シナリオの話、継続は力だなって思った話。 アリスインプロジェクト「クォンタムドールズ」観劇感想 - orangestarの雑記 の話のおまけ的な話。 (id:screammachine)麻草さんのシナリオがすごいって話。 舞台「クォンタム・ドールズ~量子境界の遊歩者~」主題歌「虚数のインフレイション」 クォンタムドールズのシナリオって本当にすごくって、25人のキャラクターをそれぞれ個性を作ってキャラを立たせながら、そして、25人のキャラクターをそれぞれちゃんと見せ場を作り、3つくらいの話を同時並行で動かす、っていうのはなかなか出来ない。っていうか、してるのを他で観たことがない。 2時間の舞台で、25人。単純計算すると一人あたりの持ち時間が4分という状況なんだけれども、多分自分が書くと、4分ごとの持ち時間を其々ひとりひとりが消費するってことになるんじゃないかなって思ってしまう。 あと、キャラ

最近のラノベでも最近のアニメでも最近の漫画でもいいですが、この手の批判(?)をネット上ではよく目にします。 「最近のラノベはいじめられっ子の中高生が自己投影して楽しめるように初めから一切努力せず異世界とか行って無双するものしかない」みたいなのね。 私はこの手の意見は3つの点で間違っていると思います。 1.フィクションに自己投影して楽しむのが悪いかのように言っている 全く悪くありません。フィクションの楽しみ方は人それぞれです。 2.自己投影している読者は恐らくほとんどいない 全くいないとは言いませんし聞いたわけじゃないので完全に想像なんですが。理由は3に絡めて語ります。 3.フィクションに自己投影するのが「楽」で「弱い」楽しみ方だと思われている これは1の「悪いとされる理由」にも関わるでしょう。 別に楽で弱くても全然悪くはないし、悪いと見做す態度こそ悪しきマッチョ主義だと思うのですが、そもそ

漫画の編集者Mのブログ 長い間、漫画編集者をやって来ました。少女漫画から少年、ヤング、青年、女性まで、ほぼ全てのジャンルの作品を担当。このブログが漫画家を目指す皆さんに少しでも役に立てばと祈っています。 たった20~30ページの原稿を短い時間で見て、その新人作家の将来を見抜くのは至難の技。 あるいは神をも畏れぬ行為かも知れません。 でも、現実にはそういうシーンがよくあります。ひと晩じっくり考えるとかはないのです。 そんな時に何を基準に、その作品もしくは作家のよしあしを判断するのか? 画力、キャラクター、構成、テーマ、ストーリー……見るべきポイントはたくさんあります。 総合力が高いに越したことはないのですが、私が重視している点がひとつあります。 これは割とキャリアを積んでから気がついたのですが、でも、初期から変わらないと思われる 作家のセンスに、キャラクターがしゃべるセリフの自然さ、うまさが

小池一夫 @koikekazuo 未だに映画、テレビのシナリオとマンガ原作はどう違うのかという質問が多い。マンガ原作は、動きと音のない世界を描く。そのハンディキャップはすごい。それだけでわかるだろ。だからまずキャラクターを作らなければならないのだ。(小池一夫) 2010-09-05 20:51:49 小池一夫 @koikekazuo いろンな世界からスーパーキャラクターが消えていく。キャラクターがいなくなった世界は寂しい。スポーツ界、キャラクターがいないと人気が集まらない。芸能界、視聴率が取れない。マンガ界(日本)、大赤字。とにかくスーパーキャラクターをどの世界でも創らないと景気は浮上しない。(小池一夫) 2010-09-12 20:36:21 小池一夫 @koikekazuo だから頑張ってキャラクターを創ろうと僕は呼びかけているンだ。美空ひばり、石原裕次郎、長嶋茂雄、王貞治を知らない若

小池一夫 @koikekazuo 「人を惹きつける技術・キャラクター新論」 今年最後のキャラクター新論です。マンガのネームで苦しンでいる皆さンへ。まずキャラクターを創り、設定を作り、ここまでが7ページぐらい。残りのページで小さな感動を盛り、ラストのコマをいかに楽しく見せるか。この手順でネームを仕上げて下さい。 2010-12-30 19:12:57 小池一夫 @koikekazuo キャラクターを起てて設定さえ作ってしまえば、物語なンてどンどン流れていきます。僕も昔はこの順番で苦しンだので、75歳を終わろうとしている今、一言つぶやいていました。では皆さン、来年も頑張りましょう。(小池一夫) 2010-12-30 19:13:42

表現の自由から批判の自由が話題になる時、よく『エスパー魔美』から引用される頁がある。「くたばれ評論家」で、主人公と父親が会話する場面だ*1。 公表した表現が批判されることを覚悟すべきこと。批判することも反発しかえすことも自由であること。 そうした表現の自由にまつわる主張が、表現者である父親の人格とともに描かれ、この頁だけでも普遍性をもっている。 しかし、この頁だけがひとりあるきしていることは残念だ*2。 物語が知られていないのはしかたないとしても、書かれていない主張が読みとられることまでいいとは思えない。描かれているのは絵画への批判なのに、政府や司法への抗議と同一視する主張すらある。 誰が靖国に英霊を公表したのか - 法華狼の日記 そのように批判を自由にさせることと抗議を放置することを混同してしまえば、とるべき責任まで消されてしまう。 まず、父親は「おしまい!!」といっているが、批判を単純

2014-07-14 カゲプロのような思春期中二女子に届く作品に今後の文学の可能性を感じている件について ブログをはじめたばかりの記事でいきなり「(読者の)みなさん」と書くのはアレな気もしていますが… みなさんはカゲプロの名前を何度も目にしていながら、実は読んだことも視聴したこともないのではないでしょうか。 ぼくは自分自身がそうだったので、なんとなくその気持ちがわかります。 楽曲名や作品名のネーミングだったり、ニコニコ動画のボカロ文化だったり、「しづ」のイラストレーションだったり、自分が手にとる作品ではないような感覚が強い。もっと端的にいうと、世代の壁、そしてコミュニティーの壁を感じるわけです。 ゆえにこそ、ぼくはいまカゲプロを読んだほうがいいのだという気がしています。 カゲプロは、明確に思春期の女子中学生層に向けて書かれています。しかも読者の彼女たちはいわゆるセカイ系的な感性を非常に強く
2013年、『あまちゃん』や『半沢直樹』がヒットし、テレビドラマは大きな話題となった。実は、このふたつの作品には共通点がある。それは、どちらも「キャラクタードラマ」であることだ。 成馬零一氏が上梓した『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)は、岡田惠和(『銭ゲバ』『泣くな、はらちゃん』)、坂元裕二(『それでも、生きてゆく』『最高の離婚』)、遊川和彦(『家政婦のミタ』『純と愛』)、宮藤官九郎(『11人もいる!』『あまちゃん』)、木皿泉(『すいか』『野ブタ。をプロデュース』) 、古沢良太(『鈴木先生』『リーガルハイ』)という、現在のテレビドラマを代表する6人の脚本家について評論したもので、各章の合間には「ホームドラマ」「トレンディドラマ」「キャラクタードラマ[1]、[2]」「朝ドラ」「現実とフィクション」という、テレビドラマ史を体系的に振り返るコラムが

管理人からのメッセージ 今の時代に合わないブログになったので インターネットの歴史から消します。 ありがとうございました。
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