その昔、私が阪大にいたころ、ある同僚ではない友人が、車谷長吉が白洲正子をいつも褒めるのは、車谷が無名のころ白洲が褒めてくれたからだという話をした。 そういう「最初に褒めた人への義理」というのは結構あって、筒井康隆は『ベトナム観光公社』を丸谷才一が褒めてくれたことがあるため、生涯丸谷に頭が上がらず、筒井らしくなく丸谷を褒め、擁護していた。金井美恵子は最初「愛の生活」で太宰治賞に応募したが、それは選考委員に石川淳がいたからで、作品は最終選考には残ったが受賞せず、佳作でも優秀作でもなかったが石川淳の熱い推薦のため『展望』に掲載され、金井はデビューしたため、金井はのちに石川淳が死んだあと、石川淳の小説はその後つまらないと思うようになったが、恩があるから言えなかったと言っていた。 西村賢太なら、初期に褒めてくれたのは久世光彦だが、これは早くに死んだのであまり気にせずに済んだ。実は最初から褒めていたわ
エラリー・クイーン 創作の秘密: 往復書簡1947-1950年 作者:ジョゼフ・グッドリッチ国書刊行会Amazonこの『エラリー・クイーン 創作の秘密』は、二人組の小説家であった伝説的ミステリ作家エラリー・クイーンの執筆が具体的にどのように成し遂げられてきたのかを、主に1947年から1950年の間の往復書簡から浮かび上がらせた一冊である。国書刊行会からは以前、別著者ではあるが評伝『エラリー・クイーン 推理の芸術』が出ているが、今回の『創作の秘密』とは装丁も同趣向であり、実質姉妹編のような形になる。 僕にとってクイーンはミステリ作家の中でも最上位に好きな方の作家なので、発売日に買って期待して読み始めたのだけど、めちゃくちゃおもしろくて一気に最後まで読み切ってしまった。二人が物語を創り上げる過程は平穏なものではなく、お互いを受け入れられず、強く非難し、説教し、脅し、とまあよくこれでまだ縁を切ら

『九十歳。何がめでたい』(小学館)が絶好調の佐藤愛子さんと、『あなたの思うように生きればいいのよ』(KADOKAWA)を12月8日(木)に発売したばかりの桐島洋子さん。 “物申す女傑”というイメージが強いおふたりは、40年以上にわたる長いおつきあいで、この2冊を店頭で隣同士に並べて置いている書店も多く見られます。日々を元気に明るくはつらつと過ごしていらっしゃるおふたりに、「ひとりでも強く生きる秘訣」や「近頃何だか騒がしい世の中」についてどう思うか、久々に対談していただくことに。すると、出る出る! 思わず笑ってしまう、辛口コメントのオンパレードです。 日本の女性史を変えた女傑のふたり? 桐島洋子さん(以下、桐島) 佐藤さんの本、タイトルがいいですね。『九十歳。何がめでたい』って。本当に90歳におなりなのかしら? 佐藤愛子さん(以下、佐藤) 93歳ですよ。これを書いたときは、91だったけどね。

川口則弘さんから新刊『ワタクシ、直木賞のオタクです。』(バジリコ)が届いた。 すでにブログに書いたもの、と聞いてはいたが、やはり読んでないものもあり、読んでいると、有馬頼義の、直木賞をとったあと一年近く注文がなくて苦しんだ、という述懐が間違い(嘘)であるという記述があり、おおっ、出ました文学的被害妄想、と思ったのである。 『川端康成伝』で紹介したが、林芙美子が死んだあとのしのぶ座談会で、林が、『放浪記』で世に出たあと、『新潮』に書かせて貰うまで二十年かかったと言っていた、という話が出ている。だが、実際にはほどなく書いていたし、誌名の間違いかと思ったが、林は最初から『中央公論』『改造』その他主要な雑誌には寄稿しているのである。 また『江藤淳と大江健三郎』に書いたが、江藤淳は『夏目漱石』を出したあと、中村光夫に会って、「注文はあるかい」と訊かれて、「いえ、全然ありません」と答え、中村が「そうだ
最近は、作家・文筆家の生計が話題になることも多く、研究書や論文もいくつか出ているが、児童文学作家のほうはよく分からない。 『日本児童文学』1992年11月号が「児童文学の『経済学』」を特集しており、何点かはこの点に触れた原稿が載っている。 もうそれから23年もたっているから状況は変わっているだろうが、私の感触では、児童文学は絵本などで百刷を越えるようなロングセラーがあり、那須正幹のような「売れる通俗児童文学」もある一方で、これでよく出してもらえるなというような、知られていない作家がいたりする。 偕成社、ポプラ社、あかね書房、岩崎書店、金の星社など児童書専門に近い出版社もあり、新書判のラノベ風、ないしヤングアダルトものも多いが、ここでも純文学的児童文学はもちろん売れてはいない。かつては児童文学純文学はおおむね左翼文学で、これは日教組が読書感想文指定図書として売るという伝家の宝刀を握っていたが
2018年09月13日09:50 ツイート 【画像有】文豪は猫がお好き カテゴリほのぼの写真(猫) 12/07/15(日)18:47:13 No.50833 文豪ヘミングウェイもネコ好きだった スポンサーリンク 12/07/15(日)19:21:44 No.50835 日本の文豪もね。 12/07/15(日)19:24:37 No.50837 なんと言っても大仏次郎だよな …12/07/15(日)20:33:38 No.50842 こんなに一杯…12/07/15(日)22:19:39 No.50852 ヘミングウェイって 指が6本ある猫で有名だっけ?…12/07/16(月)00:10:51 No.50864 今も屋敷に残ってるらしいね 6本指の猫たちの子孫が12/07/16(月)09:10:15 No.50877 三島由紀夫 12/07/16(月)09:14:10 No.50878 随筆家
「序の舞」「鬼龍院花子の生涯」など運命にあらがい高い志を持った女性の一生を描き、多くのベストセラー作品を生んだ作家の宮尾登美子(みやお・とみこ)さんが、昨年12月30日、老衰で死去した。88歳だった。葬儀は近親者で営まれた。喪主は次女環(たまき)さん。 1926年、高知市生まれ。芸妓(げいぎ)紹介業の家に劣等感を持って育つ。17歳で結婚、45年3月に教員の夫、長女と旧満州へ。敗戦後に帰国し、農業を営む夫の実家で働きながら小説を書き始めた。 執筆に力を入れ始めた62年、「連」で女流新人賞に。離婚・再婚を経て66年に上京し、雑誌編集者をしながら書いた「櫂(かい)」で、73年に太宰治賞を受賞した。 幕末から昭和まで土佐伝来の琴に託し、芸の道を究める女たちを描いた「一絃(いちげん)の琴」(78年)で直木賞を受賞。女性初の文化勲章受章者の日本画家・上村松園をモデルに、朝日新聞に連載した「序の舞」(8

「ウェブリブログ」は2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 ※10秒後にBIGLOBEのおすすめページに遷移します
過剰なアルコール摂取は、予防することができる死因のひとつだ。アメリカの疾病対策予防センターが2012年に発表した統計によると、毎年、8万人がアルコールが原因で命を落とすという。健康に害があることはもちろん、アルコール依存症になったり、子供がネグレクトされるなど、家族にもその影響は及ぶ。アルコールの障害は、貴賤問わずあらゆる人間がなりえる。これからあげる10人の作家は、その生涯の中で家族の中毒も含めて自らもアルコールと闘い、その苦しみの中でさえ、文学、詩など優れた作品を産み出した者たちだ。 10.ウィリアム・フォークナー この画像を大きなサイズで見るアメリカの偉大な作家のひとりと言われ、ノーベル文学賞、ピューリツァー賞(2回)を受賞している。1897年、ミシシッピー州オールバニーで生まれたこの作家は、アルコールという特殊な道具を使って、『響きと怒り』や『死の床に横たわりて』などの作品を産

「戻り川心中」「恋文」などで知られる直木賞作家の連城三紀彦(れんじょう・みきひこ、本名加藤甚吾〈かとう・じんご〉)さんが19日、胃がんのため名古屋市内の病院で死去した。65歳だった。葬儀は近親者で営んだ。 愛知県出身。早稲田大在学中から小説を書き始め、1977年、「変調二人羽織」で探偵小説誌「幻影城」の新人賞を受けてデビュー。流麗な文章での心理描写と鮮やかなトリックが両立するミステリーに定評があり、81年「戻り川心中」で日本推理作家協会賞。恋愛小説、時代小説も手がけ、84年「宵待草夜情」で吉川英治文学新人賞、「恋文」で直木賞、96年「隠れ菊」で柴田錬三郎賞を受けた。 映画好きで知られ、大学在学中にシナリオ勉強のためにフランスに留学。「恋文」など多くの作品がテレビドラマや映画になった。 直木賞受賞後に得度し、仏門修行のため休筆したこともある。2009年に胃がんが見つかり、闘病していた。08年
山崎豊子さん=2009年12月 「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」「大地の子」など、社会問題に鋭く切り込んだベストセラー小説で知られる作家の山崎豊子(やまさき・とよこ=本名杉本豊子〈すぎもと・とよこ〉)さんが29日、死去した。88歳だった。 大阪・船場生まれ。京都女子高等専門学校(現・京都女子大)を卒業後、毎日新聞社大阪本社に入社。当時、学芸部副部長だった井上靖に指導を受けた。在社中から小説を書き、1958年、吉本興業の女性創業者がモデルの「花のれん」で直木賞を受賞。退社後、「ぼんち」「女系家族」「花紋」など、大阪を舞台にした女性の生涯を描き人気作家になった。 転機になったのは、65年の「白い巨塔」。医学界の暗部や医療過誤問題にメスを入れ、映画やドラマにもなり、大ヒットした。以降、実際の事件や社会問題を題材にした大作を発表。政財官界の癒着を描いた「華麗なる一族」、シベリア帰還兵
クイズがあるところに、クイズの問題を作る人あり。なんでも知っていないと務まりそうもない“クイズ作家”というお仕事。 果たして、どのようにして知識を得て問題を作っているのか?今回は「全国高等学校クイズ選手権(以下:高校生クイズ)」「パネルクイズ・アタック25」「タイムショック21」など、数々のクイズ番組への出演を経て、「高校生クイズ」「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」などで使用する問題を作っている人気クイズ作家、日高大介さんにお話を伺った。 ――どのくらいの数の問題を作ってますか? 「毎年平均で1万問程度です」 ――1万問!!! 「クイズといっても、テレビのクイズ番組だけではなく、ラジオ、新聞、雑誌、ネット、ゲームなど、あらゆるメディアで作成しています。問題を作成するだけではなく、答えが本当に合っているかどうかを調べたり、問題のレベルが適切か、言い回しに間違いがないかなどを確認したり

2013年03月04日03:17 2013年 電撃小説大賞受賞者の生存率 カテゴリその他雑談 (´・ω・`)「さて今日は特別企画『ライトノベル作家ってどれくらい続けられるの?』という企画をやりたいと思います」 (;`・ω・´)「口からテキトーにタイトル言ってますよね、アンタ」 (´・ω・`)「以前、新人賞を取ったラノベ作家がどれくらいの期間活動を続けていられるのか電撃文庫で調べたことがありまして、それを、もう一回やろうという企画です」 前回の記事 (;`・ω・´)「コレが2011年6月の記事なんで1年9ヶ月前の話ですね」 (´・ω・`)「それから大分事情も変わったんで、改めてやってみたいなあということで昔の記事に手を加えてみました」 (;`・ω・´)「ちなみにここでの『生存率』はこう規定しています」 ◯ 現在でも作家として活動している。 △ 1年以上、作品を刊行していない。 ✕ 3年以上
作家の想像力 高村薫という高名な小説家をご存知の方も多いでしょう。これまで主にミステリーの分野で大作傑作を数多く世に送り出してきた人です。先日、私はついに氏と対談することになりました。 わざわざ「ついに」と言うには、個人的に理由があります。 高村氏は最近15年ほど、読む側にすれば三部作と見ることのできる、『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』の大著を執筆・発表してきました。 実は、私はミステリーを読む習慣がないので、これまで氏の作品に触れたことがなかったのですが、『新リア王』が新聞連載され始めた頃から、困惑するような事情が出来するようになりました。 まず、永平寺で同期だった友人が、当時まだ永平寺にいた私に、新聞連載の切り抜きを大量に送ってよこして、この作品の主人公はお前がモデルだろう、高村氏と知り合いで、ここに出てくる永平寺の修行の様子はお前がネタ元だろうと言うのです。この作品は、主人公
作家が、温泉地へ行ったり、ホテルに缶詰めになったりしてものを書くなどと聞くと、ふーん資料なしで書ける職業はいいなあ、などと思う。作家でもそういう人はいるが、資料に基づいて書く学者とか評論家というのは、基本的に家に張りついていなければならない。さらに厄介なのは、使い終わった資料で、若いうちはいいけれど年を重ねてくると、これを全部とっておくほどの邸宅に住んでいるのでなければ、捨てるしかない。大笹吉雄さんに昔質問した時、資料は終ったら捨ててしまうと言っていたが、そりゃああの浩瀚な『現代日本演劇史』の資料を全部とっておくほど、大笹さんが裕福であったはずがないから仕方がなく、読者から質問されても答えられない。書いたものについて答えられないなんて無責任だと言われたって、資料をとっておくほど裕福ではないのだからしょうがない。「整理法」などというのは、邸宅を持っている人にしか意味のないもので、その整理した
相場英雄(あいば・ひでお)氏のプロフィール 1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『株価操縦』(ダイヤモンド社)、『ファンクション7』(講談社)、『偽装通貨』(東京書籍)、『みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎 奥会津三泣き 因習の殺意』(小学館文庫)、『みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎 佐渡・酒田殺人航路』(双葉社)、『完黙 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎 奥津軽編』(小学館文庫)、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。 年末年始の長期休暇中に小説執

Kurt Vonnegut, Novelist Who Caught the Imagination of His Age, Is Dead at 84 Kurt Vonnegut, whose dark comic talent and urgent moral vision in novels like “Slaughterhouse-Five,” “Cat’s Cradle” and “GodBless You, Mr.Rosewater” caught thetemper of his times and the imagination of a generation, died last night in Manhattan. He was 84 and had homes in Manhattan and in Sagaponack on Long Island. His
Vonnegut was born in Indianapolis, Indiana, in 1922 - a fourth-generation German-American. He studied chemistry at New York's Cornell University before enlisting in the US Army during World War II. After leaving the army, hereported for Chicago's City News bureau, thenjoined the public relations department of General Electric - a job he loathed. His first novel, Player Piano, was published in 19
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