菅義偉首相は11日の「東日本大震災10周年追悼式」での式辞で、昨年の献花式で当時の安倍晋三首相が触れた「復興五輪」に言及しなかった。加藤勝信官房長官は記者会見で理由を問われたが、「毎年の言葉を踏まえ…

東京電力福島第一原子力発電所の事故で放射性物質の大量放出が起きたとされる2号機について、名古屋大学などが素粒子を使って原子炉を透視した結果、核燃料の70%から100%が溶け落ちている可能性が高いことが分かりました。国と東京電力は廃炉に向けてさらに調査を進めることにしています。 これに対し、名古屋大学などの研究グループは去年4月以降、さまざまな物質を通り抜ける性質がある「ミューオン」と呼ばれる素粒子を使って2号機の原子炉を透視する調査を行いました。その結果を解析したところ、原子炉の中心部に核燃料が残っていれば赤や黄色で示されるはずが、ほとんど反応が見られませんでした。 比較のために調査した5号機では中心部の核燃料がはっきりと映っていて、研究グループは、2号機の核燃料の70%から100%が溶け落ちた可能性が高いとしています。 一方、原子炉の底にも核燃料の姿は明確には写っていませんが、この部分は
■東日本大震災追悼式の宮城県遺族代表、菅原彩加(さやか)さん(19)=石巻市出身=のことば 私は東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。 小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。 あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。 しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んで
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