「潮来笠」や「いつでも夢を」など数多くのヒット曲で知られ、長年にわたり日本の歌謡界をけん引してきた歌手の橋幸夫さんが4日、都内の病院で肺炎のため亡くなりました。82歳でした。 橋幸夫さんは東京都の出身で、高校1年生でレコード会社のオーディションに合格し、1960年、17歳の時に「潮来笠」でデビューしました。 この曲が大ヒットし、日本レコード大賞の新人賞を受賞。その年の紅白歌合戦にも初出場するなど一躍、人気歌手となりました。 戦後を代表する作曲家の吉田正さんに師事し、その後も、吉永小百合さんとデュエットした「いつでも夢を」や「恋のメキシカン・ロック」などのヒット曲を連発しました。 同じ時期にデビューした舟木一夫さん、西郷輝彦さんとともに歌謡界の「御三家」と呼ばれ、一世をふうびしました。紅白歌合戦には通算19回出場するなど長年にわたって日本の歌謡界をけん引しました。 また、橋さんは俳優として

たがわ・けんぞう 2月19日、気管支肺炎のため群馬県の病院で逝去。89歳。葬儀は近親者で行われた。出版社の作品社が13日に発表した。 1935年東京都生まれ。1960年、東京大学大学院西洋古典学科修了後、ストラスブール大学のトロクメ教授に師事し、65年に宗教学博士の学位を取得。ゲッティンゲン大学神学部講師、1970年に国際基督教大学(新約聖書学)から追放され、ザイール(現・コンゴ(キンシャサ))国立大学講師(神学)、和歌山大学非常勤講師(フランス語)、大阪女子大学(現・大阪公立大学)教授(西洋思想史、女性学)を経て、1999年に定年退職。 2012年の国際聖書フォーラム(日本聖書協会主催)では、「ヨハネ福音書と歴史的事実――ヨハネはなぜ史的事実を細かく正確に伝えようとしたか」と題して講演した。 著書に『原始キリスト教史の一断面』『書物としての新約聖書』『イエスという男』『新約聖書 訳と註』

プロ野球・巨人の終身名誉監督で選手、そして監督として輝かしい実績を残し国民的人気を博した長嶋茂雄さんが3日亡くなりました。89歳でした。 記事後半ではプロ野球ファンだけでなく多くの国民に愛された「国民的なヒーロー」長嶋さんの歴史をエピソードも交え、詳しくお伝えしています。 目次 華麗でダイナミックなプレースタイル 無類の勝負強さ 天覧試合でサヨナラホームラン

「ブルー・ライト・ヨコハマ」などのヒット曲で知られ、映画やドラマでも活躍した、歌手で俳優のいしだあゆみさんが今月11日、甲状腺機能低下症のため東京都内の病院で亡くなりました。76歳でした。 いしださんは、大阪 池田市の出身で、中学生のとき芸能界入りして1964年に民放のドラマ「七人の孫」に出演して人気を集め、同じ年に歌手としてもデビューしました。 1968年に発表した「ブルー・ライト・ヨコハマ」が大ヒットしたほか、その後もつやのある声を生かして「あなたならどうする」などのヒット曲を出し、NHK紅白歌合戦に10回出場しました。 1970年代後半からは俳優として数多くの映画やテレビドラマに出演し、映画「火宅の人」では、日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞しました。NHKでは「阿修羅のごとく」で印象的な役柄を務めたほか、いしださんの家族をモデルにした2003年度の連続テレビ小説「てるてる家

今年の箱根駅伝で優勝した青山学院大の陸上競技部は21日、同部の公式サイトで、3年生の皆渡星七(みなわたりせな)さんが亡くなったと発表した。21歳だった。 皆渡さんは1月、自身のSNSで昨年11月に「…

読売新聞グループ本社の代表取締役主筆で、政界やプロスポーツ界にも影響を与えた渡辺恒雄さんが19日未明、都内の病院で亡くなりました。98歳でした。 目次 渡辺恒雄さんとプロ野球 《球界からは》 渡辺さんは大正15年に東京で生まれ、昭和25年に読売新聞社に入社し、政治部の記者として自民党の大野伴睦初代副総裁や中曽根康弘元総理大臣などの取材を長く担当し、政治部長や論説委員長も務めました。 平成3年に社長に就任し、その後、読売新聞社が持ち株会社制に移行したのに伴いグループ本社の社長となり、平成16年からは12年余りにわたって会長を務めました。平成11年から4年間は日本新聞協会の会長にも就いています。 スポーツの分野でも影響力を持ち、平成8年にはプロ野球・巨人のオーナーに就任し、平成13年から2年間、大相撲の横綱審議委員会の委員長を務めました。 平成20年には旭日大綬章を受章しています。 読売新聞に

1931年に東京で生まれた谷川さんは、高校時代に詩を作り始め、1952年、詩集「二十億光年の孤独」を発表しデビュー。 広い宇宙に生きる孤独な人間の姿を見事に表現し、一躍脚光を浴びました。 鋭い感性から生まれる表現やテンポのよいことばあそびなどが特徴で、半世紀以上にわたり数多くの作品を発表し続けてきました。 生きるすばらしさをつづった「生きる」や、世界中で朝を迎える様子を描いた「朝のリレー」など国語の教科書に掲載された詩も多く、親しみやすいことばで表現された谷川さんの詩は時代をこえて読み継がれてきました。 また、アニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞を手がけたほか、絵本「スイミー」や「マザー・グースのうた」、それにスヌーピーの漫画「ピーナッツ」など海外の名作の翻訳を多く手がけたことでも知られています。NHK全国学校音楽コンクールでは過去5回にわたり課題曲の作詞を手がけ、ことばの持つ力で日本の文

映画「釣りバカ日誌」シリーズやNHKの大河ドラマ「翔ぶが如く」など、数々の映画やドラマで幅広い役柄を演じてきた俳優の西田敏行さんが17日、東京・世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり、その場で死亡が確認されました。76歳でした。 目次 故郷・福島の復興に関わる 《芸能界から悼む声》 西田さんは福島県郡山市出身で、1970年に劇団青年座に入団、その後、映画やテレビで人間味あふれる役から暴力的な悪役まで幅広く演じる俳優として活躍しました。 1993年に公開された山田洋次監督の映画「学校」では、夜間中学の生徒をまとめる教師を演じ、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞に選ばれました。 1988年から合わせて22作が公開された映画「釣りバカ日誌」シリーズでは、釣りをこよなく愛するサラリーマン、ハマちゃんを演じ、三國連太郎さんが演じたスーさんとのとぼけた掛け合いが人気を集めました。 また、NHKの大河ド

コラムニストの唐沢俊一さん死去 66歳 弟で読売新聞連載漫画家・唐沢なをき氏が発表「心臓発作」

京都情報大学院大学(KCGI)第4代学長の富田 眞治(とみた・しんじ)教授=京都大学名誉教授=が2024年9月21日,逝去されました。78歳でした。コンピュータアーキテクチャ分野研究の世界的権威で,機械命令レベル並列処理と汎用や専用並列コンピュータに関して先進的な研究をされ,その業績が今日の計算機システムの高速化に大きく貢献された一方,本学では学長として,次代を担うIT分野の高度専門職業人・応用情報技術専門家を育成するための最先端教育の展開をリードされるとともに,その豊富な知識とご経験を活かし専門分野「人工知能」のカリキュラム構築にご尽力いただきました。謹んで哀悼の意を表します。 通夜,葬儀は,近親者のみで営まれたということです。 富田 眞治教授は京都大学工学部卒,同大学院博士課程修了(電気工学専攻),工学博士。京都大学大学院情報学研究科長,京都大学総合情報メディアセンター長,京都大学物質

鳥山さんは、1982年に放送された漫画を特集したNHKの番組でインタビューに答えていました。この中で、連載開始から2年で大ヒットを続けていた「Dr.スランプ」について、当時27歳の鳥山さんはこう話していました。 「あまりブームにはならなかった方がよかったと思っています。騒がれるのはいやですから。地道に漫画だけ描いていたかったです。それなりにうれしいですけど。たまたま発明ものを描いて、これがいけるんじゃないかということで決まっただけで、特にこれを描きたいとかはなかったです。10週続けばいいほうだと思っていました。『Drスランプ』の人気はもう終わってもいい頃だと思っています。僕もまた違ったものも描きたいですし、それだけに決めつけられてしまうのもいやですから。一生懸命描いていますけど、違ったものも描きたいという感じです」 1984年に連載を始めた「DRAGON BALL」は、主人公の孫悟空が「か

安倍洋子さん死去、95歳 晋三氏母「政界のゴッドマザー」 2024年02月04日23時09分配信 2022年6月に安倍晋三元首相(中央)のX(旧ツイッター)に投稿された誕生日を祝われる母、安倍洋子さん(左端) 安倍晋三元首相の母、安倍洋子(あべ・ようこ)さんが4日、死去した。95歳だった。東京都出身。 安倍氏銃撃現場が車道に 周辺には花壇―奈良市 1928年6月、岸信介元首相の長女として生まれた。51年に毎日新聞記者だった安倍晋太郎氏(後の衆院議員、元外相)と結婚し、次男晋三氏を含む3人の子をもうけた。晋太郎氏の死去後は選挙区を継いだ晋三氏の政治活動を支えた。三男の信夫氏は岸家の養子となり、防衛相を務めた。 名門政治一家を長年支え「政界のゴッドマザー」と呼ばれた。佐藤栄作元首相は叔父。長男寛信氏は三菱商事パッケージング社長を務めた。政治 おくやみ 最終更新:2024年02月05日17時5

ロックバンド「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」のボーカルとして活躍したミュージシャンのチバユウスケさんが先月26日、亡くなりました。55歳でした。 チバユウスケさんは神奈川県出身で、4人組のロックバンド、「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」として1991年から都内のライブハウスを中心に活動を始め、1996年、「世界の終わり」でデビューしました。 チバさんの独特のしゃがれ声とバンドの重厚なサウンドが人気を集め、シングルやアルバムがたびたびチャートインしたほか、海外でも公演を行うなど活躍を続けました。 バンドは2003年に解散しましたが、チバさんは2005年に新しいバンド「The Birthday」を結成して音楽活動を続け、去年公開された映画「THE FIRST SLAM DUNK」ではオープニングの主題歌として「LOVE ROCKETS」が使われ話題

人生の機微を端正に描いた小説や、エッセー「大人の流儀」シリーズなどで知られる直木賞作家の伊集院静さんが、24日、亡くなりました。73歳でした。 伊集院さんは、1950年に山口県に生まれ、都内の大学を卒業後、広告代理店の勤務などを経て、1981年に作家デビューしました。 地元・山口県などを舞台にした自伝的長編小説「海峡」3部作や、瀬戸内海の島の小学校を舞台に教師と子どもたちの交流を描いた「機関車先生」など、人生の機微を端正な筆致で描く小説を数多く発表し、1992年に短編集「受け月」で直木賞を受賞しました。 その後も自身の人生観や仕事観をつづるエッセー集、「大人の流儀」シリーズがベストセラーとなるなど精力的に活動を続けてきました。 また、作詞家としても活躍し、近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」や「愚か者」などのヒット曲を手がけています。 プライベートでは、1985年に当時の妻だった俳優

李克強氏は安徽省出身の68歳。10代後半だった文化大革命の時期には安徽省内の農村での生活を命じられ、農業に従事しました。 その後、1976年に共産党に入党し、文化大革命後には再開された大学入試で名門の北京大学に入学し、法律を学びました。共産党ではエリートコースである青年組織、共青団=共産主義青年団に参加し、1993年からは共青団トップの第1書記を務めました。 同じ共青団出身の胡錦涛前国家主席の信頼が厚いとされていて1999年に当時、省長としては最年少で河南省の省長になり、2002年にはトップの書記に就任しました。 その後も、遼寧省トップの書記を務めるなど地方で順調にキャリアを積みました。そして2007年の党大会で、習近平国家主席とともに異例の2階級特進で最高指導部の政治局常務委員に抜てきされました。 2013年からは2期にわたり首相を務め、経済政策全般を担いました。中国の経済成長が減速

小説「人間の証明」などで知られる作家の森村誠一さんが24日、肺炎のため都内の病院で亡くなりました。90歳でした。 森村誠一さんは1933年に埼玉県で生まれ、大学卒業後、東京や大阪のホテルに勤務しながら執筆活動を始めました。 1969年にホテル勤めの経験を生かしたミステリー作品、「高層の死角」が江戸川乱歩賞を受賞して人気作家となり、1973年には原子力をめぐる研究者や企業による利権争いを題材にした「腐蝕の構造」で日本推理作家協会賞を受賞しました。 敗戦後の混乱に端を発した殺人事件を通じて人間の本性を描いた作品「人間の証明」や、自衛隊を題材にした意欲作、「野性の証明」は、映画にもなって大ヒットしました。 また、ノンフィクション作品「悪魔の飽食」では、細菌兵器の開発にあたった旧日本軍の「731部隊」について描きました。 出版社の「KADOKAWA」によりますと、森村さんは24日、肺炎のため都内の

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