おそらくISPへの接続設定が間違っています。 契約したときの接続情報(IDとパスワード)を探してきてください。 インターネットの接続確認のときに、Googleだけ表示確認するのはやめましょう。当サイトも表示できるか確認してくださいね!本件に関して、ネットワークにお詳しい方には、以下の説明です。 IPoE(v6)の通信は、v4通信のルーターをパススルーです。v4が繋がらないなら、PPPoEの設定を修正してください。 ちなみに、IP取得はPPPoEベースがよいですよ。 では、具体的な設定方法を見ていきましょう。 事象の確認(念のため) インターネットの回線契約とプロバイダーの契約は完了している前提です。 ネットワーク配線されていて、機器の電源は投入され、以下の状態ですね? アクセスできるサイトGoogle Facebook アクセスできないサイトAmazon 当サイト(wnkhs.net

back 概要: 増えつづける IPv4 の需要に対処するために提案されたIPv6 は IPv4 とは互換性がなく、その代用品にはならない。 しかし人々は依然として IPv4 のサービスを必要とする。 したがってたとえIPv6 が普及しても、その普及率が 100% になるまでは IPv4 の需要は減少しない。そのためサービスを提供する側はつねに IPv4 をサポートする必要にせまられ、IPv6 のメリットはいつまでたっても見えてこない。 結果としてインターネット全体のIPv6 の導入には予想以上の時間とコストがかかり、 普及までには長い忍耐が必要となる。 おことわり: これは Daniel J. Bernstein さん (以下 djb) によるIPv6 mess (日本語訳) および ngtransメーリングリスト (IPv6 への移行に関する問題を扱っていた) での彼の発言を読
2011年から書き続けていたIPv6本がついに脱稿しました。 この本は、クラウドファンディングで書きました。 完成したIPv6本の電子版は無償配布します。 サポーターの皆様、ありがとうございます! 全章のフィードバック受付版は、5月21日(月)にマクアケ経由のメッセージにてサポーターの皆様にお送りする予定です。 その後、7月中に完成した書籍をサポーターの皆様にお届けするとともに、一般公開および一般販売開始する予定です。IPv6本電子版の無償配布を行いますが、紙版と電子版の販売も行います。 ご購入いただけると、私とラムダノート社が喜びます。 なお、有料版と無償配布版の間にコンテンツとしての違いはありません。 ご購入いただかなくても内容を読むことはできます。 幅広く多くの方々にIPv6に関する技術情報が伝われば幸いです。 長くツライ執筆でした IANAのIPv4アドレス中央在庫が枯渇したので
NTTのIPv6閉域網におけるフォールバック問題の解説です。 同問題に対する正式な名称があるわけではありませんが、ここでは「NTTIPv6閉域網フォールバック問題」と表現しています。 当初、NTT NGNIPv6マルチプレフィックス問題の解説から書き始めていたのですが、色々考えているうちにNTT NGNIPv6マルチプレフィックス問題とNTTIPv6閉域網フォールバック問題に関してゴチャゴチャな文章になってしまったので、切り分けるためにあえてIPv6閉域網フォールバック問題だけにフォーカスした文章にしました。 個人的な感想として、背景となる環境等を考えるとNTT NGNがIPv6を利用して実装されていることそのものに関して「設計が悪い」とは思ってません。 また、NTTIPv6閉域網に関連する各種問題はNTT NGNに限った話ではなく、NTT NGNではないBフレッツ等でも発生する
今のインターネットはIPバージョン4で動作していますが、そのIPv4で各機器を識別するためのIPv4アドレスが遂に事実上枯渇しました(参考)。 長年「枯渇する」と言われ続けていましたが、それが遂に現実の物となりました。 ここでは、IPv4アドレス枯渇とは何かと、それによって何が起きるのかを紹介します。 IPv4アドレス枯渇に関して、アナログ放送の停波と地デジへの移行や、原油枯渇と似たようなものであるような認識が多く見られますが、個人的にはIPv4アドレス枯渇後のIPv4アドレスのアナロジー(類比)としては相撲の親方株の方が近い気がしています。 まず、アナログ放送の停波と地デジへの移行ですが、アナログ放送は2011年7月に一斉に停止します。 しかし、IPv4アドレスの場合は、ある日突然IPv4が使えなくなるわけではなく、今まで使っているIPv4アドレスはそのまま使い続けられるという意味でアナ
出会いは数奇なものだと感じることがある。IPv6の解説で必ず引き合いに出されるINET92は,僕が本格的にWIDEに参加した最初の行事でもあった。INET92後にWIDEのMLで,村井さんがC#やCIDRの解説をしていたのを今でもよく覚えている。 1994年にトロントで開かれた第30回IETFで,IPngの複数の候補の中からSIPPが選出された。これは僕が最初に参加したIETFでもある。壇上のSteve Deering氏が,緊張のためかやや上ずった声で喋っていたのが印象的だった。 1995年の夏,WIDEの運営委員は,IPv6の勉強会を福岡で開いた。当時僕の学生であった島くんが,修士論文の研究に行き詰まっていた。そうでなければ、新たなテーマにと,IPv6の実装を請け負うこともなかっただろう。 お酒をご一緒していたIIJ会長の深瀬さんから「インターネットは誰が偉いわけでもなく,みなそれぞれ

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