ジュバ(CNN) 内戦の危機が高まる南スーダン情勢で、対立する政府軍と前副大統領を支持する反乱軍の代表団が3日、隣国エチオピアの首都アディスアベバで和平交渉を開始した。一方、南スーダンの首都ジュバの米大使館からは同日、職員約20人が新たに退避した。 和平交渉は、東アフリカ諸国の地域機構「政府間開発機構」(IGAD)の仲介で実現した。IGADは声明で双方の「積極的な取り組み」を評価したが、初日の間接的な交渉では進展がみられなかった模様。直接交渉の具体的な日程は公表されていない。 政府軍と反乱軍はこの日も、東部の要衝ボルをめぐって戦闘を続けた。ボルの市長は「反乱軍は交渉で時間稼ぎをしながら軍を南下させようとしている」と非難した。 米大使館職員らは同日、米海兵隊の輸送機で退避した。米当局によると、ジュバには大使ら数人がとどまる。国務省報道官は、南スーダンに滞在する米国民に改めて即刻退避を呼び掛け

エチオピア・エリトリア国境紛争(エチオピア・エリトリアこっきょうふんそう)は、1998年5月6日から2000年6月18日までの間、アフリカのエチオピアとエリトリア間で行われた戦争である。 発端は国境紛争ではあるが、互いの首都を空爆しあうなど、規模は極めて大きく、民間人を含む犠牲者も多かった。20世紀において第二次世界大戦以降に勃発した国家間紛争のうち、死者数が10万人を超えるとされるのは、朝鮮戦争、インドシナ戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争と本紛争のみである[1]。 両国とも経済規模が小さい貧国であり、身の丈に合わない戦争の継続が地域の破綻を招くとして、開戦以降、国際連合やアフリカ統一機構(OAU、現在のアフリカ連合)などが積極的に仲介に乗り出している。 エリトリアは1961年から1991年までの30年間にわたり、エチオピアからの独立闘争を繰りひろげた。エチオピアの社会主義政権崩壊の

南北スーダン、交渉決裂 南北スーダン、交渉決裂 【ロンドン時事】AFP通信によると、先週の軍事衝突を受けてエチオピアの首都アディスアベバで行われていた南北スーダンによる交渉は4日、合意なしに終了、決裂した。交渉は2日から開かれていた。(2012/04/05-00:37)
印刷 エチオピア軍は15日、反政府勢力の拠点を攻撃するため隣国エリトリアに侵攻した。ロイター通信などが伝えた。エチオピア軍がエリトリア領内に入るのは、両国の国境紛争が終結した2000年以来となる。 エチオピア軍は、国境から約16キロのエリトリア南東の街3カ所を攻撃したという。エチオピア側は今年1月に国内で反政府勢力によって5人のヨーロッパ人観光客が殺害されたことを受けた措置だとしている。エチオピア側は、反政府勢力がエリトリア政府から援助を受けていると主張しているが、エリトリア側は否定している。 両国は、未解決の領土問題を抱えており、今回の攻撃でさらに関係が悪化することが懸念される。(ナイロビ=杉山正) 関連記事「通学、10キロ走った」 ゲブレシラシエが特別講師(2/27)〈ロイター〉エチオピア北部の外国人襲撃、反政府組織「政府軍が殺害」(1/24)欧州の観光客5人殺害 エチオピア北部
Ethiopian forces have launched a military assault on positions inside Eritrea, Ethiopian officials have said. Ethiopia attacked because Eritrea was training "subversive groups" to carry out attacks inside Ethiopia, agovernment spokesman said. A number of people were killed and others captured when three camps were attacked, a defence official said. Eritrea has not yet commented. The two countries

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