※着地点が見えないまま書き始めました。 おれがおれの行きつけの医者に行くようになって何年も経つが、たまに症状などを話していると、「あれっ?」という反応をされることがある。前にも言ったような気がするんだけどな、みたいな。そりゃあ精神科の開業医がどれだけの患者を抱えているのかという話なんだけれど、それはそうとして、この医者は抑鬱状態になったことがあるのかしらん、などと思ったりすることもある。 とはいえ、おれはべつに医者が患者の病を体験してなきゃいかんとは思っていない。むしろ、そんなことになったら大変だ。そりゃ、風邪をひいたり、お腹を壊したことがない内科医はほとんどいないだろうが、骨折をしたことのない外科医なんかは普通にいるだろう。末期がんにかかった医者しか末期がん患者を診られないのであれば、需要と供給のバランスは保てないし、今の技術では男性の体を持った産婦人科医は出産を体験できない。出産は病気

snjpn.net松本人志は作品作りについて薬物使用を「ドーピング」としたらしい。 www.sponichi.co.jp太田光は「良い面と悪い面」と言ったらしい。 このあたりの価値判断、基準というものは、とりあえず置いておく。おれもまだよくわかってないので。 しかし、いずれにせよ、ドラッグを決めたら決めたで影響がある、という認識は共通している。 すなわち、それはオラフ、違う、シラフではないということだ。そこには、ナチュラルな人間がいろいろな表現、芸術をするべきだ、あるいはするに越したことがない、という志向がある。 だが、素面の人間、ナチュラルな人間とはなんだろうか。おれにはそこが気になる。 これは、おれの身体というものから思うに至ったことである。おれは、双極性障害を患っている。オランザピン(ジプレキサ)を飲まなければ、一方で酷い抑うつ状態、身体がまったく動かないほどの鉛様麻痺、スローモーシ

AIとはなにかということを、真剣に考え始めたのは、6年前からだ。AIとはなにかというテーマを突き詰めていくと、そもそも人間の知性とはなにか、という疑問にぶちあたる。 人間の知性を将来はコンピュータに搭載された人工知能が超えてしまうという想像はコンピュータの登場とともに誕生していて、なにも新しいことではない。事実、コンピュータは発明された瞬間に、計算能力においては人間を軽く超えていた。 計算能力で劣っているにも関わらず知性において人間がコンピュータに負けてないと思うのは少し奇妙なことでもある。人間の脳の機能の進化において、数字を扱って、計算できるようになったのはかなり最近のことのようだ。人間の脳にとっては、足し算とかかけ算は、最新のバージョンアップで、やっと可能になった最先端の高度な情報処理能力であって、それでコンピュータに負けてしまったということだ。 人間がコンピュータには直感はないとか、
2013年のチェスの世界選手権でマグヌス・カールセン氏(左)がビスワナサン・アナンド氏(右)に代わる世界王者の座に就いた〔AFPBB News〕 ノルウェー人チェスプレーヤーのマグヌス・カールセン氏(23歳)は11月23日、インドのビスワナサン・アナンド氏に勝ち、世界チャンピオンの称号を保持することができた。 だが、カールセン氏はとにかく史上最強だというトップレベルのチェス界の見方を一段と強めたのは、彼がアナンド氏を破った驚くべき方法だった。 彼は新しいアイデアを与えてくれる膨大な数のセコンド(アシスタント)のチームや、事前に対局の戦略を用意するスーパーコンピューターが何台も詰め込まれた部屋なしで勝利を収めたのだ。 ソフトウエア会社チェスベースの共同創業者、フレデリック・フリーベル氏の言葉を借りれば、カールセン氏の勝利は「テニスプレーヤーが時代がかった木製ラケットを1本持ってウィンブルドン

2014年07月10日20:00 人類未踏の地って存在するん? Tweet 1:風吹けば名無し@\(^o^)/:2014/07/09(水) 01:51:55.61 ID:iXte42/g.net ロマンあるけど 転載元:http://tomcat.2ch.sc/livejupiter/kako/1404/14048/1404838315.html 【画像あり】日本の秘境 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4446539.html 2:風吹けば名無し@\(^o^)/:2014/07/09(水) 01:52:09.67 ID:IhgzjUqq.net 深海やろ 【深海ヤバイ】深海に棲む異形の生物画像 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4151048.html 6:風吹けば名無し@\(^o^)/:20

現実はSFよりもSFだ。しかも、SFよりも「お約束」な展開が恐ろしい。 革新のスピードが速すぎて、考えるのをやめ、「なりゆきを見守っている」のが、現状になる。SF好きには堪らないだろう。なんせ、ロボット兵を作り出すアイディアを、SFから拝借しているどころか、SFでもやらないベタな地雷を正確に踏んでいるのだから。 軍用ロボット技術の現状を洞察し、イラクやアフガニスタンで活躍する無人システムを、(良いとこ悪いとこ含めて)解説する。紹介される無人偵察機やロボット兵はSFまんまだけれど、だいたい想像つく。むしろ、使い勝手の良さや、ユーザ巻込み発想はスゴい。 たとえば、ルンバで有名なiRobot社のPackBot(パックボット)は、箱から出してすぐ使える。8つのペイロード・ベイがあり、地雷探知機や生物化学兵器センサー、ズームカメラなど何でも搭載できる。イラクではカメラ+かぎ爪を組み合わせ、遠隔地から

Earlier this week, the world's shortest man, He Pingping, age 21, died after developing chest pains while filming a television show inItaly. Pingping suffered from primordial dwarfism, a condition which kept him from ever growing taller than 73 cm (2 feet 5 inches) tall. Pingping was recognized by theGuinness World Records organization, who also held a "World Records Day" last November, encourag

本書「代替医療のトリック(サイモン・シン、エツァート・エルンスト)」(参照)は、日本では、「フェルマーの最終定理」(参照)や「暗号解読」(参照上巻・参照下巻)で人気の高い科学ジャーナリスト、サイモン・シン氏の近著として読まれているように思う。シン氏の著作の訳はどれも青木薫氏に統一されていて読みやすいことも人気の一つだろう。 私もそうした文脈で本書を読んだのだが、読後、本書は科学ジャーナリストとして十分に書かれているものの、この分野はサイモン・シン氏にとっては不慣れなままではなかったかという印象が残った。おそらく、シン氏もその点は理解していて専門であるエツァート・エルンスト氏と共著したのだろう。本書には興味深い献辞がある。「チャールズ皇太子に捧ぐ」である。なぜか。チャールズ皇太子が代替医療に関心をもち、どちらかと言えばその推進の立場にあるため、その科学性と有効性に再考を促したいとシン氏が願
どんな研究も、誤った研究課題からスタートしたり、誤った観点に立っていたり、この場合のように異なる相手と戦おうとすれば、誤った結論に至ってしまう。この場合の誤った敵とは、CAPTCHAを認識する自動化されたボットだ。Googleは最近、適切な画像の回転を行う新たなCAPTCHA(Socially Adjusted CAPTCHAs)について詳しく説明する論文を発表した。この方式の目的は、CAPTCHAを人間には使いやすく、ボットにはずっと認識しにくいものにすることだ。しかし、「ボット VS CAPTCHA」というテーマに関するこの論文や他の多くの研究論文では、新たなアプローチが増加傾向という問題を除外してしまっている。もしこの新たなCAPTCHAが実際に実装されれば、新たなアプローチによって以前よりも効率的に侵害されてしまうことになるだろう。 「Inside India's CAPTCHA

Though we differ in the way we look and things we believe in, there’s something we all share:emotion. Humanemotion is innate in all of us;it’s something we’re born with and something we die with. Happiness, sadness, love, hatred, worries, and indifference - these are things that constantly occur in our daily lives. Today we share with you 40 powerful depictions of the humanemotion. In these ph
ああ、かわいそうなアカハラ・・・。何の罪もない小鳥なのに、いつの間にかその名は別の意味を持ってしまって・・・。 アカハラの時効三年というのは、裁判にした時の損害賠償請求の判例の話だろう。大学へ訴えるにおいては時効はない。第一、大学で「アカハラの訴えは時効三年」などと定めたらえらいことで、たとえば修士一年の時にアカハラを受けても、学者の道を選んでいたら教授などを訴えることはできないし、三年たったって博士二年で、とうてい他大学に就職しているなどということはない。田中夫人の言い分はまるっきり「アカハラ擁護論」と変りはない。 - あと「ルサンチマン」という語は、本来の語義から離れて、単なる「怨恨」の意味で使う者がいる。ニーチェのいうルサンチマンは、弱者の怨恨であり、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」と言いつつ、実は怨恨を抱いているとか、そういう隠された恨みを意味するものである。あるいはこれを批
「同じ人間だろ」は断固否定しなくてはならない。同じ人間ではない、という基本的な態度をとるべきなのである。 http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20081027#p1 この1節を読んで石原吉郎を思い出しましたにゃ*1。 正確にはソ連のラーゲリ(強制収容所)における石原の友人、鹿野武一という人物の言動を思い出したのですにゃ。 もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。 鹿野はラーゲリの取調室で相対した保安中尉にむかってこういったそうだにゃ。そして、ラーゲリにおいてハンストをする。ラーゲリにおけるハンストなど、抗議どころかほぼ自殺を意味するというのに。 ラーゲリの10年弱を生き抜いた鹿野は、日本に帰り、1958年に自死しますにゃ。石原は1977年に死去。風呂につかったまま亡くなったそうで、半ばは自死のようなものであったとのこ
⇒本を読まない人間 私は本を何冊読むかというのはどうでもいいことじゃないか以下略なんだけど。 繰り返し読む本は、その著者の内的な感覚に耳を澄ましているという感覚がある。 というか、人の話を聞いているというか。 私は若い頃、今でもそうかな、人の話を聞かないとよく叱責された。この話は書いたけど、それは大半は私がさっさと話をマクロ処理してその権力性を脱色してしまうからのようだ。人の話を聞けというのは、ようするに命令なのだから。 それはそれとして。 私は、人の話を、自分としてはよく聞いている。声とか論理とか、特に、言葉と言葉使いの感性を。 特に、言葉のなかのある内的な感性の揺らぎみたいのを聞き分けようといつも無意識の努力をしている。 文章のうまい人や頭のよい人というのはいて、そういう人は、ある程度文章をそのままマシン的にかける。わかりやすく明解というか。でも、そこの内的な感覚はおもむろに欠落してい
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 第二次世界大戦後、南アフリカでアウストラロピテクスの化石が発見され、周辺からはへこみのあるヒヒの頭蓋骨も見つかった。アウストラロピテクスの頭蓋骨にも打撃の跡が残っていた。 調査を行った人類学者は、植物食と思われるアウストラロピテクスが動物の骨を用いて狩猟を行っていたばかりでなく、頭蓋骨に残る打撃の跡をアウストラロピテクス同士による殺し合いの証とする説を発表した。 「動物が本能としてもっている攻撃性を人間は武器を用いることによって拡大し、殺戮者としての歴史を歩んで現代にいたっている」といった、人間の暗部を暴露するショッキングな説であったが、アカデミズムの範囲をこえ、人々の間で話題となった。 当時、ホロコーストを経験したヨーロッパは、その合理的な

頭が痛い夜の三時にパソコンの電源を入れたままで机に打っ伏している。ウインドウズのアップデートがハードディスクを回す音と、雨音が、耳鳴りに混じって聞こえてくる。焦げた臭いが鼻をつくけれど、何も燃えてはいない。暑さにやられて草臥れて、五感が壊れてしまっているだけだ。 体の具合が悪くて、悪くて、椅子に座るもままならぬ日は、元気になれば何だって成し遂げられるような気がする。弱る体とは裏腹に、とても強い気持ちになれる。本当に辛いのは元気な日だ。どこも悪くないのに、何一つ成し遂げられない元気な日だ。そんな日は、自分に失望され、罵られ、うちひしがれて眠れなくなる。苦痛に歪む僕は無害だが、笑みをたたえた元気な自分は、これ以上なく有害だ。 僕という1人の人間は、自らから人間扱いされていない。人として見てもらえていない。何を思っても貶され、何を考えても馬鹿にされる。何かを主張しようものなら、罵詈雑言が降ってく
アフリカで子供が餓死するのを止めたければアフリカ人と他の人類が連帯していけばいい。よその国で餓死する子供も同じ国の子供も同じこどもなのだという世界がいつか来るよ。そう祈願するほうがはるかに意味がありそうだ… 独身者にとって最後の命綱は取り巻きの信頼だけだ。実は一番愛に飢えている悲惨な滑稽劇を独裁者は象徴する。自分が自分に懐疑的になれば、部屋の隅で孤独に餓死していても誰も弔ってくれる人は居ないと思うものだ。 要は、如何にしてギリギリまで生き延びて、自分の希望がちゃんと実現するじゃないかなと笑って見ていけるかどうかが、俺にとっての最大の課題なんだ。 子供達の未来のために今俺達がやるべきことは簡単なことだ。謙遜であること。未来は自分たちの手にはない。未来はこれから生まれてくる彼らの手にある。彼らが成しとげる可能性を私が評価することなどできない。私の絶望を救うのは彼らが私の思いを打ち砕いて実現する
うちの地域でも、中学生以下の小児医療が無料になる。来年あたりから本決まりになるみたいで、 まだかろうじて生き残っている、小児救急やってる先生がたは、今からもう「終わった」とか言ってる。 夜間の小児科外来は、来る子供のうち9割以上は「軽症」。たいていの子供さんは、 日中の小児科外来が開くまで待っても、大きな問題は生じない。 今はそれでも、「時間外」であることが、わずかながら抑止力にはなっているけれど、 これが「無料」になってしまうと、もう歯止めがかからない。 黒幕はいない たぶん、議員も役所もそんなに馬鹿じゃないから、無料になったら患者が殺到して、 現場が疲弊して、病院が潰れることぐらい、容易に想像できるはず。 「無料化」を推し進める人は、たぶんそうなることを分かっているんだろうけれど、 多数決の原則は、その流れを止められない。 選挙は公約の争い。 誰かが「小児科医療無料化」を打ち出したら、
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