安倍政権が取り組みを強化している、社会人が大学などで再び学習する「リカレント教育」をめぐり、内閣府の世論調査で「学習したことがある」、または「学習してみたい」と答えた人は合わせて36%余りにとどまり、政府は取り組みやすい環境を整える必要があるとしています。 安倍政権が取り組みを強化している、社会人が大学などで再び学習する「リカレント教育」について、「学習したことがある」、または「学習してみたい」と答えた人は合わせて36.3%となった一方、「学習したことはなく今後も学習したいと思わない」が58.1%、「まだ在学中で社会人の経験がない」が3.2%でした。 「学習したことがある」や「学習してみたい」などと答えた人に、学習しやすいと思う場を複数回答で尋ねたところ、図書館などの社会教育施設が45.4%、インターネットが45.3%、大学などの校舎が27.9%などとなりました。 生涯学習の政策を担当する

適応できない日本人たち(福耳さん) 教室へやってきた大学生が、ノートもペンも持ってきておらずゲンナリ、という話。 二十歳の大人に、「ノートをちゃんと持ってこい。」なんてこちらはとても言う気になれない。ペンを出せ、とかも。それを言うのは本当に相手に対する侮辱だと思うから。だから、「ノートをとったほうが知識として後に残るよ。」とか、「まあ、ノートをとらないのもあなたがたの価値観だけれども。」とか言っても、平然としてただぶすっとして椅子にだらしなく座っている。 昔、アルバイト先で私がミーティングをやっていたことがあります。全員が高卒以上で、8割が大学生。いくつか連絡事項があるので、メモしてくださいというのだけれど、持ってきていない人がいる。仕事でペンは使うのですが、カバンにしまって席に置き、ミーティング室へ持ってくるのを忘れてる。ノートはそもそも持っていなかったりします。おじさんおばさんはもち
何千年も前の遺跡から「最近の若者は……」と書かれた出土品が出てきた、という話をご存じの方は多いと思います。でも、これって本当の話なんでしょうか? 今日は、「最近の若者」のルーツを追っかけながら、ネット社会と統一されない自己について考えます。 人の話す言葉のどれが正しいとするかは、なかなかむずかしいことです。それはどこに基準点をおくか、いつの時代、どこの言葉を基準とするかによります。どれが正しいかというところに踏みこむと、保守的な態度の人、新しいことを好む人、いろいろあって、その人の人生や世界に対する考え方が言葉の選択の上に出てきます。今から何千年も昔の楔(くさび)形文字を解読したところ、「このごろの若者の言葉づかいが悪くて困る」とあったそうです。言葉は人間の行為だから、保守的、革新的という相違があるのは当然です。 大野晋『日本語練習帳』より 日本語ブームの種火となった『日本語練習帳』です。
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