本当に驚いた。確かに自分は腹を下しやすい体質という自覚はあったのだけど、まさか人前で漏らすことになるとは思わなかった。 山手線に乗ってたし、うんこが漏れそうだなんてこと事前に言えなかったら、一緒にいた恋人もめちゃくちゃ驚いていた。 でも考えてみれば、驚くのも無理ないなって思った。彼の視点で考えると、いくらなんでも突然すぎる事態だったんだと思う。 だってなんの断りや忠告ももらえず、「なんかくさいなあ」と思ったときには既にもう、全てが終わったあとだったんだから。 もう最悪だった。え、なに?ってなった。なんで全部一気に?みたいな感じになった。ふんばったの?みたいな空気になった。 でもこれは言っておきたくて、漏らしたことがある人はわかると思うけど、あれ、始まったら最後まで止められない。 幻滅されたなんてレベルじゃなかったと思う。マジで、泣きそうになったけど、漏らした上に泣いたら完全に負けだと思って

分かる。 今は洋式のトイレが増えてウォッシュレットなんかも付いて便利になったとは思うけれど、和式トイレだからこそ生まれた芸術というのは間違いなくあったと思う。 以前、大便器の端から端まで真っ直ぐに伸びる生一本のそれが出たときは、 ウラル山脈を産み出したような気持ちになった。 こっちがアジア、あっちがヨーロッパ、穴のところはカスピ海。 まさに一世一代の芸術作品だった。現にこの作品に匹敵するようなものは未だに産み出せないでいる。 自分だけのものにしておくのは勿体ないと思い、そのまま流さずにトイレから出たのは正しい判断だったと確信している。 次に入った人もきっと気に入ってくれたに違いない。

先日、とある会合で出会ったワーキングマザーがぽつり。 「駅構内でベビーカーを運んでいるとき、ウンコを漏らすのははてな男子。妊婦時代に電車でウンコを漏らす姿を 見かけたのもはてな男子が多く」……。 彼らはなぜ、ウンコを我慢できないのでしょうか。 僕は37歳の日本人男性ですが、ウンコを漏らすことはありますよ。 何度もやっていたら当たり前になりました。何事も慣れですね。 でも、内心では「勘弁してくれよ。」と嘆声を上げているのです。 恥ずかしいし面倒くさいですね。 トイレは排泄のために開発された「便利な道具」に過ぎませんよね。必需品とは言えない。 だから、ウンコを漏らすはてな男子を責めることはできない。この意見、どこか間違っているでしょうか?

年に20回くらいはもらしている。それも電車の車内でだ。 もともと腹が強い方でなく、朝トイレに行っていても何かの拍子で便意が来る。「あ、来たな」と思ったらもうダメだ。5分持たない。 速やかにトイレに駆け込めれば良いが、それが出来ない状況に限って起こるのだから始末が悪い。 冷房の風が直撃する夏が特にヤバイがそれ以外の季節だろうが来る時は来る。 もちろん限界まで粘る、だがそれを超えたら少しずつ括約筋を緩めて被害を最小限に留めつつ放出していくしかない。 この段階で頭にあるのは諦念と開放感だ。周りの人間にバレてるかも、などと心配するのはもうとっくにやめている。どうせ顔など覚えていない。 幸い下痢性では無いのでパンツからコロンと下まで落ちることは滅多に無い。 あまり混まないトイレは把握しているので、落とさないよう気を使いながら最大限の速度で向かう。 個室に入ったら被害状況の確認だ。思ってたほど出てない

会社でうんこを漏らしてしまった。 朝いつも通り会社に向かっていたのだが、駅を降りた時点で軽い便意があった。 駅のトイレはいっぱいだったため、徒歩10分弱の会社まで我慢する事にした。 しかし途上、急に便意が強くなるものの、コンビニにはトイレは無い、急ぎたくても走ると漏れそうという状況で、約5分、会社まで速歩き。 永遠の道程に感じたのは言うまでもない。 やっとたどり着き、角を曲がればトイレというところまで来たが、最後の刺客登場。 狭い通路をその男はゆっくり歩く。 トイレを目前にした安心感と刺客の牛歩戦術による苛立ちから俺の肛門括約筋は脆くも崩壊し、トランクスにうんこがぶちまけられた。 あー・・・間に合わなかったか・・・ 生涯二度目のうん漏だ・・・ 前やったのは小4だったか、小5だったか。 もうあの時の倍以上の年齢になっているというのにまたあの時の気持ちを味合わなければならないのか。 もうやだ帰

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