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finalventと吉本隆明に関するmshkhのブックマーク (13)

  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
    mshkh
    mshkh2016/11/15非公開
    理解できたという自信はないですが,非常に刺激的なシリーズでした
    • cakes(ケイクス)

      cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。2022年9月1日

      cakes(ケイクス)
      mshkh
      mshkh2016/11/02非公開
      「血縁集団的(対幻想を本質)な共同幻想の上位に立つ統一部族的な共同幻想が成立してしまうと、それがさらに強固にかつ拡大して「国家」に変容していく」
      • cakes(ケイクス)

        cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。2022年9月1日

        cakes(ケイクス)
        mshkh
        mshkh2016/10/27非公開
        「純粋疎外によって人類は必然的に国家幻想を生み出してしまったが、純粋疎外は今後さらにその国家幻想をいずれ解体し、個人と性を解放するはずだという主題が隠れている」
        • 恋愛と人生は「地獄」であることを直覚させた『共同幻想論』 | 新しい「古典」を読む | finalvent | cakes(ケイクス)

          隆明『共同幻想論』評、第二回は書が描かれた社会状況に迫ります。『資論』のマルクスを牽制しつつ、フロイトやヘーゲルの方法論で書を描いた吉隆明。学生運動華やかなりしころ、それらの学生に熱烈に読まれたかというと、彼らが意識していたのはちょっと違ったようです。 改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫) 方法論の原点のひとつはフロイトの『トーテムとタブー』 人類とは何かという根源的な問題を考察する上で、無意識の内的了解の進化過程に視点を置く方法論として吉の『共同幻想論』は、進化心理学よりは、ジークムント・フロイトの『トーテムとタブー』に酷似している。むしろ、『共同幻想論』は『トーテムとタブー』の反論として書かれているとも言える。そもそも「トーテム」は「禁制」であり、ゆえに『共同幻想論』もこの「禁制論」から始まる。 だがフロイトによる方法論の帰結は、フロイト精神分析の性意識の発達段階説

          恋愛と人生は「地獄」であることを直覚させた『共同幻想論』 | 新しい「古典」を読む | finalvent | cakes(ケイクス)
          • cakes(ケイクス)

            cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。2022年9月1日

            cakes(ケイクス)
            • cakes(ケイクス)

              cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。2022年9月1日

              cakes(ケイクス)
              mshkh
              mshkh2014/09/20非公開
              「テレビを見る行為は吉本にとって、子育てとして、子どもとの生活過程のなかで重要性をもっていた」「人は40歳を過ぎたころから誰でも、自身がしだいに歴史存在に変わっていく」今回も非常に刺激的で面白かったです
              • cakes(ケイクス)

                cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。2022年9月1日

                cakes(ケイクス)
                mshkh
                mshkh2014/09/20非公開
                「あの無類の生々しい臨場感と、どんな深刻な現実の事件や思想も非現実の映像や画像とおなじ次元に引きずり下ろしてしまう魔力とが、テレビの極限の機能なのだ。思想は死に瀕したなというのが、その時の実感だった」
                • [書評]フランシス子へ(吉本隆明): 極東ブログ

                  まさか吉隆明が最後の最後にこんな傑作を残していくとは思わなかった。晩年のテレビ講演などを見ると、もうほとんど惚けているとしか思えない恍惚感まで浮かべていて、死ぬ前から著作物はもう期待されないだろうと思っていた。それがまさかのまさか。 亡くなる三か月前までの肉声を伝える、この、「フランシス子へ」はすごかった。老人惚けのような語りと極限まで押し詰められた思念が一つの純粋な言語の結晶となっているのだ。語りがそのまま詩になっている。 吉さんがこんな白鳥の歌を残していたんだと、読みながら、涙があふれてきた。それでいて、可笑しくて、笑いもこぼれる。こんなってあっただろうか。 タイトル、「フランシス子へ」というのは、「フランシス子」と名付けられた(ばななさんが命名した)の死に捧げたものである。吉さんの死に先立つ九ヶ月前のことだった。16歳4か月だったという。としては高齢の部類では入っていた

                  • 吉本隆明が亡くなった: 極東ブログ

                    隆明が亡くなった。未明に地震があり、あの震源はどこだったんだろうと思ってテレビの音声を聞いているときに、訃報を聞いた。 まあ、お年だからなと思った。糖尿病を抱えヘビースモーカーで87歳というのは大往生の部類ではないか。彼の死についてはかねて理解している以上のことはないなと思って、ぼうっとしていたら、自然に涙が出て来た。ツイッターにも吉の死のことは書くまいと思ったが、堰を切ったように連投してしまった。 僕は吉さんに個人的に会うことはなかった。知人が吉さんのの編集などをしていたので会うこともできないものでなかったけど、まあいいかと思っていた。自分が若い頃、自暴自棄になって自分の学んだことをすべて放り出したいと思ってプログラマーになって、ヴェイユのひそみもあって工場でファームウエアのアセンブラプログラムとかしているとき、吉さんのの、宮沢賢治に触れたところで、知識人は知性を罪責と思

                    • 江藤淳の痛みというか - finalventの日記

                      このところ、江藤淳の痛みのようなことをぼんやりと考える。彼も自決だった。そして、その自決は三島由紀夫と同質でもあったかもしれない。 江藤は32年生まれ。昭和7年だ。三島は1925年(大正14年)。私の父が26年生まれ。 父は大病で結果的に戦死を免れ、私がこの世にいる。彼の兄、つまり私の伯父はインパールで戦死した。つまり、殺された。父は私をその兄に似ていると見ていたふしがある。私は伯父の転生かもしれない(冗談ですよもちろん)。 三島も実質戦争を免れた。そのことを内心、忸怩たる思いがあっただろう。彼は団塊世代の上にあたり、GHQの所作も見てきたし、戦後日の欺瞞も見ていた。耐えられなかったというのはわからないでもないが、それより、自身の確立がGHQなるものとそれに結託する日的なるものに耐え難かったのだろう、というのはわからないでもない。天皇崇拝みたいなものは、偽悪的に言えば、そうした仮託の偽

                      江藤淳の痛みというか - finalventの日記
                      • ありがちな思想の錯誤 - finalventの日記

                        ある年代以上で思想に関わった人間ならほとんど暗唱している吉隆明「マチウ書試論」だけど。 人間は、狡猾な秩序をぬってあるきながら、革命思想を信じることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである。 全共闘世代が残した唯一の遺産たりえるのはそのあたりかもしれないと少し思う。 finalventに対して、お前は中国に謝罪せよ、イスラエルに加担する卑怯者だ、とか言う日人さんがいらっしゃるが、「人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである」がわかっていないのだろう。そう言う日人とfinalventとは、日国家という関係の絶対性においてまった変わるところがない。対国家の関係における関係の絶対性において、finalventもその批判者も同じ日人として疎外された存在

                        ありがちな思想の錯誤 - finalventの日記
                        • [書評]吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜(吉本隆明,・糸井重里): 極東ブログ

                          今日、NHK教育で22:00~23:29に、ETV特集「吉隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」(参照)が放映される。いちおう録画予約を入れた。リアルで見ることはないと思うし、予約がこけることもないと思うのだけど、そうだな、ワンセグのほうでもダブルで予約入れておくかな。 戦後思想界の巨人と呼ばれ、日の言論界を長年リードしてきた吉隆明(よしもと・たかあき)さん。84歳になった今も、自らの「老い」と向き合いながら、思索を続けている。 吉さんは、目が不自由になり読み書きがあまりできなくなった。足腰も弱り、糖尿病を抱えている。しかし、2008年夏、「これまでの仕事をひとつにつなぐ話をしてみたい」と親交のあるコピーライター糸井重里氏に協力を依頼し講演会を開いた。 とういこと。 かなりたぶん、この講演のころ出版された「吉隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜(吉隆明,・糸井重里)」

                          • [書評]小林秀雄の恵み(橋本治): 極東ブログ

                            治は直感から質をさらっと言ってのける頭の良さをもった人で、その直感から言い切りまでのプロセスを文章にするため冗長な印象もあるが、出てきた表明はコピーライティングのようにわかりやすいし、白黒つけやすい明快さがある。小林秀雄も直感から表出のプロセスを迂回して語る癖があり、表出も短く刈り込まれているため「人生の鍛錬 小林秀雄の言葉」(参照)のように断片的に理解しやすいところがある。だがそんなものは無意味で、依然小林秀雄の文学の全体を読めばその表明は白黒つけがたく明晰さには迷路の複雑さがある。体力というのでもないのだが思念の持久力のようなものがないととても読み切れない。 思念の持久力というものがどのようなのかというのは、「極東ブログ: [書評]小林秀雄の流儀(山七平)」(参照)で触れた山の論考が参考になるだろう。小林がどれほど聖書を読み抜き、パウロを心に秘めていたか、そこを読み解くことの

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