られても・・・・・ 意地を張って無理に無理を重ねてきた。 無知な私は大切なことに気づけなかった・・ この無理で傷つくのは自分だけじゃないってことに。 自分の無理は、恋人や家族までも傷つけてしまう。 「愛し合う」っていうのは、お互いの肉体や精神が 液体のように混ざり合うモノだと思う。 私が無理をして辛くなると、 彼女も同じように辛い気持ちになる。 私の「無理」が大切な人を汚染してしまった。

職場で『嫌がらせ』に合って困っています。 こういう相談が沢山寄せられています。 例えばこんな相談が寄せられました。 ハルオサン、こんにちは。 長文ですみません。 僕は女性が圧倒的に多い職場で働いています。 少数の男性社員達も年配が多いからか、 おそらくただ若いとう理由だけで 全くの非イケメンの僕に 3名の女性(うちシングルマザー2人)から アプローチらしきものをされています。 ■二人きりでの食事に執拗に誘われる、 ■一人暮らしの僕の家にやたら 来たがる、 ■子供にあわせたがる、 ■手料理を渡してくるなど 僕の自意識過剰でなければ (アプローチかと) 僕はハルオサン程の過酷な体験ではないですが、 人間不信になる経験を重ねており、 お付き合いや結婚などするつもりのない ダメ人間です。 のらりくらりかわしていたつもりが、 たまたま女性のうち一人と話しているのを 別の女性に見られると、嫉妬かわかり

🔻前回の話のリンク 終わりの無い校内暴力の話① - 警察官クビになってからブログ 終わりの無い校内暴力の話④ - 警察官クビになってからブログ 私とキムラ君は保健室で並んで座っていました。 キムラ君は何かの布で顔を抑えています。 いや・・・ヒドイ出血でした。トマトケチャップ1本丸ごと床にブチまけたような・・ ドバドバ・・・・ こんな状態ですから、 もうケンカをしている場合ではありません! すぐに彼を保健室へ強引に引っ張っていきました・・ どうやら空振りしたと思っていた私の拳は、 キムラ君の顔をカスッていたようなのです。 ここはマンガや映画の世界ではありません。 拳が顔をカスめれば・・・肉は裂け・・・・ 大惨事となってしまうのです。 保健室の先生は、 キムラくんに血止めの布?を渡すと、 どこかへ走って行ってしまいました・・・・ さっきまでケンカしていた二人だけが、 保健室に残されたのです

1リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く