『この世界の片隅に』の感想を述べている人たちは、こぞって、「反戦思想を押し出していないのがよい」という言い方をする。 そして「主人公が反戦思想を語らないのがよい」と言っている人もいた。 それで気になったんだけど、『火垂るの墓』って主人公が反戦思想を語るシーンがあった? 主人公の男子はむしろ愛国少年だった。彼は政府や軍部を批判しなかったし、日本の勝利を信じていたので、けっして反戦思想を語ったりしなかったと思う。 なので、あれが反戦映画とされるのは、「おいお前ら、この悲惨な子供たちを見たら戦争のひどさが分かるだろ!?」という理由ではないのか。 ようは受け手の解釈の問題だ。 追記1 もちろん『火垂るの墓』の場合、悲惨さを強調して伝える表現手法を取っているため、ろこつに反戦思想を押し出しているとは言える。そこが製作者の意図したところではあるだろう。 しかし、それだったら『この世界の片隅に』も、戦時

先日「この世界の片隅に」の感想を書いたけど、その際引き合いに出した「平成狸合戦ぽんぽこ」について、 せっかくだから何となぁーく感じてたことをだらだら記してみるよ。 「この世界の片隅に」を観て、眠れる狸が目を覚ました ↑自分の書いたもので恐縮だけど、自分は「ぽんぽこ」のテーマは「(それでも)生きていく」だと思っている。 自分たちを取り巻く世界(環境、価値観、社会、文化)の変化の中で、人はどう生きていくのか、 またどう生きてきたのかを、狸に託して描いているのがあの映画だと考えてるよ。 (学生運動とかの風刺ってのはその通りだと思うけど、少なくとも自分はもっと普遍的なものを描いていると思う。) 自分たちを取り巻く世界の変化(この映画では迫りくるニュータウンの開発だけど)に対して、 狸たちはいろんな立場をとるんだけど、この映画の場合はそれぞれ分かりやすく、 権太=世界の変化に抵抗する者。原理主義、強

基本、表現方法やキャラの造形など模倣してなんぼではなかろうか。 しかし世の中にジブっているアニメといえばジブリしか作っていない。 もっと言えば宮崎駿しかジブっていないのである。 なぜジブらないのか?もっともっとジブればジブりを宮崎駿引退後も見れたのではないだろうか? だからみんな!ジブれ!

アメリカ人はそんなことを言わない。「I'm ya stalker. suck my dick, pussy.」とでもしておきなさい。

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