「二人は別れるんじゃないんだからね。今はどうしようもないから別々に暮らすだけ。死ぬときは一緒だからね」って涙を浮かべながら僕に告げた君。 僕がカラオケで歌ったLOSOの歌「プルンニー(พรุ่งนี้)」を横で聴きながら静かに泣いていた君。 歌い終わった僕をその場で抱きしめながら号泣しちゃって「お金なら全部あげるから私から離れないで...」って途切れ途切れに耳元で涙声でつぶやいていた君。 君は言葉どおりにタイに大きな家を建て、僕を呼んでくれて真っ先に二人で泊まって抱き合いながら毎晩一緒に眠ったよね。あの頃が夢のようだ。 kun-maa.hateblo.jp 都内の狭いワンルームマンションの一室で、僕は君を抱きしめて眠るのがとても好きだった。 夜の仕事をしていた君が夜中に帰ってきて、キスをしてからそっと僕が眠っている布団にもぐり込んでくるのも大好きだったし、酔っ払った君に電話で呼び出されて迎
![[ま]君のぬくもりを忘れてしまった僕は今日もひとりで眠れない夜に泣く @kun_maa - [ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)](/image.pl?url=https%3a%2f%2fcdn-ak-scissors.b.st-hatena.com%2fimage%2fsquare%2fd4abe7c14578baf41393eed6bc57b72eeaca734d%2fheight%3d288%3bversion%3d1%3bwidth%3d512%2fhttps%253A%252F%252Fcdn.image.st-hatena.com%252Fimage%252Fscale%252F7475c4fb25dbe701fc17f13ecdb5119b2307392e%252Fbackend%253Dimagemagick%253Bversion%253D1%253Bwidth%253D1300%252Fhttp%25253A%25252F%25252Fcdn-ak.f.st-hatena.com%25252Fimages%25252Ffotolife%25252Fk%25252Fkun-maa%25252F20160304%25252F20160304194407.jpg&f=jpg&w=240)
少年は父親を知りませんでした。 だから母親だけが頼りだったのです。少年はいつも心細かったのです。父親だけでなく、風景さえも見たことがありません。色彩も光も、実は母親の顔さえも知りませんでした。少年の眼(まなこ)には何も映りませんでした。花も虫も動物も、自分自身でさえもどこにもおらず、ひょっとすると、真実さえも見つけることができなかったのです。 それでも少年には母親がいました。少年にとっては母親こそが、世界のすべてだったと言い切っても間違いではありません。母親も少年を心の底から愛しみました。少年の風景になろうとしました。色彩であろうとしました。光のかわりになろうと努力をしたのです。けれども母親は、なぜか毎晩のようにすすり泣き、悲嘆にくれていました。 少年の父親は少年が生まれてすぐに、母親と少年を捨ててこの町を出て行ったそうです。父親のことを語る母の声はそれこそ、震えていました。心の奥底にある

彼と彼女がおのれの幸福のために、本能と懸命に葛藤した数時間の物語です。 暗くてじめじめした場所でした。隙間から差し込む日の光が邪魔でしかたなくて、まるで亡者が踊りだしそうな暗闇でした。そんなところが彼の住処だったのです。生きるということは、彼にとっては試練以外の何者でもありませんでした。生まれたときから自立する必要があったのです。親兄弟に親類縁者、それらは彼にとって、何の意味も持たない呪文でしかありませんでした。 彼はいつも空腹でした。生きるために食らうこと、それしか頭の中にはありませんでした。ところがある日、彼は彼女に出会います。彼は彼女のことを、美しいと思いました。彼女は見たこともない色彩を体の上に載せていました。どんな暗闇に置かれたとしても、彼女の色彩はひときわ光り輝くような気がして、彼は彼の肉体と比較し、限りないほどのあこがれを感じました。 けれども彼はどうしようもなく、空腹だった

彼女は10歳になるまで、優しい父母に可愛がられて、たいそう幸福に育ちました。 彼女の周りはいつも明るくて、見たこともないほど空は真っ青で、お日様がまぶしいくらいに輝いていました。けれどもやがて彼女が10歳になったころ、自分の容姿が醜いことを思い知らされました。彼女にそのことをわからせたのは、小学校のクラスメートたちでした。 やがてクラスメートたちは、彼女をつまはじきにしました。彼女に対して醜い、臭い、汚らわしいなどという屈辱的な言葉を浴びせました。低学年のときに仲の良かった友達にしても、彼女のことを毛虫でも見るかのような目つきで眺めるようになりました。ところが彼女は一人ではありませんでした。彼女には彼女と同じように、醜い友達がいたからです。だから孤独ではなかったのです。 彼女の友達もみんなから、醜い、臭い、汚らわしいと言われていました。実は彼女も彼女の友達を醜いと思っています。でもそれは彼


なにがなんだかわからぬままに、淳平が運転する軽トラックに乗せられた。 「出発じゃ」 とにかくお尻が痛い。 天井に頭をぶつけた回数も、五回をすぎたころから数えるのをやめた。 「ねえ淳平、いったいどこへ行くつもりなの?」 どうも身の危険を感じたりもするし、確かめておいたほうが無難だと思った。 「黙ってついてこいや」 相変わらず淳平は、どこまでも上からものをいう。 だけど私にしたってあまりしゃべると舌をかみそうだったので、これ以上、不平を述べるわけにもいかず、おとなしくやつのいうことに従った。 「魔方陣の中心で」からの続きです。前の記事から読んでもらったほうが分かりやすいですが、この記事だけでも完結しているので、問題はありません。 www.8ssan.com 十分もすると軽トラックは停車した。 「着いたぞ、A子、車からおりてこっちへ来い」 連れてこられた場所は、なんと例の河原だった。暗くてここか

好きなものに対する情熱は、時に人を“研究者”にするのかもしれません。ジャニーズに対する熱い思いを日々ブログにつづる“ジャニヲタ”ブロガー・あややさんもその1人。Twitterで実施したジャニヲタの誕生ルーツを探るアンケートには約1万人が参加し、そのデータをもとにした分析記事は、はてなブックマークでも話題を呼びました。はてなニュースでは、そんなあややさんから見たジャニーズのファン文化を紹介していきます。第1回はアンケート企画の裏側について。ジャニヲタの“アンケート好き”には、深い理由があるようです。(編集部) こんにちは、はてなブログ「それは恋とか愛とかの類ではなくて」のあややです。初めましての方に向けて一言で自己紹介をするとすれば「ジャニヲタブロガー」と申し上げるのが一番分かりやすいだろうか。文字通り、ジャニーズのファンとしてブログを書いている者である。日々ジャニーズアイドルの皆様の煌きを

私が小学2年生の時、凄く好きな男の子がいた。 彼は運動も勉強も大の得意で、クラスの人気者だった。彼の魅力である身長の低さも、女の子達の母性を擽り可愛い可愛いと口々に言われていたし、体重も軽かったので彼が好きな女の子達は順番で彼を抱っこしたりしていた。 そんなある日、席替えで私は念願だった彼の隣を射止めた。そこは黒板からは遠い一番後ろの席だった。隣というだけで、心が楽しく跳ねたし苦手だった勉強も九九も必死に取り組んだ。恋の力は子供にも効果があるのだと私はこの時初めて知った。 そうして席替えから何日か経った頃、国語の授業を分からないながらに先生の説明を一生懸命聞いていた時の事だった。 机の上に置いてあった私の腕を隣の彼が机の下に、少し乱暴に振り落とした。いきなりの事で何が起こったのか分からなかった私は慌てて彼を見た。すると彼は私の方を見ていたかと思えば、机の下に落とされた私の手をぎゅっと握り手

2015-06-27 知り合いの男(46歳)にはじめて彼女が出来た。24時間ラブラブしていて、やっと人生の絶叫期が来たとはしゃいでいる。 スポンサードリンク 嬉々として電話を掛けてきた 「ハハハ。成功する時って一瞬だな? ゴールを目指していた当時は、遠くて見えなかった景色も、到着してみて拍子抜けする程だったよ。そらそうか、男女関係なんて自然な流れで発生する、ごくごくふつうの事だもんね。ハハハハハハハハ」 僕のような一回り下の人間に、そこまで熱烈アピールされても困るんだけどな……、ってぐらい語気を荒げて自慢してくる。 彼は、僕の父親が昔働いていた職場にいた派遣社員の男なのだ。 汗だくの脂性なのに、風呂嫌い。それが災いして、清潔感は壊滅的である。 かと言って、人の目を気にしない訳でもなく、注目される事を過度に恐れ、いつも怯える弱気な中年男だ。 これだけでも既に、非モテポイントを稼ぎ過

彼女はいつも遠まわしにツイッターに書く。 「はあ、またゲームばかり」 ウイニングイレブンをプレイしながら合間に携帯でツイッターを覗いた僕の手は止まった。またこれか。 彼女は言いたいことを直接言わない。なぜか遠まわしにツイッターを経由して言うのだ。ゲームばかりで私に構ってくれない、どうして?そう言いたいのだろう。けれども、直接は言ってこない。 「いつも返事が遅いのは私のことなんてどうでもいいから?」 そんな言葉が彼女のツイッターに投稿される。 こういった発言の一番卑怯なところは、どうにも返答しようがないという点だ。 「返事が遅くてごめんね。やっぱ会議中とか携帯見れないからね」 と返答すれば済む話だが、それも変な話なのだ。彼女のツイッターの発言に返信したり、あるいは直接返答をしてはいけないのだ。 この種の彼女の発言は、あくまで僕が見ていない、見れていない、という前提で成り立っているのだ。見て

昔さ、Yahoo!チャットって場所があったんだよ。お前は知らないかもしれないがな。 当時はみんなホームページってやつを持っててな、誰が読むんだかしらねえ自己紹介とか何番目の訪問者です!ってのやっててな、ひどいとこになると熊のアイコンみたいなのがビュンビュンとカーソルを追いかけてくんだ。ありゃ恐怖だったね。 誰が興味あるんだかしらねえ、使用パソコンのスペック書くヤツまでいてな、「CPU: PentiumII、350MHz」とかドヤ顔で書いてたんだよ。タワー型のパソコンの写真まで載せてな。なんのため?しらねえよ、本人に聞け。 でな、そういうところには必ず掲示板ってやつがあってな。BBSとか言ってたな。山陰放送じゃねえぞ。で、キリバン踏んだらBBSに報告することが義務付けられてて、しなかったら末代まで祟られて呪詛にかけられるんだけど、熱心なヤツになるとチャットっていう、リアルタイムに文字でお喋り

2015-06-27本『俺に似たひと 平川克美』に学ぶ、老いと病と究極の親孝行 父親と息子の麗しい関係構築の技術 スポンサードリンク 人間はいつか必ず、この地上から姿を消す。 喜びや憎しみ、あらゆる感情とともに。 積み上げてきたものが、燃え尽きて灰となり、それすらもいつか消えてなくなってしまう。 未来は真っ暗闇であり、絶望しか待っていない。 だから、今の幸福に浸る事が必要である。 時が進む度に、絶望が近づく。 幸せは今感じるしかない。 ゆえに、親孝行は今やっておくべきなのだ。 絶望の淵に追いやられてしまった後では、どんな感謝の言葉も届きやしない。 どんな情熱的なありがとうの言葉も、生きている者の心中で旋回するだけになる。 しかし、どう足掻いてもなんらかの後悔は残るものだ。 であるから、究極の親孝行なんてのは、開き直る事である。 死んだら死んだ。自然の一つとして、正し


母さん、 私デートに行きます。 行っちゃいます、初デートです。 齢二十四にして、記念すべき 初の、デートです。 母さん、 あなたは二十四年ものあいだ、 私には、ひとっことも、 そろそろ彼氏のひとりくらい、 とか サークルにかっこいい男子いないの、 とか 口にしませんでしたよね。 その代わり、 あんた、 子どもだけは作りなさいよ、 と。 旦那は必要ないから 子どもだけは作りなさいよ、 と 何度も言いましたね。 子どもにシングルマザーになるよう勧める親が 一体どこにいるんだ、 と頭を抱えた私が、 今度、デートに行きます。 母さん、 あなたの娘はKIRINです。 つまり彼氏いない歴=年齢です。 中学も、 高校も、 大学も、 彼氏がいないどころか、 男友達もろくにいない、 パッサパサの、 パッサパサのサバンナで、 青春時代を過ごしたキリンの私ですが、 そろそろ、 そろそろ慎ましいオアシスに、 た


先日いつものように猫の散歩に出かけたら公園でばったり人外に出会った。ネットで画像を集めるくらい人外は好きだったけど生で見るのは初めてだったので「うわー・・・こんなとこにもいんだ・・・」驚きと感動で思わず声が漏れてしまった。だが驚いたのは自分だけではなかった。「えっ、なに!?」人外からも驚きの”声”が聞こえた。そう、目の前の人外が喋ったのだ。あまりに予想外の出来事だったので人外が喋ったのだと理解するまで数秒のラグがあった。だがそんなのは些細なことだ。もっと驚いたことがある。それは人外の声が人外とは思えないほど人間めいていたこと。そして言いようもないほどにコケティッシュな女声だったこと。この二つだ。正直わけが分からなかった。だがそんなのは些細なことだ。目の前に憧れ続けてきた人外がいて、意思の疎通ができる。しかもコケティッシュな声をしている。こんな好条件もう二度と無い。そう思った自分は声を振り絞
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