2011年3月11日、東日本大震災に端を発する福島第一原発事故が起きた。当時の菅直人総理大臣が原子力委員会の近藤駿介委員長に依頼してシミュレーションした「最悪シナリオ」では「東日本壊滅」も想定されていたというが、実際には回避された。どのような経緯があったのか。 ここでは、NHKメルトダウン取材班が10年をかけて、1500人以上の関係者取材で事故の真相を追った『福島第一原発事故の「真実」』(講談社)より一部を抜粋して紹介。 震災発生から9時間以上が経過した3月12日の午前0時すぎ、1号機の格納容器の圧力が通常の6倍に達しているのがわかり、2号機もやがては圧力上昇するとみて、当時の所長であった吉田昌郎さん(56歳)は1号2号とも「ベント」という圧力を下げるための緊急措置を行う決断をした。 当時の所長であった吉田昌郎さん 写真提供:東京電力 ※年齢・肩書はすべて当時のものです。 ◆◆◆ 総理執務

最悪の原発事故を起こした東京電力の福島第1原子力発電所と同様に東日本大震災に襲われながら、深刻な事故を招かなかったばかりか、3ヵ月にわたって364人の被災者の避難所の役割を果たした強固な原発がある。 宮城県の牡鹿半島にある東北電力の女川原子力発電所だ。 現地視察も含めて取材したところ、女川原発が無事だった背景には、過剰と思われた基本設計に安住することなく、事故防止の努力を積み重ねてきた事実があったことや、原発を十把一絡げにして福島第一並みに危険と決め付けることの不条理が浮かび上がってきた。 原発の運転凍結が続く中で、政府はこのところ、強引に、大飯原発(福井県)や伊方原発(愛媛県)の運転を再開しようと躍起だ。 しかし、電力の安定供給というフィルターをかけると、本当に深刻なのは東日本大震災と昨年7月の新潟・福島集中豪雨のダブルパンチを浴びた「被災地・東北」である。現状では、東北が今夏、突発的な


2030年時点での電源のベストミックス(原発依存度0%、15%、20~25%の「三つのシナリオ」)、再生可能エネルギーの買い取り価格の検討、そして大飯原発再稼働への対処と、中長期的な電力・エネルギー政策から差し迫った問題まで幅広く、専門的に関わってきた。 政府の委員会で議論を積み重ねるメンバーの中で、フランクにさまざまな「盲点」を突いてきた植田氏。国民的議論の焦点である「三つのシナリオ」にはどんな意図が込められているのか、そして原発再稼働を取り巻く実情を訊ねてみた。 山岡:まず「三つのシナリオ」のお話からうかがいます。基本問題委員会ではどのような話し合いで、この形にまとまったのですか。 植田:のべ70時間ちかい議論は複雑な経緯をたどりましたが、端的に言うと、政府は脱原子力依存の前提として「40年廃炉、新規なし」と宣言しているのだから、それを数値に落とす必要がある。僕自身、そう発言しました。

関連トピックス関西電力原子力発電所北陸電力東京電力各原発の位置 関西電力大飯原発(福井県)の敷地内を走る断層が活断層である可能性が指摘されている問題について、経済産業省原子力安全・保安院は17日、専門家会合を開き、断層の再調査を関電に指示する方針を固めた。定期検査で停止中の北陸電力志賀(しか)原発1号機(石川県)も、原子炉建屋直下の断層が活断層である可能性が高く、北陸電に再調査を指示する方針。 大飯原発では3号機が、東京電力福島第一原発の事故後、全国の原発で初めて再起動した。保安院は、再調査中は原発停止を求めないが、調査結果次第では停止しての大規模な工事が必要になり、今後の運転に影響するおそれがある。 原発の重要施設は活断層の上に設置できないという国の基準がある。志賀原発の問題の断層は原子炉建屋直下にあり、活断層と判定されれば廃炉になる公算が大きい。再調査には少なくとも数カ月程度はか
一昨日ウラニウムがふくまれた土壌500トンがわたしたちの住んでいる国からアメリカユタ州南東部の沙漠(赤い岩の国の心臓——the heart of the Red Rock country——と呼ばれる地域で、コロラド川の源流域)に送られたのを知っていますか? このグレイト・ベースン沙漠の一部を自分の国とするショショーニの人たちの母なる大地に「地球規模の核のゴミ捨て場」がつくられるのではないかとの懸念が高まっています。 ユタの州都ソルト・レイクで刊行されているソルト・レイク・トリビューン紙は「ここ6年間実質的にウラニウム鉱石の処理を停止してきたインターナショナル・ウラニウム精錬会社のホワイト・メサ工場にとっては良いニュースかもしれないが、環境活動家にとっては今回の日本からのウラニウム残土の搬出でユタ州がアメリカ国内の放射能廃棄物の最終処理地になるだけでなく、地球規模の核廃棄物の処理地になるこ

◇はぐらかし、先送り、後手後手の対応…「原子力村」変わらず 鳥取・岡山県境の人形峠。そこで1950年代、原子力発電の燃料となるウラン鉱床が国内で初めて発見された。坑道が閉鎖された後も放射性物質を含む残土が放置され、住民らは撤去を求めて法廷闘争を続けた。今、彼らの目に福島第1原発事故はどう映るのか。【宍戸護】 茶筒型の鉛製ケースのふたを外すと、直径7~8センチの岩石が現れた。くぼみに、黄緑色の粉末のようなものが散っている。ウラン鉱石だ。 「紫外線を当てると黄金色に光ります。放射能は体を突き破りまっせ。記者さん、今ちょっと被ばくしました」 鳥取県湯梨浜町方面(かたも)のナシ農家、榎本益美さん(75)がさらりと言う。放射線の線量計(ガイガーカウンター)を当てると、針が振り切れるそうだ。 鳥取・岡山県境の人形峠で大規模なウラン鉱床が発見されたのは1955年。原発燃料の国産化を目指し、発足したばかり
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