中島敦の名篇「文字禍」を一字だけ変えた、円城塔『文字渦』(新潮社)が出た。表題作は第43回川端康成文学賞を受賞しており、この作品集はそれ以外に、「緑字」「闘字」「梅枝」「新字」「微字」「種字」「誤字」「天書」「金字」「幻字」「かな」の十一篇を収める。それら計十二篇すべてがことごとく文字に関するものであるから、出版元は「文字小説」といい、作者自身は「文字ファンタジー」と表現する(2018.8.1付「朝日新聞 夕刊」)。文字好きとしては見逃せないではないか。 最後まで読み通してみて、この作品集に一貫するのは、「文字で『世界』を記述できるか」という問いかけに対する回答であり、そのひとつの試みだろうと思った。またそれは、日本語の複雑な表記体系を最大限に活用したいわゆる実験小説でもあり、やや大仰にいえば、「文字言語」復権の試みでもあるように感じた。 「言語」というものは、音声が文字に先立つわけだから

自分の通う大学の生協でも街の本屋と同じように、伊藤計劃が押し出されており、ウンコ大学を中退した大量生産大衆作家の本と一緒にズラ〜と陳列されている。 このようなキャンペーンに自分はまんまと嵌り、買って読んだのだが、読みにくかった。 お話の内容は、たいていの人間の意識が消えてユートピアができましたー、文科省は人文系廃止できるね ヨカッタヨカッタとかいうものである。 そんな絶賛されるものか?と感じた。 しかし、「お前の文章の方が読みにくい」とか「映画化決定」と言われると何も言い返すことができない。 だから、自分には文句をいう権利など微塵もないのだけれども、ヒロインのある言葉にねーよと強く思った。 フィクションには、本には、言葉には、人を殺すことのできる力が宿っているんだよ、すごいと思わない とかいうお言葉である。そして、「若きウェルテルの悩み」が引き合いに出されている。 正直、人を殺す力など言葉

例の紐でわだいになってた『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』の第1巻を読んでみたんだが、日本語の誤用がひどくてつらかった。 ドワーフ達が徒党を組んで何か話し合っている p49井戸端会議のことを徒党を組むとは言わないとおもう 触れれば壊れてしまいそうな細い輪郭は精緻かつ美しく p83輪郭が精緻って、どこかに輪郭の設計図でもあるのか? 瞳孔が狭窄する p114狭窄するのは視野。 静謐な鳥の声 p146静謐って「シーン」ということばが似合うくらい静かなことを言うのだけど、鳥の声がするの?靴を鳴らす楚々とした音 p155楚々としたは、女性自身を形容することばではないのか? 枚挙に暇が無い人の群れ p224枚挙に暇がないって、(例を挙げようとすれば)数え切れないくらい多いという意味で、単純にたくさんって意味で使うことはないと思う 答えになっていない答えに、僕は汗を湛えてしまった

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