以前にエントリで簡単に先行する指摘をまとめたように、もともと弥助が黒人の侍だったという見解は日本の物語で定着していた。それを完全否定する意見が大きなボリュームとなったのは、ゲーム『アサシン クリード シャドウズ』への反発からだった。 弥助が黒人の「侍」だったという話を今さら否定することはできない - 法華狼の日記 上記エントリで紹介したWL641884氏のエントリで現在の複数の歴史学者の見解が引かれているが、確実なことはいえないという立場はあっても侍と呼ばれておかしくない身分だったことはひとりも全否定していない。 弥助関連史料とその英訳 / YASUKE in historical materials - 打越眠主主義人民共和国 なかでもツイッターで弥助を「侍」と断定したことで平山優氏が現在まで反発されているが、実はWL641884氏が紹介するなかで最も低い身分だったと考えて「武士」である


太平洋戦争中、アメリカでは12万人の日系人が強制収容を強いられました。トランプ政権移行後、その歴史を書き換えようとする動きがみられ、日系人たちは危機感をつのらせています。 カリフォルニア州の砂漠地帯にあるマンザナー強制収容所跡地。1万人以上の日系人が収容され、アメリカ軍の監視下で共同生活を強いられました。日本軍へ協力する危険があるとして、敵性外国人と認定されていたためです。 戦後、アメリカ政府はこうした事実を公式に謝罪しています。 レーガン大統領(当時) 「日系アメリカ人の強制収容は間違いだったと認めなければなりません。多様だからこそ私たちは世界のあらゆる力を持つことができました。これがアメリカなのです」 それから37年が経った今年6月、トランプ政権がある張り紙を掲示しました。 「アメリカを否定するような内容があれば報告してほしい」 マンザナーで強制収容 ジョイス・オカザキさん(91) 「


7月20日に終わった参院選で、参政党が大きく議席を増やした。注目されるにつれ、医療や外国人、安全保障に関する立候補者や党員の問題発言が批判を浴びた。私は日本近現代史を担当する記者として、歴史にまつわる事実誤認の発言が気になっている。 たとえば沖縄戦だ。太平洋戦争末期、日米両軍の地上戦で20万人以上が亡くなり、日本側の犠牲者およそ18万8000人のうち、半分は住民だった。参政党の神谷宗幣代表は5月10日の青森市での街頭演説で「日本軍の人たちが沖縄の人たちを殺したわけではない」などと発言した。日本兵による住民殺害があったことは、生存者の証言や専門家の研究で明らかだ。神谷代表はこれを全否定したことになる。発言に強い批判が寄せられたのは当然だ。 7月8日に同じ青森市内で街頭演説した際には「謝罪と訂正を求められたが、一切しない」と述べた。その上で「多くの(沖縄)県民が亡くなったのはアメリカの攻撃によ

沖縄戦の慰霊碑「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」とした自民党の西田昌司・参院議員の発言、「自虐史観からの脱却」を掲げる参政党の躍進。 戦後80年の今年、日本の植民地支配の責任や、戦争加害の歴史を否定する言説が政治の場で次々に飛び出している。だが、歴史を歪める動きは今に始まったことではない。 メディア文化論を専門とし、著書に「歴史修正主義とサブカルチャー」などがある社会学者の倉橋耕平さん(創価大学准教授)は、「日本の歴史修正主義(※)は1990年代に台頭し、その言説の形は当時から現在までほとんど変わっていない」と指摘する。歴史を否定する目的は何か。世界と日本の歴史修正主義にみられる共通点とは。なぜ私たちは、戦争加害の歴史を知る必要があるのか。倉橋さんに聞いた。 ※「歴史修正主義」とは、恣意的な観点から歴史を修正しようとする立場のこと。慣例的に「歴史修正主義」と呼ばれてきたが、実

AI で歴史修正主義について学んでいたらAI が歴史を捏造して悪魔の証明をするはめになった 悪魔の証明 ――なかったことを「なかった」と説明できるか (ちくま新書) 作者:谷岡 一郎筑摩書房Amazon 予想外の反応が多かったので補足 前提 私は普段から普通にAIを使ってる 質問、あるいは実行することが、学習データに含まれているかどうかを意識して利用している 生成された文章は2割くらいしか読んでない(無駄なので)AI は駄目だ! とかはどうでもいいと考えている(そんなものは将来的に変わる) 50万文字程度の文字データを一括処理させようとしているが、過去のマイナーなデータを大量に含むデータなのでAIで処理するのは難しそうだと考えているAI にそれができるかどうかを知りたいので、趣味と実益をかねて長い会話をすることもある 現状ではEmacs 上のAI アシスタントによる校正、AIが生

拙著『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書)を上梓してから、およそ3 か月になる。幸い、ドイツ史やロシア・ソ連史の専門家、また一般の読書人からも、独ソ戦について知ろうとするとき、まずひもとくべき書であるという過分の評価をいただき、非常に嬉しく思っている。それこそ、まさに『独ソ戦』執筆の目的とし、努力したところであるからだ。 残念ながら、日本では、ヨーロッパにおける第二次世界大戦の展開について、30 年、場合によっては半世紀近く前の認識がまかり通ってきた。日本のアカデミズムが軍事や戦史を扱わず、学問的なアプローチによる研究が進まなかったこと、また、この間の翻訳出版をめぐる状況の悪化から、外国のしかるべき文献の刊行が困難となったことなどが、こうしたタイムラグにつながったと考えられる。もし拙著が、そのような現状に一石を投じることができたのなら、喜ばしいかぎりである。 しかし、上のような事情から、日

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