西日本で一番偏差値の高い大学に通う者だが、表題の通り偏差値の低い大学に通う人達が理解できない。まだまだ日本では高卒や専門学校卒は珍しくない。その中で、自ずから選んで大学にわざわざ学びに行ったわけだ。それならば、何故そんな偏差値の低い大学に通っているのだろうか?関西では、まともな大学と言えるのはせいぜい京阪神だけだろう。百歩譲って阪市や阪府あたりも入れるぐらいか。それより下の大学は、入試難易度も著しく低く、学生のレベルも酷い。私自身が交流を持った経験から言っても、京阪神未満の大学生は驚くほど話が通じない。同志社や立命館や京都府大の学生と話す機会があるが、抽象思考を伴うハイレベルな議論など出来る訳もなく、簡単な日常会話ぐらいしか出来ない。そして、それ未満の大学はそもそもほとんど認識してないが、その無名の偏差値の低い大学生は日常会話すらままならないレベルだった。小学2年生の頃の私の方がずっと賢い
第二次大戦時、アメリカと日本の国力には12倍の差があったと言われる。巨大な敵に、先人たちは本気で勝てると考えていたのだろうか。戦後70年のいまこそ、昭和陸軍の「戦略構想」を問い直す。 カギを握る4人のエリート「満州事変以降の『昭和陸軍』をリードしたのは陸軍中央の中堅幕僚グループ『一夕会』。満州事変の2年前の1929年に結成されました。メンバーは東条英機、永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一ら約40人。 一般的には東条が日本を破滅に導いたように思われていますが、昭和陸軍の戦略構想を立てたのは永田と、石原、武藤、田中の4人。東条は彼らの構想に従って動いたに過ぎません。 永田を中心にした彼ら4人とも、単なる軍事エリートではなく、当時の日本社会では知性と教養を併せ持つ知的エリートでした。戦前の陸軍は何も考えずに暴走したと思われがちですが、そうではなかったのです」 川田稔・名古屋大学名誉教授はそう語

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