諸事情あっていつもと違う道筋で暗がりを歩いていると道路沿いに建てられた中学校の体育館からオレンジの灯りがぼうっと漏れ出ていてその中からは黄色い掛け声と木の床を蹴り付けるどすどすという音が響いてきてああこんな時間まで部活頑張ってるんだと思ってなんとなく若いころを思い出して少し元気になったその中ではこの時期特有の新たな出会いがあったばかりのぎこちなさやなかなか頭を離れない進路への不安や友人恋愛家庭色んなまどろっこしいものを振り払ってひとつのことに打ち込んでいる姿があるんだろうそんな瞬間の大切さなんて大人になって初めて気づいたけどその大切さを知らないことが先へ進める原動力でもあるみたいなしょうもない思いつきに脳のリソースを持っていかれながら歩き続けるとやがて体育館の下に並ぶ小窓を通して木の床に照り付けた光が目に飛び込んできてオレンジに切り取られた空間だけがその外側の薄ぼんやりした世界から何段階も

短大はなんとか卒業したものの思った通りの就職先がなく、今は精肉卸で配送のドライバーをしている。 堅苦しいルールもなく女性は珍しいからと重宝されてはいるけど、まわりはおじさんばかりで楽しいことは一つもない。 給料がいいわけでもないけど仕事がつらいわけでもなく何となく辞める理由も続ける理由もない毎日を送っている。 飲食店の開店前に配達しなければならないから、朝の6時前には積み込みを終わらせて軽トラを走らせる。 会社のすぐ近くにあるしばらく続く桜並木は毎朝の配達ルートで、ランナーや散歩をする人ばかりでこの時間から仕事をしているのなんてわたしくらいのものだ。 そんな中で、先月のはじめころに彼を見つけた。 中肉中背、とくべつ顔が良いというわけではないけど、要するに一目惚れだった。 姿勢が良かったとか、父親にちょっと似てたとか、朝の木漏れ日に走る姿が素敵だったとかそれくらいの理由だ。 退屈な毎日の繰り

ことしのノーベル文学賞に、アメリカのシンガーソングライターのボブ・ディラン氏が選ばれました。受賞者予想で毎年名前が挙がり、イギリス政府公認の「ブックメーカー」のことしの予想で2番人気となっていた世界的なベストセラー、村上春樹氏の受賞はなりませんでした。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899ー1986)は、アルゼンチン出身の作家、小説家、詩人であり、「夢や迷宮」「無限の循環」「架空の書物や作家」「宗教・神」などをモチーフとする幻想的な短編作品によって知られている。 ……とかいうのはウィキペディアからざっくり持ってきた概要で、実は、今回はじめてボルヘスの本を読んだ。ラテンアメリカ文学好きと言いながら、実際それほど読んでいないような……? とにかく、私の初ボルヘスは、岩波文庫から出ている『創造者』(鼓直・訳、岩波文庫2009)という作品だった。「ボルヘス論」みたいなかっこいいことは全然書けないが、ここは個人のブログ。やはり単純な驚きと感動を持ってこの本を読み終えた私の心情を素直に書いていきたい。 創造者 (岩波文庫) 作者: J.L.ボルヘス,Jorge Luis Borges,鼓直 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 2009/06/16

七里の鼻のnanariです。今日はね、ほんと、名前だけでも覚えて帰ってもらえればと思うんですけど。以前から予告していた、「大切な何か」をめぐるフィールドワークの第一回報告をします。「大切な何か」たちと、「対象を失った愛」という概念の結びつきが、しだいに明らかになってきました。そして、このサイト独自の用語が増え過ぎて、一見カルトくさくなってきました。こりん星バッヂやマンガの喫水線Tシャツ、あの女医さんのすすめてくれた眼鏡などのグッズ展開も考えるべきなのでしょうか。とはいえ、いくつかの言葉を選んだ以上、賭けは始まっているわけですから、そうした負荷も引き受けねばなりません。
昔の文人は本名ではなく雅号を使ひます。大正時代まではその伝統は強く残つたやうです。雅号とは、たとへば森鴎外の「鴎外」がさうです。森鴎外の本名は森林太郎です。大石内蔵之助良雄ではありませんが、雅号がつくといかめしい感じがします。 明治末から徐々にこの伝統を破る傾向が現れたやうです。白樺派の作家などが典型でせう。志賀直哉とか有島武郎とか武者小路実篤とか、みな本名を使つてゐます。それ以外にも、菊池寛や芥川龍之介や久米正雄なんかも本名です。大正期、昭和期の新しい作家はほとんどが本名です。本名を使ふ人が増えるのと平行して、姓まで変へてしまふ筆名の人が増えました。とりわけ、探偵小説は筆名を用ゐる作家が多いやうです。江戸川乱歩とか、夢野久作とか、海野十三とか、久生十蘭とかです。さういへば、キチガヒ男こと、橘外男といふ作家もゐますが、これは本名です。なんとも気の毒な名前です。 しかし、雅号といふのは変な

けふは大正浪漫の原点にかへつて、昭和初期についてのお話にします。いろいろありますが、とりあへずは当時の文学とモダンガールのお話です。 昭和5年ごろ、<新興芸術派>を名乗る一派があらはれます。龍胆寺雄、久野豊彦、浅原六朗、中村正常(中村メイコの父)、吉行エイスケ(吉行淳之介、女優の吉行和子、詩人の吉行理恵の父、吉行あぐりの夫)といつた人たちです。 この一派は、マルクス主義文学に対抗するために集まった人たちです。なんと言つても、昭和のはじめはマルクス主義が大はやりで(大正10年〜昭和4年ごろまで*1)、文学でもその影響は著しいものでした。葉山嘉樹、小林多喜二、徳永直といつた作家が「プロレタリア文学」を標榜して、華々しく活躍しました。 彼等の信条は、社会改革に関はりのない文学は堕落したものであり、ブルジョワの滅ぶべき玩具に過ぎない。だからこそ、プロレタリア革命に裨益する文学を作らなくてはならない

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