更科悠乃@小説「快傑令嬢リロット」ただいま連載中!@空想科学小説作家 @yuno_sarashina 『戦争をしなければよかった』とはいうけれど、昭和16年の御前会議の時点で戦わない選択肢選んでも石油の全面禁輸措置食らってるから時すでにお寿司やからな。どこまで時間を巻き戻せばいいのだろうか? 2025-08-17 12:55:05 滝野川守(たきのがわのかみ) 🇯🇵support🇺🇦 @takitandai18m54 @yuno_sarashina 南満鉄をアメリカと共同経営してアメリカとの良好な関係を維持、日英同盟の維持ですかね。ただ戦略眼の無い軍人が軍部内に跋扈している限り、国際協調外交を採りたくても515や226みたいなクーデターの危険は常につきまといそう。それか日露戦争で負けて莫大な賠償金払い続けて戦争自体不可能にするとか 2025-08-17 15:27:10 名無し岩手

参院選の結果を受け、記者会見で質問に答える石破茂首相=自民党本部で2025年7月21日午後2時9分、平田明浩撮影 石破茂首相は20日夜に出演したTBSラジオの番組で、第二次世界大戦での日本軍の死者に言及し「兵隊さんで亡くなった方々の6割は戦って亡くなったわけじゃないんです。病死や餓死だったということを考えねばならんと思います。やはりきちんと過去の直視を忘れてはならんのだと思っています」と語った。 出演者から「歴史修正主義」について問われ、「歴史を修正する、ということは何を意味するかわかんない」と答えた上で、日本軍兵士の戦病死に言及した。 首相は、戦後80年に関する「首相見解」の発出に意欲を示しており、見解の下敷きとなる歴史認識をにじませたようだ。首相は2日の毎日新聞のインタビューでは「先の大戦がなぜああいう形で行われたのか、文民統制のあり方について私なりに考えたい」と語っていた。 また、出

韓国では3月1日が「三一節」という祝日に制定されている。K-カルチャーブームの大きな波が続く日本。日本人にとっても、覚えておかなければいけない「三一節」の意味を、今一度確認したい。 「三一節」で祝う「3.1独立運動」とは「三一節」とは、今から105年前、当時の韓国で起きた「3.1独立運動」を記念するものだ。1910年から1945年までの約35年間、朝鮮半島は植民地として日本に支配されていた。当時朝鮮の人々は、日本の圧政によって差別や搾取に苦しみ、劣悪な環境での生活を強いられた。日本語での教育が強制され、言葉や文化も奪われた。日本による容赦のない弾圧の中でも、朝鮮の人々は各地で独立を目指し抵抗運動を行った。その中で最も大きな勢いを持ったのが「3.1独立運動」だ。 1919年、33人の主導者たちが「独立宣言書」を想起し、3月1日にソウル(当時の京城)のパゴダ公園で行われた集会で宣言書が朗読され

明治維新が素晴らしいものであるとの“常識”に疑義を呈したのは『明治維新という過ち』の著者で作家の原田伊織氏だ。氏は明治維新がその後の軍部の台頭を招き、また「官軍史観」が現代社会を歪めていると指摘する。 * * * 明治維新は、その後の日本の不幸な歴史に直結する。「維新の精神的支柱」とされる吉田松陰ほどウソにまみれた人物はいない。その実態は乱暴者の多い長州人の中でもとりわけ過激な若者の一人に過ぎなかった。 長州の下級藩士出身の松陰が「維新の志士」を育てたとされる松下村塾は、叔父の玉木文之進が主宰していたものであり、松陰は一時的に塾を借りただけだ。しかも何かを講義したのではなく、仲間内で集まって盛り上がるだけの場だった。 松陰がひたすら唱えたのは「暗殺」と「天誅」である。彼は老中間部詮勝や大老井伊直弼の暗殺を主張し、武力による幕府転覆を訴えて、藩に対して大砲など武器の支給を願い出たほどである。

岡本喜八監督による映画『日本のいちばん長い日』(1967年)。日本の降伏に至る最後の数日間、とりわけ8月15日の「玉音放送」までの24時間を、息詰まるような緊張感で描いた名作と評価されている。 この映画での昭和天皇裕仁の発言に関して、今日、ジャンボ~ル酸性さんがこんな疑問を投げかけていた。 「わたくし自身はいかようになろうとも」という裕仁の発言は本当に史実だったのでしょうかね。どんな証拠に基づいているのか、その証拠の信頼性はいかほどなのか。全てが焼かれているはずなのになぜそれは残っていたのか。自分には、天皇をヒーローに仕立て上げたファンタジーのようにしか見えません。 — ジャンボ~ル酸性 (@nyappiripiri) August 15,2023 ではまず、この映画の、ポツダム宣言受諾を決めた御前会議(1945年8月14日)の席上で裕仁が何と言っていたか、改めて確認してみよう。映画の


「知の巨人」と称されたジャーナリスト故・立花隆さんの取材資料の行き先が不透明になっている。4月に茨城県のテーマパークへの寄託が報じられたが、故人が遺志を明示していなかったため、相続人が判断しかねているという。「段ボール100箱分」とされる資料が廃棄されてしまえば、後進の研究者やジャーナリストの損失は計り知れず、交流のあった関係者は危機感を募らせる。(西田直晃) 都心から車で1時間半。茨城県筑西市の「ザ・ヒロサワ・シティ」の一室に、「ロッキード」と走り書きされたスクラップブック、「共産」と記された段ボール箱が積み上がっている。立花さんが残した取材資料の一部だ。「ネコビル」と呼ばれた都内の事務所から6月、運び込まれた。民法上の「寄託」の位置付けで、立花さん側に代わって保管する前提だった。 「彼は日本政治を変えた男だし、何より茨城から世に出た。全資料を保管し、いずれは公開したい」とシティを運営す

学生時代、フランス革命の勉強をしようと色々と本を眺めたが、どうにも複雑怪奇で錯綜しててかなり苦労しました。そんな時、池田理代子『ベルサイユのばら』を読んだのですよね。天才っているんだなあと。オスカルとアンドレイ以外は実在の人物でそれを全巻読んだら学術書がぐっと読みやすくなった。


よく分からない理由で吹っかけられる戦争がある戦争を始めるには、指導者にどんな下心があるにせよ、一応皆を納得させられる大義名分が必要です。 ただ歴史を眺めてみると、どう考えても理不尽極まりない理由で始まった戦争も少なくありません。戦争は合理的に始まり合理的に終わると考えるのは、合理主義者が陥りがちな罠ですが、どう考えても理性的じゃない理由で戦争をふっかけられる場合もあるものです。 1. 野良犬戦争(1925年) 兵士が野良犬を追いかけ回し開戦 第二次バルカン戦争と第一次世界大戦で敵同士だったギリシャとブルガリアは、国境線を巡っていさかいが続いていました。互いに罵り合い、煽り合い、不信感が高まり、どんな些細なきっかけでもエスカレーションが起こる危険性が高まっていました。 この戦争は両軍が睨み合うペトリッチと呼ばれる国境地帯で起こりました。 1925年10月22日、あるギリシャ兵が野良犬を追い

ア.オリエント世界オリエント中東メソポタミア肥沃な三日月地帯ティグリス・ユーフラテス川メソポタミア文明 イ.シュメール人の都市国家青銅器シュメール人ギルガメッシュ叙事詩シュメール文化都市国家ウルウルの軍旗ウルクラガシュアッカド人サルゴン1世セム語系ウル第3王朝シュメール法典 ウ.メソポタミアの統一と周辺地域の動向アムル人バビロニアバビロン第1王朝バビロンハンムラビ王ハンムラビ法典民族移動インド=ヨーロッパ語族ヒッタイト小アジア/アナトリア鉄器ハットゥシャ(ボアズキョイ)カッシートミタンニエラム人イラン高原多神教マルドゥク神ジッグラト楔形文字占星術太陰暦1週7日制太陰太陽暦 エ.エジプトの統一王朝エジプトハム語系エジプト文明ナイル川ノモスファラオ古王国メンフィスクフ王ピラミッド中王国テーベヒクソスエジプト新王国トトメス3世アメンホテプ4世(アメンヘテプ4世)/イクナートン(アクエンアテン)テ
これ本当に不思議で「戦ったら石油も鉄も止められる」に決まってる。だから備蓄でできる短期決戦だといっても、そんなこと相手も分かりきっているから引っ張るに決まっている。つまり敗北は最初っから決定していた。そして各種シミュレーションでそ… https://t.co/USLY0MYdUB

第二次世界大戦中、ユダヤ人の大量虐殺が行われたアウシュビッツ強制収容所。そのガス室跡の地中から発見された“謎のメモ”。書き残したのは、ユダヤ人でありながらナチスの大量虐殺に加担させられた「ゾンダーコマンド」と呼ばれた人たちだった。未だ多くの謎が残るホロコーストの実態。地中に埋もれていた「死者たちの告白」に迫る。 大量虐殺の実態に迫る鍵 第二次世界大戦中、ナチスドイツが組織的に行った「ユダヤ人の大量虐殺」。その犠牲者は、600万人に上るといわれている。中でもポーランド南部にあった「アウシュビッツ強制収容所」では、およそ110万人がガス室などで殺されたとされる。しかし、現場は終戦間際、証拠隠滅を図ったナチスによってほとんどが破壊された。アウシュビッツの跡地では、大量虐殺の実態の検証が今なお続けられている。 「犠牲者の遺品や資料から分かった事実を世界に伝えなければなりません。大量虐殺の実態は、未

太平洋戦争では、日本で唯一の地上戦が沖縄で繰り広げられた。米軍が上陸した際、沖縄本島や慶良間諸島では集団自決が行われた。最も自決した人が多かった渡嘉敷島では、村長の号令のもと329人が命を落とした。ただし、手榴弾の不発などによって一命を取り留めた人もいる。あの集団自決の現場では何が起き、どのように生き抜いたのか。75年前を振り返ってもらった。(文・写真:写真家・亀山亮/Yahoo!ニュース 特集編集部) 5月1日から68日間、新型コロナウイルスの新規感染者数ゼロが続いた沖縄。だが、7月に入ると、在日米軍基地を含む県内で感染者が急激に増加。さらなる感染拡大への恐れと自粛の空気が強まりつつある。例年であれば夏休みの観光客で賑わう那覇市内の国際通りも、人通りが減っている。 今年はそんなコロナ禍の影響で、生まれ故郷の島へ帰れなかった人がいた。 「(3月28日の渡嘉敷島の)慰霊祭、毎年行ってたけど、

この時期にいつも思うのは、日中戦争が無視されすぎてるということ。 この時期は太平洋戦争の開戦判断ばかりに注目が集まってしまうし、一部の人が言う「先の戦争」って表現は太平洋戦争のことだし。 そして太平洋戦争勃発を境に日本が大きく変わったかのような表現が目立つ。 そりゃ大きく変わったのは事実だけど、ずっと前から変わっていたんじゃねーの? 1937年7月 盧溝橋事件 1937年12月 南京戦 1938年4月 国家総動員法公布 ここから既に国内の人材・物資徴発が始まっていたわけで、いわゆる戦時下体制で内閣は挙国一致内閣。 マスコミは1937~1941年にもっとスポットあてるべき。 日中のどっちが正しいかとかそういうのはいらんから、なぜ立ち止まれなかったのかを考える材料を提供してほしい。


県民投票の実現への強い意思沖縄の米軍普天間飛行場の移設計画をめぐって、名護市辺野古沿岸の埋め立ての是非をめぐる県民投票は、予想通り反対多数の結果になった。しかも、反対票は、総投票数の7割を超え、昨夏の県知事選での玉城知事の得票数を大幅に超える43万票以上となった。 まず、沖縄の人々が署名活動を始め条例制定を経て全島での県民投票を実現させたことに対し、そして昨夏亡くなった翁長雄志沖縄県知事の意志を継いだ関係者の方々が払った大変な努力に敬意を表したい。 またこの結果は、日米両政府、本土に住む私たちにとって極めて重い民意の表出である。 しかし、政府はそれでもこの投票結果を無視して埋め立てを続けようとしている。アーカイブから浮かび上がる県民投票に至る道今回の県民投票での意思表明は、単に埋め立てに反対であるということに止まらない。沖縄が歩んだ道を顧みれば、日本、アメリカという強大な力が有無を言わせ

前回記事で取り上げた、敗戦直後、吉田茂がマッカーサーに「日本の統計が正確だったら、米国と戦争などしていない」と語ったという件、元ネタは吉田茂の孫である麻生太郎が著書に書いたものらしい。 東京新聞(2/19): 吉田元首相「統計正確なら戦争なかった」 幼い麻生氏に言い聞かせ 毎月勤労統計の不正調査に関する十八日の衆院予算委員会の集中審議で、麻生太郎副総理兼財務相が祖父の故・吉田茂元首相から、不正確な統計をもとに日本が戦争に突き進んだと聞かされていたことが話題に上った。立憲民主党の長妻昭氏が麻生氏の著書「麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀」の記述を紹介した。(略)麻生氏は、長妻氏に「事実か」と問われ「小学生ぐらいの時に何回か聞かされた。おおむねそういうことだ」と答えた。 (清水俊介) そこで麻生の著書を調べてみると、こう書かれていた。[1] また終戦直後のまだ国民が焼け野原で飢えと闘っていた
「公的には清教徒、私的には変態」。最近のホットな映画『ボヘミアン・ラプソディ』でクイーンのギタリスト、ブライアン・メイが米国人の二重性を皮肉った言葉だ。似た言葉を韓国をよく知る外国人から聞く。 「韓国は確かに道徳志向的な国だが、韓国人がいつも道徳的に生きているという意味ではない」。ソウル大で8年間ほど韓国哲学を研究した小倉紀蔵京都大教授が著書『韓国は一個の哲学である』でした韓国社会に対する評価だ。「道徳志向性は実際『道徳的』なものでなく、すべての言動を道徳に還元して評価する」という。「澄んできれいだ」という形容詞が焼酎から政治にまでよく使われる点からそうだ。韓国人の「道徳志向性」は朝鮮時代の儒教、特に性理学に基づく。修己治人の王道政治を目指した性理学が党派争い、偽計と差別、士農工商、官尊民卑を固着化させた源泉になったのは逆説的だ。朝鮮が両乱(壬辰倭乱、丙子胡乱)後、国家機能を喪失しながら

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